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【小説】愛とファックサイン

 先週の三連休に名倉編の『異セカイ系』を読んで、メ、メ、メフィスト賞~!!ともだえていた私です。皆さん、メフィスト賞はご存知ですか? 講談社がやっている小説の新人賞でして、ちょっとヘンテコな推理小説が読みたければこの賞を追いかけていればまあ間違いないだろうという、そういう癖のあるアレです。誕生の逸話としては、京極夏彦が出版社への持ち込みデビューだったので今後もそういうのに対応できるように作ったとか、森博嗣を派手にデビューさせるために作ったとかよく噂で聞きます。どこまで本当なんだろう。受賞者で有名な作家さんは、先に挙げた森博嗣とか、辻村深月とか、新堂冬樹とか、西尾維新とか、 真梨幸子とかでしょうか。私はこのメフィスト賞がとても好きでずっと追いかけてるんですよね。『異セカイ系』は現時点での最新受賞作(第58回)になります。

■『異セカイ系』 STORY
小説投稿サイトでトップ10にランクインしたおれは「死にたい」と思うことで、自分の書いた小説世界に入れることに気がついた。小説の通り黒騎士に愛する姫の母が殺され、大冒険の旅に……♪
ってボケェ!! 作者(おれ)が姫(きみ)を不幸にし主人公(おれ)が救う自己満足。書き直さな! 現実でも異世界でも全員が幸せになる方法を探すんや!あれ、何これ。「作者への挑戦状」って……これ、ミステリなん?
(講談社BOOK倶楽部 内容紹介より)

 メフィスト賞受賞作の何が好きかって、商業作品として洗練されていないところなんですよ。いや、実際に出版されている以上はこれは明らかに言い過ぎですし、例外作品も多々あるのですが(メフィスト系列の代表格でもある森博嗣作品なんてその対極ですしね)……なんといいますか、これを書きたい!!!という衝動の前に計算や欲得がねじ伏せられているところが好きなんですね。影響を受けた作品が、作者の中で明らかに消化されきっておらず、パッチワークのように歪に組み込まれている。既存作品への愛とファックサインが、むきだしのまま転がっている。それは本当はよくないことなのかもしれませんが、でも、創作者が俺はこういうのが好きだけどこれは気に食わねえ!! と恥も外聞もなく絶叫している姿には恋に墜ちざるをえないです。おもしろいとかおもしろくないとか、出来がいいとか悪いとかではない、創作者の熱と震えに共振し、「くうぅぅぅ~~~たまんねえなぁ~~~~!」という全身に痺れが走るその感覚が好きなんです。

 この『異セカイ系』もそうでした。本作は作中で堂々と影響元の作品を明記しています。(影響元だと明言されてはいないですが、あれはどう考えてもそういうことでしょう)  2018年にもなって「きみ」と「ぼく」の物語を語るノスタルジックなデッドコピー。しかし、狂気じみた熱情で高く高く積み上げられた古ぼけた講談社ノベルスは、それらの「古さ」から脱するに足る確かな高度を本作に与えており、事実この作品は講談社ノベルスではなく講談社文庫タイガという別レーベルから出版されています。そして、未消化物の塊を圧縮しオンリーワンを創造することを可能にしたエネルギー源は、やはり愛とファックサイン……「画面の向こうのきみを救いたい」「きみを救うために何かを犠牲にするなんてクソ喰らえ」の二つに他ならないと思います。

 本作は、創作者と創作物の関係性をとことんつきつめた小説です。それを描くために、徹底的に設定を作り込み、読者をも巻き込むギミックを磨きぬいています。その仕上がりから匂い立つのは、作者の本気の感情と執念であり、その熱量の前では読者一人の個人的嗜好はいともたやすく焼き溶けます。最近、某ゲームと某ゲームを遊んで気がついたのですが、私は虚構の中のキャラクターと自分の関係性にはあんまり興味がない人間です。虚構内の関係性に感動することはあっても、自分の行動が虚構に影響を与えることは特にどうも思いません。おかげでポニテの彼女を感慨もなく殺す羽目になり、皆殺しをし切ることなく飽きてしましました。なので、当然、この『異セカイ系』で語られていることは、私にとって肯けるものではありません。私は画面の向こうのきみを救いたいとは思いませんし、選択問題には抗うべできはないと思います。それでも、私はこの小説に強烈に感情を揺さぶられました。たとえその行動に感情移入できなくとも、登場人物の行動が本気であり、それを支える感情が本物ならば、それは内容と関係なく、読者を感動させうるのです。本気で放たれる愛とファックサインは傍観者をもぶん殴る。私がプレイヤーとして直接彼らに向き合うゲーム媒体ではなく、私が読者として「私」と彼らの関係を傍観する小説媒体だからこそ、響くものがある。その事実には、ちょっと救われるものを感じるのです。