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【2019忍殺再読】「エンター・ザ・ドラゴン・クリプト」

理由あって石に出る

 短いながらも結構重要な設定に切り込むユカノ短編。プラスの短編は、ヴィジョンズを除けばキャラクター主体のファンサービス的な作品が多いと思うのですが、「リライズ~」シリーズを抱えながらもさらにこういった独立短編を追加されるユカノは、いや~すっかり魅力的なキャラになったよなあとしみじみと。ユカノ、第一部時代は記号的なヒロインでしかなく、しかもその記号的なヒロインとしての顔すらほとんど登場しないという冷遇っぷりでしたからね。これはダークニンジャもそうだと思うのですが、第二部はフジキド以外のメインキャラに血肉を通わせ、個々の物語にエンジンがかけるという意味でも非常に重要な章だったのかなと。今では、忍殺ヒロインズの中でもトップクラスに好きですね。……そういえば、せっかく、温泉のメッカ岡山県にいるのに、フジキドと風呂に行くのは10年ぶりだったんですね。

 要所要所に用語説明が入るのが、ゲームブック的というか、最近ボンモーが熱心なTRPGテキストの逆輸入というか、ちょっとした味変になってて楽しい……とか思ってたんですが、ひょっとしてこれ、本作が推理小説モチーフ(後述)なのだとすると、ゲームブックでもTRPGでもなく、海外古典ミステリで偶に観る1)脚注の再現だったりするんでしょうか?あと、スレイトのシーンがパッチワークのように挿入されるのもおもしろい試みですね。スレイト、筒井康隆の『天狗の落し文』的な作品かと思っていたので、この使用法は結構驚きました。大きな流れを描くことでその切り出しの位置づけが明らかになるという娯楽性は、トリロジー時代にやっていたエピソード時系列シャッフルに近い。対象が、シーズン単位からエピソード単位に縮小されたというのが、トリロジーからAOMへの世界の変化とも合致していておもしろいです。

1)最近の国内ミステリでは、似鳥鶏作品がよくこれをやる。

国際探偵藤木戸健二 vs アンフェア女王

 再読して気が付いたこととして、推理小説めいた雰囲気をもった作品であるということが挙げられます。それは、「国際探偵」としての姿を強調して描かれるサツバツナイトに如実に表れていますし、何より、途中からの展開が極めてオーソドックスな「密室殺人」ものなんですね。ことが殺人じゃなくて、蘇りなのが何とも忍殺らしい転倒具合ですが……。しかし、つくづく思いますけど、ニンジャスレイヤーは本格推理小説に向かないですね! 忍殺って底にあるスピリット自体はミステリとほぼ等しいと思うのですが、「本格」……この定義をごちゃごちゃ論じ始めると戦争になるのでやりませんが……「読者に示した事前情報を基に、遊戯として制限された論理的推測と心理的観察を用いて真実を導く」という型式がとことん当てはまらない。不定で多層的で複雑系な忍殺世界の作りが、そのアプローチで真実に至れるほど単純じゃないんですよね。このテーマはシーズン3屈指の傑作「ヨロシサン・エクスプレス」でも大きく扱われるので、忍殺×推理小説をやる上での一つの肝ですし、忍殺で推理小説をやるとメタミステリ、あるいはアンチミステリっぽくなる理由だと思います。

 「ディセンションには依代になる肉体が必要」「霊廟内は密室であり依代となる肉体の出入りは不可能」という二つの前提に対する解答が、未入室・脱出・残留のいずれのハウダニットでもなく、「ディセンションには依代になる肉体が必要とは限らなかった」という新事実による前提の破壊によって成されるのは、サツガイこのクソ混沌~!!後出しニンポ野郎~!!!と言う他ありませんが……ありませんが……広大な未知の領域で起きた「何か」に連動し、小さな既知の匣の中が動作するのは忍殺の華。それはまさに、ギア・ウィッチクラフト(魔術の機構)そのものですし、ビガー・ケイジス、ロンガー・チェインズでもあります。真実は広大な未知と狭小な既知の全てを理で結びつけることで表れるもの。国際探偵とは、別の既知の国へ渡航することで、限りなく既知の全てを真実に近づける探偵であり、しかしそれでも絶対に埋め得ない両者の差異を、カラテによって暴力的に埋めてしまう存在なのでしょう。そしてこのエピソードは、ドラゴン・ニンジャという真実を導くために、アムニジア、ユカノに続く新たな渡航先……ティアマトを示すことで幕を下ろします。「ふたたび推理を開始した」とある通り、事件の解決はこれからです。カラテで埋めるにはまだ早い。

