藤原聡 vs. 無常観
はじめに
『アポトーシス』がリリースされてから、早くも一年が経った。最近のJ-POPの中ではかなり長い再生時間や、デジタルとアナログ両方の楽器が入り交じった分厚い音像、タイトルや歌詞から喚起される生/死などのイメージもあいまって、これまでのヒゲダンにない荘厳な曲だと評されている。
荘厳さの核となっているのは歌詞だろう。
「訪れるべき時が来た もしその時は悲しまないでダーリン」というフレーズから始まって、「訪れるべき時」、つまり愛する人との別れの時を想像し、葛藤する「私」のようすが描かれる。
これまでになく重い『アポトーシス』だが、実はこれまでの楽曲でも同様のテーマが扱われている。それは『恋の去り際』、『されど日々は』、『Stand By You』、『ラストソング』 の四曲だ。
『されど日々は』はともかく、他の曲でそんな大それたことは書かれてないだろう、と思われるかもしれない。たしかに楽曲全体にわたって描かれることはなかった。しかし、歌詞の一節で『アポトーシス』に通じるものが描かれている。
また重要なのが、この四曲すべてに対し、藤原が「実体験に基づいて書いた」という主旨の話をしていることだ。過去のインタビューで「実体験を元に書くことは少ない」と言っていることを考えると興味深い。
実感をもとに書いた歌詞に必ず「愛する者/物との別れをどう受け止めるか」という問いが含まれているなら、(楽曲のメインテーマではなかったとしても)彼は作詞を通して無常観と向き合ってきたとも解釈できる。
無常観とは「あらゆるものは永遠には存在できない」という思想だ。
生き物はすべて、いつか命をうしなう。山も海も常にその形を変え、一時として同じ形を保つことはない。最近SNSでしばしば目にする「推しは推せるうちに推せ」という文言も、現代風になった無常観ではないだろうか。
その無常観に対して藤原が向けてきたまなざしは、「藤原聡 vs. 無常観」とも表現できる対抗的な視線だ。彼の対抗心が歌詞に表れるのが、先に挙げた『恋の去り際』、『されど日々は』、『Stand By You』、『ラストソング』、そして『アポトーシス』である。
では、藤原と無常観との闘いはどのように決着するのか。それから、なぜ『アポトーシス』は過去の楽曲の歌詞と共通する要素を持ちながら、「これまでに無かった」と言われるのか。歌詞と過去のインタビューをもとに考えていく。
『恋の去り際』:チラ見する
この曲だけは今回のテーマから少し逸れているが、今アクセス可能なインタビューを読む限り、身の回りのものの有限性に初めて目を向けている。
自覚症状がないまま存在し続けていた病を見つけたショックは、幸せそうに見えた「君」の心にあったかもしれない気持ちを意識した悲しみに置き換えられる。
恋人と別れたあとの心境を綴った曲としては『ニットの帽子』もあてはまるが、『恋の去り際』の歌詞には「交際中から密かに存在していた別れの兆しが今あらわになった」という時間の流れがあるのに対し、『ニットの帽子』で描かれるのは「ニット帽を被っていた元恋人への想い」であり、歌詞の主人公が思いを馳せるのは過去の一時点だ。だからこそ『恋の去り際』は、いつか訪れる別れと、それを乗り越える手段について言及した初めての楽曲となる。
また、「それ以上の幸せをきっと見つけるから」と明るく結ばれる歌詞に、ハッピーエンド、あるいは明快な結論に着地させるという藤原の志向が表れている。
『されど日々は』:向き合う
初めて憂いを前面に出した詞が書かれた曲だが、「体の軋んだその音さえ愛していけたら」と、先述したようなハッピーエンド志向は消えていない。
この曲から『アポトーシス』まで、およそ三年間にわたる無常観への(控えめな)抵抗が始まる。
『Stand By You』:乗り越えようとする
全体としては「仲間がいるならどこまでもいける」という希望に満ちた内容。主題が仲間・友情であるのも作用して、『アポトーシス』からは遠いように感じる。
ところが大サビに向かう直前、歌詞の語り手は仲間と離れた未来、あるいは環境の変化にともなう関係性の変容を想像する。語り手は「変わらずにいたいよな?」と仲間に問いかけ、お互いの意思を確かめ合っている。環境が変わらない保証がなくても、意思さえあれば別れや変化を乗り越えられる可能性があるからだろう。
『ラストソング』:目をそらす
『されど日々は』に次いで、時間の不可逆性に向き合った悲しみを語る曲。だが、「お別れ」がいつになるのか想像するのは悲しいだけだからやめよう、と論点をずらして考えるのをやめている。”いろいろ終わってしまうことへの悲しみ”、ひいては無常観から、しばし目をそむけるようなかっこうだ。
『アポトーシス』:ふたたび向き合う
