無題

気になるあの娘は反魂香

 夜山千歳のことを僕が意識し始めたのは、彼女が徳川家康に告白されているのを目撃した時からだ。彼女はいわゆる「モテる」女の子だった。曰く、一年上の吹奏楽部の先輩から告白された。行きつけの喫茶店でバイトをしている大学生のお兄さんから告白された。後漢末期の武将で兵法家としても名高い曹操から告白された。

「御手洗くんじゃん。久しぶり」

 家康からのラブレターを手慣れた手つきで懐にしまいながら、夜山は手をふった。傍らの家康は、何ぞこの者はとこちらをねめつける。声なき声で、おそらく僕の素性を夜山に問うている。

「小学生の時に家が隣だった子だよ。交通事故で死んじゃってね」

「いや、死んでないよ」

 入院中に夜山が引っ越したのだ。

「そうだっけ?」

「きみがそう決めたんじゃないか」

 夜山は首をかしげた。それだけで僕はドキリとしてしまう。彼女は、その全てが男性の錯覚を呼び起こすトリガーだけで構成されている。「モテる」。結局のところそれは優れた外見、あるいは所作の蓄積が生む好感という名の錯覚だと僕は思う。生殖という本能を前提とした、脳みそが見せた幻想。死者には無関係な幻想。ゆえに、死者にすら通じる彼女の魅力は、死者は全て生者であると因果のちゃぶ台をひっくり返し、全く正しく機能する。

「まあ、どうでもいいけど。懐かしいね。嬉しいよ」

 夜山がにこりと笑う。トリガーが引かれる。町中の墓地が騒ぎ出し、骨だけになった犬が地面から這い上がる。カロライナインコが空中で肉体を取り戻して鳴き、花が咲き誇るようにキンベレラとウェツリコラが跳ね、地球を中心に太陽が周り始める。強烈な笑顔だった。彼女が夢想した「自分の理想の男の子」……形を持たないはずの僕が意識を得てしまう程に。錯覚を引きはがし、客観化された真実の彼女を見つけだすことが僕の役目だと言うのに。彼女に告白すべくひた走る、ハレー彗星がこの校舎裏に到達する前に。

【続く】