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公転周期を描くバンド【ホームシック衛星2024 初日@K-Arena】

詳しいセトリなどは明記していませんが、多少のネタバレと盛大な主観的感情や個人的主張を含みます。

行ったことがないのに帰りたい場所

ホームシック衛星は私にとって、あと少しのところで手が届かなくて、手が届かないままずんずん離れていく、帰りたくて仕方ない場所だった。

ちょうど私がBUMP OF CHICKENを好きになり始めた頃、彼らがやっていたツアーが、2008年のホームシック衛星だった。

中学の友達に教えてもらって、すぐにBUMPのことが好きになった。ツアーをやっている最中だなんて知らなくて、友達から1枚、また1枚とCDを貸してもらい、ウォークマンに落とした曲を毎日必死に聴くだけで精一杯だったし、満足だった。

ネットやSNSも今のように発達していなかったし、携帯も持っていなかった。中学生の頃はライブに行くことを親に許してもらえず、許してもらえたとしても、ツアーが始まったあの時点で知ったとて、チケットも取れなかっただろう。

BUMPのライブに行きたいと思うようになるのは、ホームシック衛星が終わった少し後、2008年夏のこと。中学2年になった私は、ブラウン管を通してではあるけれど、初めてBUMPのライブを目の当たりにする(当時まだ地デジ化される前なので、本当にブラウン管)。

BUMPにしては珍しく、地上波で放送された特集番組があった。さいたまスーパーアリーナでのライブ映像や、インタビューなどを織り交ぜた、ドキュメンタリーのような番組だった。

そのライブは正確に言うと、ホームシック衛星が終わったあとに行われた「ホームシッ衛星」というアリーナツアー。ライブハウスツアーを回ったあと、似た名前のアリーナツアーを続けて回る、ということをBUMPはよくやる。

ブラウン管を通してであっても、BUMPのライブは素晴らしかった。私が心のどこかで感じていて、でも自分では言葉にも絵にも音楽にもできなかったことが、一切ゆがめられることなく、そのまま音楽になっていた。会場は、BUMPの音楽を切実に求めるバンドとリスナーの熱気で満ちていた。

でも映像を通して見ることと、生でライブを体験することの間には、大きな違いがある。私はホームシック衛星に行ったことがないし、ずっと行きたいままだ。BUMPのライブに何回も足を運んだとしても、ホームシック衛星に行きたいという気持ちは変わらない。

むしろ、ライブに何度も足を運び、生のライブでしか得られないものを体で感じ、生と映像の差を明確に認識するたびに、ますますホームシック衛星に行きたいという思いは募っていく。

もちろん今まで足を運んだライブの1つ1つが私にとって大切なものだし、どのライブからも、人生や価値観に影響を与えるようなメッセージをもらってきた。どれも特別なライブだ。

ホームシック衛星以外にも行けなかったライブはたくさんある。BUMPの全てのライブから言えば、むしろ行けたライブの方が少ない。

ライブに全日程行くことだけがファンとしての愛情表現でもないし、リスナーとしての自分を満足させる方法でもない。行けないライブがあることで、ライブに行ける喜びや感動を味わえる、そういうものでもあると思う。

だからそこはもう織り込み済みなはずなのだけれど、なぜかホームシック衛星に関しては、どうしても折り合いをつけられないでいた。

そうはいっても時間が戻せるわけではない。BUMPが結成した1996年の2月、私は1歳半だ。どんなに幼い段階でBUMPを知ったとしても、出会う前のライブは存在するだろうし、出会う前のライブを想って思いを募らせることは宿命的なものだ。そうやって自分を納得させたつもりだった。

なにかが不可能だと分かったり、禁止されたりするとき、その行動を「したい」と思う気持ちがかえって強まることを、カリギュラ効果という。押してはいけないと分かっているボタンを押したくなる、あれである。

ホームシック衛星に対する私の感情は、このカリギュラ効果なのだろうか。いや、そうではないと思っている。ホームシック衛星に対する感情は「偶然その時期にその場所を通りかかって、偶然ちょっとの差で手が届かなかった」とか「私にとっての原風景だから」とかいうことだけでは片付けられない。

私以外のリスナーにとっても、そしてバンドにとっても、ホームシック衛星は特別な場所なのではないか、という予感があるからだ。それは本当に予感でしかなく、何か言語化できる根拠や理由があるわけではない。

2008年のホームシック衛星に行ったことがない私に、当時と現在のライブを比較して、あれこれ考えを巡らせることはできない。私がホームシック衛星に感じている輝きの正体は一体何なのか、なんとか掴もうとして、この文章を書いているのかもしれない。