シズカガオカは憧れの国

 リアルニンジャのエゴとカラテは余りにも強大であり、ただそこにいるだけで他者の世界を侵略してしまう。身じろぎをするというほんの細やかなカラテ(エゴに基づく行動)ですらもが、足元に密集する蟻の如きモータルたちを踏みにじることとなる。これは、ニンジャという存在が生来的に備えた邪悪さであり、限りなく我々の倫理観に近い「善良な」サツバツナイトやレッドドラゴンですらその邪悪さからは決して逃れられていないのですが……いやあ、ユカノは本当に凄い。彼女のカルチャーセンターって割ととんでもないことやってると思うんですよ。リアルニンジャの身でありながら、被カラテ者の自由意思に重きをおき、モータルのカラテを群体としてではなく個々に尊重している。「指導」という形式でカラテに指向性をもたせ、余計な被爆者を減らすことに成功している。しかも、広報面でもSNSや演武を用いることで、モータルを「指導」のカラテに直接被爆させず、ドージョーに入るかどうか冷静な判断を保てるだけの余裕を残させている。奥ゆかしいとはまさにこのこと。誰よりも邪悪を知り邪悪を実践してきたからこそ、善良でいられると言いますか。

 が、現実として立ちふさがるスケール差はそんな甘くはないわけで、ドージョーのカルチャーセンター化が成功している理由は、決してユカノの奥ゆかしさや工夫だけでなく、彼女自身が持つ特殊な事情にも由来すると思います。そう、記憶喪失とソウルの分裂ですね。リアルニンジャとはそれ単体で、莫大な情報量の塊です。千夜一夜の膨大な物語群であり、一個の「世界」です。さながら、この「ニンジャスレイヤー」という長大なサーガのように……。ニンジャスレイヤーという小説を、一本の長編として丸ごと飲み込むことができる人類はいないでしょう。何かしらのテーマに沿った章分けが必要です。ティアマトのように。しかしそれでも長すぎる……。では、さらに小さく切り出す必要があるでしょう。大きな流れからほんの一杯だけすくいあげ、それ以外は描かない。記憶喪失のように。

 切り分け、切り出すことでユカノという物語は、邪悪なニンジャ性が機能しない、人間一人分の容量となる。そして、本エピソードは、探偵の力を借りたユカノが、その切り出された一片一片から、サーガの一部を組み立てるお話でした。それは、手がかりを集め真相を推理する推理小説、そして、スレイトを重ねて一つのエピソードを完成させた本エピの構造自体と重なり合うものなのだと思います。

未来へ……

 とはいえ、ユカノ本人がユカノサーガ(真相)が明かされるのを望んでいるかは微妙なところ。負うべき責があるのならば知るべきだが、不必要ならば今のままでありたいといったところでしょうか。そもそも、手がかりを集め、推理するのは探偵の役目です。前述の通り、対ティアマトには国際探偵サツバツナイトが当たることになると思うのですが、その組み合わせは特派員文脈が持ち出されてとんでもねえジャンル混線が起こるんですよね。ケオスの時代だ!

 あと、ユカノサーガを完成させるのだとしたら、現行ニンジャスレイヤーのマスラダくんが、過去ニンジャスレイヤーの記憶を統合させ、その情報をサツバツナイトに渡すのかな?とかも予想してみたり。長大な流れが人格ごとに切り分けられているという点で、「ニンジャスレイヤー」もドラゴン・ニンジャに近しいものがあるよなあ。

■note版で再読
■2020年2月9日