オオカミと彗星カップリング曲について

生きてる僕らの

いつか夜に魔法が溶けて
思い出したように大人になってさ
多くのことを忘れてしまう
・・・
こんな夜に魔法をかけた
きれいさっぱり忘れてしまっても僕らは君のどこかで光るから

∞月のメモリーの
大人の中にいる少女を甘く見ないで
重ねるほど輝いてゆく


ってなんか、同じことを歌ってるな〜とぼんやりエモさを感じた。

大人になって知ってることも増え、疑問もだんだん少なくなり、感動や驚きが減り、1年が早くなり、10年前が昨日のことになり、段々と平凡だけど毎日楽しい子供の頃と比べ、平凡に生きてるだけなのにたくさん疲れてやることを追われて、そんなふうに生きる大人になった今、子供の頃杖になる木の棒を見つけるだけで何にでも変身でき、コンクリに文字が書けるチョーク石を見つけたら宝物を見つけたように思えたりした子供の頃をどんどん忘れていく。

でも、ふと、カメムシを見る度にカメムシと知らずつまんで手が臭くなりこまったことをカメムシを道端で見る度に思い出して、過去の自分を微笑ましく思ったり、部屋の片付けをしてて川辺で拾った石に絵の具で絵を描いたものが出てきて、こんなふうにこの石が見えてたんだな〜と過去の自分に教わったりしながら思い出してみたり。

確実に自分の中には思い出や記憶、感触として残ってるけれど普段わざわざ思い出すことも無く忘れていて、ふとした時に思い出し(ふふ)となる楽しさがあるな〜と。

生きてる僕らを聞くと、脳内には十祭のような野外で、夜空が拡がって、浴衣を着てる関ジャニが、こんな夜に魔法をかけた、と歌ってくれる様子が広がる。

関ジャニとともに成長した私としては、関ジャニに魔法をかけられれば中学時代、高校時代、と思い出せるし、紐づいて小学生の頃を思い出す。


その日が来るまでここで歌うから
辛い時には僕らを呼んでよ

の歌詞通り、

辛い時に関ジャニを聞くと救われる気持ちになるし、大人になって泣けなくなったけど涙が出てくるし、何より大学受験時代の辛日々を関ジャニと乗り越えたことを思い出す。

僕らは君のどこかで光るからの歌詞は関ジャニが私たちの人生と共に歩んで私たちの中で支えになってることを表すようにも思えるし、小さい頃の私が私の中で普段は忘れられてるけど、過去に得た経験があるり、それが今の私のどこかで活きていたり思い出が支えになって立ち直れたりするようにも思える。

∞月のメモリーの大人の中の少女を甘く見ないでというのは、大人になって女性としてレディーとして身だしなみや行動に気をつける私たちだけど、無邪気で愛らしく時に残酷でおませさんで夢見がちな少女を心に飼ってて、ふとした時にそんな仕草が出てくるの意味かなと思う。

この2曲の、普段はこうたけれど突如として少女時代の人格や思い出がふっと脳内に思い出されたり心に宿る感じが似てるなと。

関ジャニの声を聞いてると自分の人生が自然と思い出される状況になるところがエモいな〜と感じる。

BOY’23が過去の映像使いながら今の声で歌っていくのと似てて、それが関ジャニの過去だけじゃなくて私の過去も思い出されるのが、生きてる僕らと∞月のメモリーなんだけれど、その思い出してる状況も生きてる僕らでは歌っちゃうからエモさを感じずにはにはいられないというか。

とにかくエモかった話。
本当はツイートで済ませたかったけどあまりにもまとまらなくて長かったのでnoteになりました😊

49thシングル、オリコンランキング1位おめでとうございます!
嬉しい。

たくさんの人の手にシングルが渡りますように

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?