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無限に信じてくれる存在

今日、祖母に会ってきた。末期がんで残された時間は少ない。最近は意識も朦朧としていて、寝ていることが多いのだけど、今日は声をかけると笑顔で話をすることができた。

昔から僕はおばあちゃんっ子で、祖母の家に遊びにいくのが好きだった。祖母の住んでいる家の近くの海で、魚を釣って帰るととても喜んでくれて、そのことが嬉しくて、いつも魚を釣っては持ち帰っていた。

自分は魚を釣ることが好きだと、最近まで思い込んでいたのだけど、多分おばあちゃんに褒められるのが好きだったんだと思う。だから、最近は全く釣りに行っていない。

昨日、部屋の掃除をしていて、二十歳の時にもらったお祝いの袋を見つけた。そこには、「身を助けるのは学問です。学問を修めて立派な大人になって下さいね。」という言葉が添えてあった。

残念ながら、現時点では学問を修めて立派な大人にはなれていないけど、学問が身を助けること、その重要性に今やっと気が付いている。
かなり遅くなってしまったし、できれば立派な姿を見せてあげたかった。

自分の過去を振り返ってみると、順風満帆とはいえず、どちらかというと失敗や挫折感、後悔の方が多い。でもその分、今と未来にはとても前向きで、とてもワクワクしている。

自分がここまで前向きになれたり、途中で諦めずに前を向けたのは、自分が強かったからではなく、折れずに支えとなった人達のおかげだと思う。

自分の支えとなる人を思い浮かべていたのだけど、それは自分のことを信じてくれている人だ。基本的に自分のことを自分で信じることができていない状態で生きていた自分が、なんとか持ちこたえていたのはその人達のおかげで、中でも最高に自分を信じてくれたのが、祖母だ。

極端な話、「総理大臣になる」と僕が急に言い出したとしても「頑張ってね」と真剣に応援してくれるほど、祖母の自分に対する信頼は無限だった(もちろん言ったことも思ったこともないけど)。

理由は分からないし、本心も聞くことはできないけれど、どんな時も、祖母は無条件で応援してくれていた。
自信がなくても、僕が笑ってしまうくらい無条件で信じてくれるその姿をみると、かなり勇気付けられていたんだと思う。

どれだけ今いる場所で認められなくても、自分を信じることができなくても、
無限に信じてくれる祖母の存在が、自分を支えていた。

ずっと一緒にはいなかったけど、祖母の思いがずっと自分の中に存在していてた。

おばあちゃん、いっつも言ってくれていた「勉強しなさいね」という言葉、あの時は聞き流して、ちゃんと勉強してなかったわ。でも、おばあちゃんの言った通り、学ぶこと、問い続けることが、今の自分を支えています。

おばあちゃんの言った通り、学問が身を助け、新しい世界を見せてくれ、これから生きる楽しさを教えてくれました。

33年も経っちゃったけど、今しっかり感じています。ありがとう。

最近、魚釣りに行っていない。多分、魚釣りじゃなくてもいいのかもしれない。こっそり何かをやって、誰かを驚かして、楽しませたいんだと思う。

信じてくれる存在がどれほど助けになるかを知っているので、自分が関わる人のことを、思いっきり信じたい。逆にいえば、信じられないのなら関わらないでおこうと思う。

おばあちゃんのように、自分も誰かを無限に信じたい。

読んで下さって,ありがとうございました。気が向いた時にでも、また見てくれると嬉しいです。