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お雑煮食べたい、実家帰りたい

うちのお雑煮は、スタンダードな関東風である。昆布で出汁をとり、醬油ベースで、具は鶏肉と大根とにんじんと小松菜と、なると。もちろん四角いお餅も、焼いてから入れる。

最後にゆずと三つ葉を添えて、のりをちぎってかけて完成。幼い頃からちっとも変わらない。唯一変わったとするなら、母の料理の腕が上がって、何度温め直して煮詰まっても、鶏肉が固くならずに食べられるようになった。

飲食店で働いていたころ、お正月休みなどなかった。むしろお正月はかき入れ時だから、年賀状もおせちもお雑煮も用意する暇はなく、大掃除も出来ず、ひたすら仕事。実家に帰って年越しするなんて夢のまた夢。

年末年始、とくに忙しくなるのはレジャー施設近くの店舗だった。数日間泊まり掛けで他店舗へ応援に駆り出されることも多く、ホテルで年越しを迎えるときもあった。コンビニでおひとりさま用のおせちを見つけ、ビールと一緒にありつければ良い方である。

3が日が過ぎて、仕事が落ち着いた休日に実家へ帰ると、母が私のためにお雑煮を用意してくれている。残っていた黒豆と一緒に食べて、年明けを感じながらほっと一息つく。それが毎年の恒例だった。

お正月くらい休みたい。たいていの人はそう思う。私の場合、お正月働く代わり、2月あたりに遅い冬休みがもらえるので、それを楽しみに頑張ることができた。

入社した時点で、世の中のカレンダー通りに休めないのは覚悟の上だ。「休みたい」という思いが無いと言えばウソになるけれど、今さらそんなこと思っても仕方ない。

今頑張る代わりに、2月の平日、街が空いている日に思う存分連休を楽しんでやるぞと意気込んで、正月の消費の渦に身を投げる。そんな感じで毎年働いていた。

ただ、アルバイトの学生さんや主婦さんはそうはいかない。普段学校や家事で世の中のカレンダー通り頑張りながら、アルバイトも頑張っている。「正月くらい休みたい」と思って当然じゃないか。

主婦さんに限って言えば、お正月こそ家のことが忙しくなる時期である。冬休みで子供や旦那さんが家にいる上に、大掃除や、年末年始のごちそうの用意や、親戚へのあいさつ回りなど。

「休みたい」と言っても、文字通りゆっくり休んでいるわけではない。外に働きに出ている暇などないと言われても仕方ない。

しかし、飲食店の多くはアルバイトさんなしではやっていけない。だからお正月はいつだって、多分どこだって人不足だ。シフト交渉しまくって、少しずつ入ってもらって、あとは社員が残業シフトをびーっと引っ張って、どうにか融通して乗り切るしかない。

ある年の1月1日、私は確か、朝10時から22時というシフトだった。前日も日付が変わるギリギリまで月末処理をしていたので、起きるのはなかなかに苦しかった。

眠い目をこすって出勤すると、朝3時間だけならいいよといって入ってくれた主婦さんと入れ違いになった。帰り際、20センチ四方くらいの紙袋を手渡してくれた。

中をのぞき込むと、個包装の角切り餅が2つと、容器にきれいに詰められたおせち。その下には、液漏れしないようラップで丁寧に包まれて、お雑煮が入っていた。

「おせちとお雑煮、作ってきたから食べな~」

目が潤むくらい嬉しかったのは言うまでもない。家族のことで大忙しのはずなのに、シフトにも出てくれて、その上で赤の他人の私に、こんなに手間をかけておすそ分けまでこさえてくれるなんて。

仕事を終えて家に帰ると、そそくさと紙袋を明け、トースターでお餅を焼き、鍋でお雑煮を温めた。

Sさんは私の母と同い年くらいで、料理上手で有名だった。将来自分で小料理屋をやるのが夢だと話してくれたこともあった。だからおせちだって、黒豆や伊達巻、栗きんとんに角煮と筑前煮、全部手作り。

お弁当用のおかずカップやバランを上手に使って、容器にきっちりきれいに詰められていた。かまぼこは、スライスした状態からイチョウ型に半分に切って、紅白を互い違いに、市松模様のように並べられている。

お椀にお餅を淹れ、お鍋からお雑煮をよそう。「お」のオンパレードがなんとも正月らしい。

普段だったら、どうせ自分が食べるのだからと盛り付けなんて適当だけど、Sさんの気持ちを無下にしたくなくて、お雑煮のなるとが一番上になるように、きれいに揃えて盛り付けた。

お雑煮を一口すすって、驚いた。美味しさに対してだけではない。実家の味付けと寸分違わず、全く同じ味がしたのだ。

もちろん私もSさんも関東出身なので、入っている具やベースとなる味付けはほとんど同じだろう。でも、私の母もSさんも市販の顆粒だしなどは使っていなくて、だしから自分で取っていると話していた。使う調味料の種類や分量も違うはずなのに、こんなに似てるなんて。


正月だからって休まなくたっていいや。どこ行ったって混んでるんだから、わざわざカレンダー通り休まなくていい。お雑煮もおせちも別に、お正月気分でなんとなく食べているだけで、特段好きっていうわけじゃないし。

それなりに楽しく、仕事にやりがいを持って生活していたし、社会人になって数年経っていた。今更、お正月に実家に帰れないからと言って寂しいなんて思っていなかった。

泣くつもりなんてなかった。あの年のお正月、アパートで一人泣いたのは、Sさんの優しさが、ちょっと疲れた心に染みただけだ。

仕事をやめた後も、SさんとはSNSで繋がっている。いいねやコメントこそしないけれど、作った料理やわんちゃんの写真を投稿しているのを見かけると、ちょっとほっとする。

Sさんちのおせちとお雑煮は、今年も丁寧で、とてもおいしそうだ。

コンビニでクエン酸の飲み物を買って飲みます