遠ざかっていく「ホームシック衛星」

「ホームシック衛星2024」の初日に参加して感じたことを書く前に、もう少しだけ前置きが続く。私が今まで見てきた、17本のライブについて、少し書いておきたい。

私が初めて行ったBUMPのライブは2012年の4月、GOLD GLIDER TOURの2日目、幕張メッセで行われたライブだった。その後10年あまりにわたって、BUMPのライブを継続的に追いかけて来た中で、私は1つの物語のようなものを感じている。

私がBUMPに出会ったとき、BUMP OF CHICKENの4人は、孤高の天才みたいな印象を広く持たれていたような気がする。実際天才だと思うし、常識や前例にとらわれず、自分たちの表現を貫き、新しい時代を切り拓いてきた存在という意味では孤高なのかもしれない。

そういう意味での孤高の天才ではなく、人柄が分からないとか、理解者を得にくいとか、誤解されやすいとか、そういうミステリアスで危うい存在というような見方があった。そしてその見方は、ホームシック/ホームシップ衛星以後のライブで、大きく変化してきている部分なのではないかと思う。

私が感じている物語とは、孤高の天才のような存在だったBUMP OF CHICKENが、自分たちが譲れないものを貫きながらも、信頼できる存在を1つ1つ認識し、少しずつ音楽活動をより深く、より軽やかにしてく、そういう変化だ。

それはライブ演出の変遷からも読み取れる。代表的な例はサブステージだろう。そしてステージ上でのメンバーの立ち振る舞いも、少しずつ、でも私たちの想像を超えて、どんどん変化していった。

BUMPのライブにサブステージが登場したのは2014年の「WILLPOLIS 2014」というツアーでのこと。当時ファンの間で「恥ずかし島」と呼ばれていた。「お客さんとの距離があまりに近くて、ちょっと恥ずかしい」という旨の、メンバーのMCから来ている通称である。

「恥ずかしい」という言葉とは裏腹に、その後のツアーでもサブステージは設置され続けた。会場の中央に長い花道が設置されたり、花道とサブステージがくっついて、縦横無尽に移動しながら演奏するようになったり。

2023年の「be there」ツアーでは、1曲目をいきなりサブステージから始めるという、型破りな演出まで見せてくれた。1つ1つのライブを目の当たりにするたび、「お客さんとの距離をもっと近く」というバンドの意思と、どんどん近づいていく心理的距離を、私とバンドとの間に感じていた。

それからPIXMOBの演出。PIXMOBとは観客に配られるリストバンド型のLEDライトで、曲に合わせて色とりどりに点灯する。手首につけて掲げることで、それがライブの大切な演出になる。

僕がここにいること。君がここにいること。PIXMOBの揺れる光が、そのことを視覚的に伝えてくれる。あの光を揺らしているのは、BUMPの音楽を大切に聴いている誰かなのだ。

客席から見る景色の真ん中には、BUMPの音楽を大切に大切に聴いている人たちに囲まれて、音楽を奏でる4人の姿がある。それは私にとっても幸せで、温かい光景だった。

しかし「孤高の天才」から「親しみやすさ」へ、そんな矢印を引っ張ることは、ホームシック衛星からはどんどん遠ざかっていくことも意味する。

彼らに対して抱く「孤高の天才」という印象は、BUMPの「僕らがどういう人間かはどうでもよくて、それよりも音楽を聴いて欲しい」というスタンスの裏返しだったのではないだろうか。だからメンバー自身への心理的距離は遠く、ミステリアスな人物に映っていたのではないかと思う。

ホームシック衛星以降のライブで、バンドとリスナーの距離を心理的に近づけてくれたのは、音楽以外によるところも大きい。ライブでの物理的な距離を近づけることや、音楽以外の情報をきっかけや手掛かりにすることは、音楽への共感や理解を深める手助けにもなる。

自分が深く共感し尊敬するバンドが、温かい光景の中で輝いていることは、一人のファンとして嬉しいことだ。だけど心の底から求めていたのはきっと私もバンドも同じように、あの「ホームシック衛星」だったのではないか。

中学2年のとき画面を通して感じた、音楽を求める切実な熱気だけを手掛かりに、もう戻れないホームシック衛星を想い続ける。そこが一体どんな場所なのかも分からないまま「あの場所に帰りたい」という想いだけがあった。

遠ざかっていくホームシック衛星から、私はずっと目が離せなかった。そうは言っても時間は戻せない。出会う前のことを想い続けても仕方がない。とっくに受け入れたことのはずだった。目が離せないまま動かないだけで、その想いはほとんど息をしていなかった。