組織や器官を保つために、細胞が自ら活動を終える現象を指す用語「アポトーシス」をタイトルに据える。それによって、楽曲の中で描写される「さよならはいつしか確実に近付く」こと、すなわち地球上で起こる生き物の命の連鎖、老いたものは死に若いものが後を継ぐ連環と、アポトーシスが同じ営みであると示される。
「私」は、自分がその営みのさなかにあることを憂い、逡巡するが、ついにその憂いは晴れないまま朝が来てしまう。「別れの時まで ひと時だって愛しそびれないように」と、”後悔しないよう、今を大切に”という、ありきたりな、しかし避けられない論理を受け入れて「私」は眠りにつく。
分からない答え
ここまで取り上げてきた楽曲のうち、恋愛の話に変換されている「恋の去り際」と、無常観に由来する悲しみと向き合いこそすれど、明確な対抗はしていない「されど日々は」を除く三曲からは、人間と時間の流れに関する何かしらの問いを見出せる。
『Stand By You』では
「時間が経っても変わらない関係でいられるか」
『ラストソング』では
「再会を約束出来なくなるときはやってくるのか」
『アポトーシス』では
「愛する人と別れる恐怖に対抗できる希望は何か」
どれも、時間と人間との摩擦によって生まれる、答えのない問いがある。答えを導き出す代わりに、『Stand By You』では仲間と意思を確かめ合って、『ラストソング』では論点をずらして考えること自体をやめてしまう。答えがないことは、ある種の絶望を生むからだ。
しかし『アポトーシス』の「私」は、答えが出ない問いに独りで取り組み、眠れないまま夜を明かす。
アポトーシスがこれまでに無かったものとして扱われる理由は、大きな問題を抱えているのにも関わらず、解決に至らないまま曲が終わるところにあるのではないだろうか。
これまでの曲でも解決はしていないが、曲自体の主題は別にあるがゆえに、問題があやふやなままになっていた。だが『アポトーシス』の「私」は問いに向き合った。答えがないことが浮き彫りになり、解決できないという事実が心に影を落とす。
「私」も「ダーリン」も不老不死にはなれないし、時間を止めることも叶わない。「私」にできることは、愛する人と共に生きる時間を大切にするよりほかにない。
藤原は“光”を灯すことができないまま、『アポトーシス』を書き上げた。彼はここで一旦、無常観を受け入れたことになる。
分かりたくない答え
先ほど“一旦”と書いたのには理由がある。
『アポトーシス』と同じく、アルバム『Editrial』に収録されている『Shower』の一節を見てみると、
無常観への抵抗が未だ続いているようにも思えるからだ。
恋人と暮らす日々を穏やかに見つめる歌詞は、後半に向かうにつれ、恋人といつまでも瑞々しい愛情を共有したいと願う”僕”の気持ちが大きくなっていく。
曲の終盤では二人に訪れるかもしれない倦怠期を憂うが、「そんな日々に辿り着くには 子供じみすぎていた」と、変化の可能性を否定する。お菓子やゲームが大好きな子供っぽい自分たちには、“大人”のカップルにありがちな倦怠期などやってこないだろう、という考えは、まさに彼らの嗜好そのまま、幼くていじらしい無常観への抵抗ではないだろうか。
いま自分が持っている幸せが時間とともに失われるものだとしても、自分が考える幸せの形そのものも時間とともに変わっていく。生きていく中で自分の視野を広げて新たな幸せを見つける営みは、時間が止まらないからこそ存在する希望だ。
しかし新たな幸せとは、手に入れたときに初めて実感するものだ。だから「これもまた幸せの形だ」と変化を受け入れるまで、私たちは「永遠」がないことを恐れる。そんな、人間が生きる上で往々にして抱える感情のゆらぎを、藤原は『アポトーシス』の、ひいてはこれまでの楽曲の歌詞で描いてきた。『アポトーシス』のあとに『Shower』が流れるように、彼はきっとこれからも無常観への抵抗と迎合の両方を描くだろう。
おわりに
ここまで「藤原聡 vs. 無常観」というテーマをもとに歌詞とインタビューでの発言を紐解いてきた。長々と書いてしまったが、要は、明るいバンドとされがちなヒゲダンにしては珍しく思える『アポトーシス』も、根底にある思想は過去の楽曲からも読み取れるということだ。
先ほど書いたことと内容が少し被るが、変化すること・終わりが来ることを恐れるのは、その時点で何かしら自分にとっての幸せを手に入れているからだ。つまり『異端なスター』や『発明家』、『Amazing』など、これまで既成概念や現状を維持することに抗う歌詞を絶えず書いてきた藤原が、『アポトーシス』で物事の変化や終わりに対する憂いを書いたということは、彼がミュージシャンとして、ひとりの人間として幸せの真っ只中にいることの現れではないだろうか。いちファンとしてはこれほど嬉しいことはない。これからもその幸せが(形を変えながら)続くことを願っている。
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