見出し画像

五胡十六国のやべーやつ 重大人物編

 おはようございます。
五胡十六国入門」です。
 
 本日は先日の三人ほどではないけれど、この時代の中国に重大、もしくは深刻な影響を与えた人物たちを紹介します。

Bクラス 重大人物

 ここに登場するひとたちは、わりと時代の結節点にいる人たち。ただ仏図澄はやや違いますね。鳩摩羅什と同じく、仏教枠です。

B-1 司馬衷

 最悪に暗愚な皇帝として知られますが、オメーそういうのは東晋の実質なラストエンペラー、ガチ白痴の安帝を知ってからにしてもらおうか!? ……というのはさておき、まぁ劉禅みたいなものです。何せ本人が主体的に動いたと見える痕跡はほとんどありません。ここで劉禅はそれでも蜀の人士を戦渦に巻き込ませずにすんだという弁護もできますが、こちらは「八王の乱によって劉淵石勒を表舞台に引き上げた」になってしまうのでマジで弁護が難しい。ただ八王の乱の経緯を知っていれば悪いのはどう考えても司馬穎とか司馬騰なので、はじめっからあいつらの手綱握れるはずのない恵帝に必要以上の責任を寄せるのは酷というものです。それ言いはじめたら恵帝を任じた武帝こそが諸悪の元凶になりますし、更に言えば司馬師のやつが息子を産まずに後継体制を紛糾させたせいにもなりますのでね。
 けど、世界がぐっちゃぐちゃになった原因のすべてをこのひとに押しつけるのが非常にわかりやすい物語になるのは、どうにも否定をしきれないのです。

B-2 劉淵

 五胡十六国の根っこの所にいるかた。ちなみに司馬師司馬炎に「非常の人物だ」と敬われ、同時に警戒もされています。このひとが決起したときの声明文を要約します。
「漢めっちゃすごい。けど董卓が国を踏みにじったと思ったら曹操に牛耳られて曹丕に簒奪された。最悪。献帝の無念を劉備様が晴らそうとしたけど失敗、劉禅様の時代に司馬昭の野郎に捕まっちゃった。悲しい。けどそのことを天が後悔したみたいで、ついには司馬氏を相争わせることに成功した。というわけでこの機会にぼくが漢の恨みを晴らしますんでよろしく」。
 これが永嘉の乱の名分です。思わず頷いちゃったよね。ちなみになんで匈奴のこのひとが漢の後継者ヅラしているかというと、劉邦が冒頓単于に負けたときに漢の宗族の娘を「自分の娘だ」と偽って嫁がせたから、「匈奴の正統は漢の正統の血を引く」ってことになったのです。で、それを口実にして魏の曹丕か曹叡辺りが劉淵の父に劉姓を与えました。
 つまり、永嘉の乱の大義名分を与えたのは実質魏です。もう何やってんのこの人たち。

B-3 王導

 このひとが東晋を立てるアイディアを元帝に提案したから琅邪王氏というブランドが生まれました。キングダムにも登場している王翦王賁親子の子孫と言うことになっています。元帝とは同年代の学友で、八王の乱華やかなりしころに琅邪、つまり王導の本籍地であり、洛陽よりも圧倒的に南方に逃れやすい地に赴任した元帝に「長江渡っとこうぜ、正直この辺やばい」とそそのかし、のちの南朝たちが都とする町、建業に。ちなみにこのとき「王導の計略を用いて」という言葉は頻繁に見えるのですが、「朝廷からの命令を奉じて」という表記は見えず、どこまでも王導の独断だったっぽい気配があります。その後まるで支持者のいない元帝に、瞬く間に支持者を取り付けさせる手腕は見事……というより気持ち悪い
 その後建業を拠点に、いとこの王敦とともに勢力基盤を確保、西晋の懐帝愍帝が立て続けに前趙の劉聡によって殺されると、ついに元帝を晋(=洛陽の北、黄河を渡った辺りの土地)とは全く関係ない土地で晋の国名をぶち上げて皇帝に即位させました。この功績から東晋建立の第一等とされるのですが、あまりに発言力が大きくなりすぎ、王敦もろとも元帝に警戒されるように。この警戒が王敦の乱を招き、王導の発言力削減にも繋がるのですが、将来王導の子孫が劉裕の下で東晋滅亡にいっちょ噛みしているのを知っていると、なかなかに趣深いです。

B-4 仏図澄

 他の人物とはやや毛色が違いますが、五胡十六国における仏教ブームの火付け役と言ってよいでしょう。西方出身の人で、カタカナだとブッダチンガ。怪力乱神を嫌うはずの歴史書になぜか謎のブッダパワーを炸裂させる逸話が多数載り、後趙で石勒よりの絶大な信頼を勝ち取るとなぜか軍事顧問にまでのし上がります。どんな生臭坊主だ。
 仏図澄の進言により、異国の謎の宗教であった仏教が一般世帯にも門戸がひらかれた、とされます。一般的な解説は「胡族たちは儒教にどうしても忌避感があり、その代わりの価値観の柱として仏教が重宝されたのではないか」とのこと。これは肯定するべきか否定するべきかで迷うところなのですが、先の恵帝と同じく、そうした方が物語としてわかりやすいのは否めません。
 東西晋の時代の士人については説話集『世説新語』が多くのエピソードを載せるのですが、まるで登場しない五胡人物の中になぜか石虎が一話だけ載せられています。どのような形かというと「仏図澄さん見事に石虎を飼い馴らしてたよね」というもの。
 えっアレで……?

B-5 慕容垂

 ミスター五胡十六国。石勒のほうが存在感としては大きいのですが、栄枯盛衰入り乱れる各国を渡り歩き、どこでも抜群の武威を誇り、どこでも疑われ警戒され、最終的には自らの国をおっ立てたけど親族に敗北してそのリベンジには成功したけど間もなくガス欠で死ぬとか、もうその生涯を見ていると「なんなのこのひと……?」ぐらいしか感想が思い浮かびません。マジでなんなの?
 出身は前燕、慕容皝の五男として産まれます。小さな頃から抜群の武威を誇りましたが兄にして皇帝、慕容儁との仲が最悪。それでも存命中はギリギリ忠誠を誓い、その死後も甥の慕容暐のもとで戦いました。けど伯父の慕容評と決定的な対立をし、前秦に出奔。慕容慕容うるせーなしかし。
 前秦でも抜群の武功を挙げますが、そのせいで抜群に警戒されます。そんな状態だったので、淝水の戦いで前秦の統制がガタガタになったのを見越し、自立。ちなみにこのときに苻堅から「なんでぼくを裏切るんだよう! アレほどマブな仲だったじゃないか! いやだいいやだい!」というお手紙を貰っています。歴史書の文章で「うわっこいつキモ……」って思ったのは後にも先にもあのときぐらいです。
 
自立後は、妹の孫である拓跋珪と対立。ただ慕容垂はこのとき病を患っていてまともに動けなかったため息子の慕容宝に戦いを任せました。そしたら息子が大敗して帰ってきたのでぶち切れて自ら出陣して北魏軍をコテンパンにします。病は?
 
もっともそこが本当の限界だったようで、間もなくして死亡。慕容垂という偉大な指揮官を失った国はその後拓跋珪によって併呑されていくのです。

 以上、重大人物五名をお送りしました。次話以降で重要人物十五名を紹介していきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?