2023年10月、「ホームシック衛星2024」というタイトルでツアーをやることが発表された。2008年の「ホームシック衛星」のリバイバルツアーだ。

ツアー発表と一緒に公開されたメインビジュアルを見て、度肝を抜かれた。2008年のツアービジュアルが、そっくりそのまま再現されていたからだ。

青い空間の中に4人が立ったシルエットが写され、後ろには「orbital period」のジャケットにも描かれている鳥の形の光源「星の鳥」がある。私が出会った当初、BUMP OF CHICKENのビジュアルといえばこれだった。

この16年の間に、4人の体格や姿勢も少しは変化しているだろうし、スタッフの入れ替わりや撮影技術の変化など、さまざまなことが違うはずだ。今回のツアービジュアルの寸分違わぬ再現度に、このツアーに対する並々ならぬ思いを感じた。

そして、とっくに受け入れていたはずの「ホームシック衛星に行きたい」という思いが、私の中で息をし始めた。

リバイバルツアーをするに至った経緯について、詳しくは藤くん自らの言葉で綴られたこちらの記事を読んでいただければと思う。ご本人は長いことをことさらに気にしているが、長さなんかどうってことないくらい面白い。冒頭の「どうも藤原です。」からしてなんかもう藤くんだな~~と思った。もう本当に最高。もっと読んでいたいとすら思う。

公転周期をぐるりと描いて戻ってきた

長いという点においてだけは、私のこの文章も負けてはいない。長い前置きを要約すると、私にとってホームシック衛星は他のライブとは違った輝きを放つ場所で、でも、その輝きの理由には「私の原風景だから」とか「あと少しのところで手が届かなかったから」ということで片付けられない何かがあると思っている。

ホームシック衛星は16年かけて、文字通り衛星のように、公転周期をぐるりと回り私たちのもとに戻ってきた。それは決して当たり前のことではない。リバイバルツアーができるミュージシャンもまずそれほど多くないだろうし、バンドもファンもこれだけ高い熱量を持った状態で作り上げられることは、どれほど稀有なことだろうかと思う。

でも私はこれを「奇跡」とか「確率の少ない偶然」という言葉ではどうしても片付けたくない。

ホームシック衛星が私にとって、私たちにとって特別な場所である理由とは、一体なんなのか。その答えを探そうとして、ホームシック衛星2024の初日を迎えた、と言えれば格好がつくのだろうけれど、そんな問いを持つことすらできなかった。何が起こるのか想像もつかないまま、ふわふわとしたまま、ライブ当日を迎えた。

でも、バンドに対する確固たる信頼だけはあった。BUMPは私の想像なんか遥かに超えて、いつだって期待以上のものを見せてくれるバンドだ。

SEからそのままライブに突入し、20曲近くを演奏し、舞台袖に下がっていく藤くんの白い背中が見えなくなるそのときまで、紛れもなく「ホームシック衛星」だった。ずっと心待ちにしていたホームシック衛星を目の当たりにして、「本当に帰ってきたんだ」という心地がした。

ライブに行ってホッとするというのは初めてだ。高揚感を感じる場面や、心をぎゅっと掴まれる瞬間ももちろんある。でもその根底に「ずっと帰りたかった場所に立っている」という充足感があった。

16年前のホームシック衛星とまるきり同じわけではない。16年前にはなかったサブステージやPIXMOBの演出があるし、メンバーの演奏も大きく異なる。会場だってライブハウスではなくアリーナだし、来ているお客さんも変化しているだろう。

そんな中で、一体何がこのライブをホームシック衛星たらしめているのか。まず演出。ここ最近の10年ほどのライブとは大きく違っていた。

ステージ照明が暗めで、モニターに映し出されるメンバーの映像は白黒、表情があまり見えない。カット割りも、前までは4人が均等に、さまざまなアングルで映し出されることが多かったが、今回は歌っている藤くんの顔がメインに映し出されて、カットの切り替えが少ない。

演奏に関しても、ライブアレンジや歌詞変えがいつもより少なかった。何年もライブで演奏し続けている曲だったりすると、ライブアレンジがどんどん増えていって、アレンジの方が定番化している箇所もあったりする。それを一旦取捨選択して、今日の、この、「ホームシック衛星2024」というライブに本当に必要な部分だけを残している、という印象だった。

今まで見てきたライブの中で一番、曲が、歌詞が、際立っていた。途中から私と曲だけが存在するかのような感覚に潜っていった。客席に集まった他のお客さんの存在は、見えているし感じているけれど、いないような感覚。もはやBUMPの4人もそこにいないかのようだった。

