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551の蓬莱とただの蓬莱って何が違うか説明できる大阪人おる?ちなみに私はできひん

電子レンジから白湯を取り出すときに微かに匂う551の残り香が、ついこないだまでこの部屋には関西からの尋人がいたことを思い出させる。そろそろ関西に帰りたい。
私以外の誰かが、私のことを思って会いにきてくれる時間の尊さよ。
Lordeがどこかの屋上でお下げをぶら下げて丁寧に歌っている動画を見るたびに、このありがたい夏の夜と急いで買った向日葵の黄色を思い出すのだろう。

日没の美しさと、夜景の美しさの違いを最近考えている。何か人間の力では及ばないものを見て感動する作業は似ているのに、それは全然違うようで思考に苦戦している。
そもそも比較するのがしくじり大先生であるのかもしれないが、自分の探究心から考えることの偉大さを信じているので、ここ2日くらい甲子園を見るか読書をするかその合間に考えてみたりしている。
誰もいない静かな海で、夕まずめを心待ちにする小魚達と肩を並べて観た日没の偉大さ、言葉を奪う美しい異常さ、心の琴線に触れる大地の恵み、大地に感謝せざるを得ないという感覚に襲われる瞬間、大地と人の繋がりを感じるものが日没だとすると、夜景は人と人の繋がりを感じるものなのかもしれない。
よく知っている街がキラキラと見えて、路傍のゴミも、眠そうなねこも、機嫌の悪い中年男性も、生活の中でよく見えるはずのものがなにも見えない。
ただ人や車が分子に見えて、人は人と繋がっていないと生きていけない縮図を見せられている気分になる。
ここにこそ日没と夜景の違いがあるのかもしれない。
はぁ難しくてたのしい。
どちらにせよ月と星だけは平等なので、とりあえず今日の星の数でも数えて寝ます。

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