『鋼の錬金術師』 5巻 感想
概要
著者:荒川 弘
初版発行:2003年
デジタル版発行:2012年
発行人:田口 浩司
発行所:株式会社スクウェア・エニックス
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発行者による作品情報
感想
前半(第17話「にわか景気の谷」~第19話「あんた達のかわりに」)では、"生命の誕生"と"どん底からの復活"という二つの点を通じてエドワードが国家錬金術師として生きる覚悟の片鱗を見事に描いています。
前者は、山奥での出産騒動。ふもとから医者を呼ぼうにもつり橋は落雷で焼け落ちている。エドは橋を練成しようとしましたが上手くいかない。そうこうしているうちに時間が無くなり、機械鎧職人のドミニクさんは遠回りの道を選びました。この時のエドの無念たるや。
言葉少なくとも、自分自身への憤りや無力感はひしひしと伝わってきます。元々の理由はともかく、錬金術師になったことで目的に近づくだけでなく今まで以上に大切な人の力になれると思っていたはず。そのはずが、錬金術をもってしても力になれない。ただでさえ(良くも悪くも)まっすぐで自信満々なエドですから、その気持ちは察するに余りあります。
後者は、国家錬金術師の証である銀時計。正確には、アルフォンスや(今回盗み見るまでは)ウィンリィですら見たことがないその中身。蓋の裏には「Don't forget 3.OCT.11(忘れるな 11年10月3日)」と彫られていて、肝心の時計は4時1分で止まっている。はっきり言って、これだけではなんのことやらです。が、エド本人やウィンリィには意味が通じるようで、本人曰く「自分への戒めと覚悟」、それを見た彼女はエドの為に機械鎧職人としての腕を磨く決意を強めるものでした。現時点では「おそらく11年10月3日 4時(16時?)1分に住んでいた家を焼き払ったのだろう」ということまでしか推察できませんが、文面以上の覚悟で"軍の狗"に成り下がったことは伺えます。これだけのやり取りで、行そのものにも行間にもエドの覚悟を濃くにじませられる。流石の腕前です。
そして、安定して名言のオンパレード。
個人的に一番響いたのは次の台詞。
流れを説明すると、スリの少女・バニーニャが両足に機械鎧をつけた経緯と(べらぼうな値段の機械鎧を無償で付けてくれたうえに、スリで稼いだ代金を受け取らない)ドミニクさんへの感謝を話し、それに対してウィンリィが「本当にドミニクさんに感謝しているならスリなんてやめなさい!」と叱った場面での名言です。
ドミニクさんがバニーニャの足に機械鎧を付けたのは見返りを求めてじゃない、ましてや犯罪をさせるためじゃない。彼女に"生きる希望"を与えるためです。だとしても個人的な趣味で仕込み武器満載なのはどうかと思いますが。「本人は無償で付けてくれたけど、相応の代金は支払わなきゃ」という考えになるあたり、バニーニャは間違いなく良い子なのですが、そんな彼女でも「真っ当な方法でだと一生かかる」となればやむを得ず…ということでしょう。ましてや恩義からくる焦りもあったとは思います。そう言う意味では、ウィンリィの"お説教"は、彼女にスリと決別させる決定打、最後の一押しになったとも言えます。
同時に、ウィンリィもまた、エルリック兄弟と触れ合ううちに「等価交換」という錬金術の基礎概念が身についているということが分かります。
後半(第20話「師匠の恐怖」~第21話「二人だけのひみつ」)は、兄弟の師匠であるイズミ・カーティスさんとの再会からの所謂"過去編"。
エルリック兄弟が錬金術の道に進み始めた最初の理由は「母が喜んでくれるから」。たったそれだけの、実に単純明快、無邪気な理由でした。ところが、母の病死。そこから兄弟の運命は狂い始めます。本で見た"人造人間"の錬成を画策する兄弟。人体錬成は法律で禁止されているレベルの"禁忌"ですが、動機は「もう一度母の笑顔が見たい」というこれまた無垢なもの。実にダークファンタジーらしい、「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉がよく似合う経緯です。流石荒川先生。
そして、独学での錬成計画に限界を感じていたところに、通りすがりの凄腕錬金術師であるイズミ師匠と出会った。早速修行…と思いきや、言い渡されたのは無人島での1か月サバイバル生活(錬金術禁止)と「一は全 全は一」という謎の言葉。兄弟同様「なんだそりゃーーーー!!!」となりましたね。早速錬金術の何たるか…と思いきやこれですもの。流石荒川先生(本日2度目)。
そして、安定のオマケでした。
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