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溝口政親とは

「大栄寺通夜物語」においての悪の準主役・溝口政親について、もう少し踏み込んでみます。
前にも書きましたが、私は、昭和51年に発行された角田夏夫氏が著した「沢海城物語」に触発されて「沢海騒動について考えてみますシリーズ」を書いてきました。
「沢海城物語」はかなりな部分で「大栄寺通夜物語」に懐疑的です。
では何故「大栄寺通夜物語」は作為的に溝口政親を悪く描いたのか。
今回は宗教的側面から推理してみましょう。
1684年、養父政良の墓を菩提寺である大栄寺に建て、永代供養のため隠居地等のために土地を寄進し、年貢免除の特権である除地としました。大栄寺は曹洞宗です。
さらに上木津(沢海の北西部に位置する)の真言宗光明院に対しても、沢海地内に応分の土地を寄進したと記録にあるそうです。
政親は吉田神道に熱心だったようだと前に書きましたが、真言宗と神道は密接な関係があります。少し肩入れしたのでしょうね。
当時の寺や神社は、水運と関係があります。阿賀野川航路の安全祈祷もそうですが、往来手形の発行に伴う宗旨の証明も行ったでしょうし、場合によっては寺が船宿も兼ねていたかもしれません。寺同士の競争も有ったし、60年後も嫉妬心は消えていなかったのかな・・・と思います。
両方のお寺は現存しますので、これ以上は書けません。
「大栄寺通夜物語」によると、
沢海騒動がおこる前に、城代家老神田与兵衛が藩主溝口政親に対し諫言状を書いたとあります。
全文をここで載せることはしませんが、その五条
「諸神、諸仏、御信敬のお心であれば、仏陀の得恵(特に有利に取り計らうこと)、天命全福あるべき事」
とある。
お寺に多大な寄進もしている藩主に対しこの諫言は意味が判らない。
「天命全福あるべき事」とはどういう意味かな。

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