自分の部屋で1人、目をつぶってイヤホンで曲を聴いているときと同じ気持ちになる瞬間があった。いつの間にかライブであることを忘れて、普段の生活のことなんかをとめどなく考えていた。

今までの私だったら「ライブ中に普段のことを考えるなんてもったいない!音も光も、一つも取りこぼすことなく、ちゃんと受け取らなきゃ!」と思うようなところだ。この日はそうは思わず、ライブと普段の生活が地続きで感じられて、ここで普段のことを考えることに、すごく意味を感じたのだ。

これに関しては、このツアーに参加した他のお客さんにも言えることなのか、つまり演出や演奏によるものなのか、それとも私自身の心境や生活環境の変化によるものなのかは分からない。でもきっと、このツアーでなによりも純粋に曲が際立って感じられたのは、私だけではないはずだ。

家でイヤホンで聴いているのと違うのは、曲と私の間に、動いてやりとりされ、呼応している何かがあるということ。今BUMPが出した音が私の体に届き、私の全身を音楽が震わしているということ。

自分の部屋のような安心感と、一人じゃない、寂しくないという安心感。「ああこれがホームシック衛星か」と身を持って感じることができた。

正真正銘今のBUMPが、正真正銘ホームシック衛星を、今の私に届けてくれた。今回のセトリの中で、2008年以降にリリースされた曲が1曲だけあるのだけれど、その選曲が本当に、今のBUMPとホームシック衛星を繋ぐ架け橋として、ツアー初日に選ぶのに、これ以上ないほどぴったりな選曲だったと思う。

つまり、つい先日リリースされた新曲「Sleep Walking Orchestra」は演奏されていない。このことに、BUMPがこのツアーにかけた生半可ではない覚悟が現れているように思う。

ほとんどのリスナーが、新曲をライブで聴けることを楽しみにしていただろうし、私もその1人だった。新曲をやらないという決断は、ファンの期待を裏切ることにもなりえるだろうし、慣例を破るハードルもいろいろとあったのではないかと思う。

そして彼らは「曲はライブで演奏して初めて完成する」という旨の話をよくしている。ライブでお客さんの反応を目の当たりにすることで、その曲が生まれ、誰かに届いたという実感を持てる、そういう意味だろう思う。

だから新曲をライブでやるのを心待ちにしているのは、誰よりも本人たちのはずだ。

それにBUMPは「また次のライブでやればいいよ」と安易に考えるバンドではないと思う。MCなどでもたびたび「次また当たり前のようにライブができるとは考えていない」という話をしている。

だから「ホームシック衛星2024」がリバイバルツアーだとしても、新曲をやらないということには相当な意思があったのではないだろうか。「ホームシック衛星」を作り上げたいという意思、絶対に次もまたライブをやるんだという覚悟、そういう強い想いとして私は受け取った。

「中身」と「距離」と「角度」

ライブ中、2つの衛星が同心円上でぐるりぐるりと宇宙を旅する様子を頭に浮かべていた。1つはBUMP OF CHICKENというバンド、そしてもう1つはリスナーである。

衛星がぐるぐる周回運動する中で変化することには、大きく分けて3つがある。それは「中身」と「距離」と「角度」だ。

「中身」とはつまり衛星自体の状態。バッテリーを消耗したり、経年劣化したりもすれば、新たな調査データを得たりもするだろう。人間に置き換えるなら肉体とか思考とか精神状態とか、そういう類のものになる。それぞれ違うものを持って生まれて、1つ1つの「中身」も常に変化していく。

変化し続ける「中身」を抱えて、2つの衛星は円を描いてぐるぐる回る。私たちは全く同じ軌道を同じ速度で運動しているわけではない。だから遠ざかることもあれば、近づくときもある。そんな風にバンドとリスナーの「距離」は常に変化していく。

そして2つの衛星が周回軌道を動いていくうち、周囲の物体やお互い自身の重力で、少しずつ軌道自体も動いていく。お互いを見る「角度」も変化していく。

当然ではあるけれど、1回目に接近したときと2回目に接近したときでは、同じ衛星同士だったとしても、いろいろなことが少しずつ違う。でも「ここ何年かの間では、今一番近くにいる」ということだけは、1回目と2回目で同じなのだ。

「今一番近くにいる」ことこそが、このツアーを「ホームシック衛星」たらしめていることの証なのではないかと思う。

このライブに対する敬意や感謝に値する拍手を彼らに届けるには、私の両手はあまりに小さすぎる。そしてその両手の指を必死に動かして、私はこの文章を書いている。

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