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調布飛行場連中 その5

夜間設備の無い飛行場
 僕は夕方頃になると、調布飛行場に行くのが日課になっていた。何かイベントがある訳ではない。気の向いた者がフラリとやって来て、バイクの話をしたり世間話をしたり、バイクの掃除をしていた。そして日が暮れて暗くなり始めると、集まった時と同様に、パラパラと帰って行き解散となった。当時の調布飛行場は夜間設備が整っておらず、街灯もほとんど無く、日が暮れると本当に真暗闇になってしまった。だから帰るしかなかった。
 いつだったか、セスナ機の到着が遅れ日没後になってしまい、夜間設備の無い調布飛行場に着陸出来なくなるという事があった。そこで空港関係者のクルマを滑走路に並べてヘッドライトを点灯し、誘導灯の替わりにして無事着陸したという、ドラマみたいな出来事もあった。

やって来るのは普通のバイク乗り
 僕らは暴走族でもヤンキーでもなかった。調布飛行場に来ていたバイクに乗らない人達から、どう見られていたかは分からない。でも警察に通報された事も職務質問された事もなかった。たまにパトカーが巡回して来る事はあったが。
 当時は暴走族全盛期だったが、不思議な事に調布飛行場には僕の知る限り、暴走族は来ていなかった。飛行場からほど近い「三十メーター道路(現在の東八道路)」では、いわゆるゼロヨン大会が行われ、大勢の観客を集めていた時代だ。僕も一度だけ見物に行った事がある。
 調布飛行場は、あれだけ広い場所なのに暴走族の集会場にはならず、廃屋の壁面やロータリーに「○○参上」とか、その筋の集団のカッコいい「ロゴマーク」がスプレーでペイントされた、というような事も無かった。なぜか、来るのは普通の(暴走族でもヤンキーでもない)バイク乗りばかりだった。

ドラムブレーキ仕様のSR
 その中には、普通だが少々個性的なバイク乗りもいた。ヤマハSR500(初代モデルだ)に乗るKTさんだ。KTさんは語尾に「〜じゃ」と付ける、仙人みたいな喋り方をするのが常だった。だから僕らは、KTさんのいないところで親しみを込めて「KTじゃ」と呼んでいた。
 KTさんは学生だった僕らとは違い、既に社会人だった。テレビCMや映画で使う小道具やミニチュアを制作する、その業界ではかなり有名な会社に勤めていた。テレビでCMが流れると、タレントが使っている小道具とかを指して「コレを作った」「アレを作った」と忙しく説明してくれたように記憶している。
 当時公開されていた大映の「昭和ガメラシリーズ(どの作品だったかは忘れた)」に出てくる宇宙船も作ったそうだ。「スターウォーズのスターデストロイヤーを参考にした」らしいが、写真を見せて貰ったら、ほとんどそのままだったような・・・。訴訟好きの米国人に訴えられなくて、本当に良かった。
 そんな職業柄もあってか、器用なKTさんはSRの大改造を行なった。頑丈そうなアダプターを自作して、SRのフロントブレーキを油圧式ディスクから、XS-1のワイヤー式ドラムブレーキに換装したのだ。しかもフロントフォークはノーマルのままだったと思う。これは僕の想像だが、車検に際してのノーマル状態への「戻し易さ」を重視したからではないだろうか。
 普通はキャリパーやディスクを換装することはあっても、ブレーキの型式まで変えるなんて、交換キットでも売っていない限りしないと思う。僕だったら想像止まりの事を、本当に実行してしまうところが凄い。
 同時にタンクやサイドカバーを、シルバーグレー基調のオリジナルペイントにしていた。ドラムブレーキも含めて全体的にクラシカルな雰囲気となり、SR500のデザインに良く似合っていて、とてもカッコ良かった。

マイナーチェンジ
 するとその後のSR400/500のマイナーチェンジの際、XS−1と同じようなデザインのドラムブレーキが装備された。
 KTさんはSRのオーナーズクラブを主催していて、KTさんのSRもバイク雑誌に掲載された事があった。もしかしたらそれを見て、ヤマハがアイデアをパクったのかも知れない(違っていたら失礼)。
 しかし残念な事に、数モデル後にまたディスクブレーキに戻ってしまい、やがて排気量も500ccが廃番になり400ccだけになってしまった。
 登場から四十年くらいたった今でも、基本的に同じカタチのバイクが買えるのはとても凄い事だ。SRの後に発売された、よりモダンなSRX400/600はとっくに廃番になったが、SRは基本的な構成は不変のまま継続販売している(2021年現在)。買う事はなくても継続して売って欲しいモノがあるが、SRはその筆頭だ。残念ながらそのSRも2021年でファイナルエディションとなり、完全に廃番となることが決定した。
(つづく)

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