舞台「閃光ばなし」感想、、の前に前作の感想を少しだけ。

2022年10月13日木曜日。安田章大さん主演舞台の観劇に行ってきました。
俺節、忘れてもらえないの歌、そして閃光ばなし。福原さんと安田君のタッグで作られる昭和三部作の最終話にあたる閃光ばなしも前作までと同様に昭和の勢いや、熱い感情、情勢を取り込んで、一般的にはスポットライトのあたらない人を主人公に作られる舞台。

閃光話の感想を言いたいけど、その前に忘れてもらえないの歌の感想が数年越しに湧いてきたので先にそちらから。

2019年の忘れてもらえないの歌では戦後すぐの時代に、仲間を集めて音楽をしていたのに、段々仲間が戦前に思っていた夢を追いかけはじめたり、現実的に働きだしたりしてばらばらに。やすだくん演じる主人公が疲弊した中でやっと仲間を説得して集まってもらって一緒にレコードを出そう!となったところで、実はその話は詐欺であり、借金だけ残り、仲間はまたばらばらに。戦前主人公が好んで通っていたバーは買い取っていたのに借金のせいで売らざるを得ず、取り壊し。せっかく作ったのに聞いてもらえないから忘れてすらもらえない。だから舞台の題は忘れてもらえないの歌。忘れてもらえない歌ってなんだろうと考えていた私にはとても鮮やかな手品の種明かしを見せられたように感じた。一方で、主人公は、レコードの話を持ってきた音楽の世界で力を持つものに負け、持ってるすべてを奪われた。主人公に肩入れをしていた私は悲しくて悔しくて、後味の悪さを感じた舞台だった。

戦争前はだらしない印象があり、何かを頑張っているとは到底思えない雰囲気の主人公。まあ、若者という設定なので一生懸命がかっこいいとは思えない、めんどくさい、そんな感じなのかもしれない。戦中も、混乱を極めてみんなが自分の命を優先して生きているのをいいことに、行きつけにしていたバーからしこたま酒を盗んでいた。記憶違いかもしれないが、酒飲んで死ねたらそれは本望的なことをいっていた気がする。全くのダメ男。

そんな生きることに必死になっていない、ダメな感じの主人公が戦後は仲間を集めて、ラジオや楽譜を(他人から盗んで)手に入れて、必死に曲を覚えて進駐軍の前で演奏することでお金を手に入れて生きることを選んだ。お金にがめつい性格だった気がするし当時進駐軍で働くとお金が手に入りやすかったから、楽な方に流されたといえばそうかもしれない。でも、進駐軍で働くために音楽を知らない仲間たちと必死に曲を覚えて練習し、自分たちを雇ってもらえるように努力した点では戦前、戦中よりも成長して、生きる事への執着が出ていたように思えたし、栄枯盛衰で言えば、栄と盛の状況だったと思う。

月と同じ。満ちたものは欠けるしかない。

日本から米軍が撤退すると仕事がなくなるわけで、一緒にいた仲間もばらばらになって、お金でつながった人はお金が無くなるといなくなる。悲しい現実だけど確かにそれはそう。この舞台はその辺をしっかり突き付けてくる。

行きつけのバーも、理由は忘れたけど持ち主が手放すことになって、それが嫌な主人公は買い取って自分の店にしたけど、経営はあまりうまくいってなかった気がする。お金がないから持ち物をどんどん売るけど、進駐軍でステージに立ってたときに使ってたギターだけは主人公は売れなかった。売らないと生きていけないけど、売ったら夢を捨てることになる、ひいては、自分から離れていった仲間たちとの縁も切れそうで、売るに売れなかったんだと私は感じた。その葛藤にすごい切ない思いをした記憶がある。

そんな時に'良い話'を持ってきたやつがいる。それは音楽をやってレコードを出そう。仕事があれば仲間も戻ってくるし、このバーだってその売り上げで経営していける。そんな内容だった。いい話過ぎる。そんな眉唾な話、人生に余裕がある時には客観視できるし、違う選択肢を取る余裕があるから飛びつかないんだよね。だけど、主人公はそれにすがらないと何も残らないから、借金を重ねてまで仲間たちを集めてレコードを作って、だまされた。

レコードを作って、発売日を楽しみにして、仲間と笑いあってるときは楽しそうだった。発売日に私も買ってきた!実は俺も、、みたいなやり取りでバーに集まってレコードを早く!とせかしあいながら針を落として流れてきたのが上を向いて歩こう。がっつり他人の歌。せつねーーーー。そんなことある?マジで切なすぎる。キャッキャしてた仲間たちもそんなうまい話があるわけなかったんだって離れていって、一人の男性が去り際に、君も夢なんて見てないでちゃんと働いた方がいい、的なこと言うんだよね。マジで切ない。

1人になって、借金が増えて、だまされたことを知って、バーも取り上げられて。ものが運び出されるバーの中、一人、発売されるはずだった曲をギターで弾いて歌うんだよ。その時に前のバーのマスターが来て、曲を聞いてくれるの。だからかろうじて一人には忘れてもらえるんだけど、バーンって建物が壊されたときに見える東京タワーの光が余計に切なくて悲しくて、主人公がギターを弾いている時、取り壊しに来た業者の、せーの、とかいう声が聞こえていて、せっかく唯一聞いてくれる人がいるのにそれすら雑音で消されそうっていう、追い打ちの掛け方がもう寂しすぎた。しかも東京タワーがあるってことは戦後結構時間がたっているってことで、長い間求めた仲間には捨てられ、何も残らず年だけ取って、追いかける夢さえなくして。救いようがないし、途方に暮れるしかない。

ずるい権力者っていう憎む先があること、一人だけ曲を聞いてくれて、私が忘れてあげる!ってセリフを言ってくれることで忘れてすらもらえない歌ではなくなったことが観劇した私の心の救いで、それがなかったらもう絶望の気持ちで劇場を後にする羽目になったかもしれなかった。

当時安田君は「生きるって何だろうと思いながら見てください」といっていた。マジで生きるって何だろう。何度も思い出しては考えるけど、いまだに答えは出ない。



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