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『どうする家康』 第43回「関ヶ原の戦い」 感想


概要

放送局:NHK 総合テレビ、NHK BSプレミアム、NHK BS4K
放送日時:2023年11月12日(日曜日) 18時00分~18時45分(BSP、BS4K)
     2023年11月12日(日曜日) 20時00分~20時45分(総合)

脚本:古沢 良太
音楽:稲本 響
語り:寺島 しのぶ

番組公式サイト リンク

感想

変わったのはお前か、俺か。

 遂に決裂した徳川家康と石田三成。今回描かれるは天下分け目の関ヶ原です。

 序盤では前哨戦となる真田攻めや強かな情報戦の様相が。家康が三成を貶める讒言や「徳川方についた方が後々有利」という旨の書状と言った"釣り糸"を垂らす傍ら、三成は「自分も豊臣のため戦う」という気概を見せて小西行長ら重鎮の信頼を得ます。本当にどっちが主人公なんだ。
 一方、徳川秀忠(演:森崎ウィン)の真田攻めは大苦戦。とても関ヶ原には間に合わないと悟るや、家康は眉一つ動かさず「秀忠は置いて、先に関ヶ原に向かう」と。怖い。こういうときにギャースカ喚き散らされるよりも、粛々と正しいことをされた方が"やらかした側の罪悪感"は大きくなるということを知ってのことかはともかく、個人的にかなり恐怖を感じました。秀忠の心境を思うとこっちまで胃が痛くなる…。

 そして、文字通り「火蓋が切って落とされた」関ヶ原の合戦。井伊直政の軍勢が赤備えに騎馬隊というかつての武田軍を彷彿とさせる出で立ちで切り込めば、小西行長や島津義久の軍勢が迎え撃つ。ここまでは若干西軍が優勢ながらもほぼ五分五分(六分四分といったところでしょうか)。
 ところが、西軍側の小早川秀秋(演:嘉島陸)はいまだ見。徳川と内通している吉川広家(演:井上賢嗣)は「腹ごしらえ」と称して軍をとどめる始末(そしてそのせいで吉川勢の後ろに構える毛利秀元は動けない)。ここの小早川ですが、通説上の彼に見られるようなひ弱さというか風見鶏的な感じは全く見られず、むしろ勝った方の味方ヅラした上で「いずれこの俺が天下を取ってやる」と虎視眈々しそうな強かさすら感じられる。「少年時代は芸事に秀でた神童であったなおお酒を飲むようになった後」「陣羽織は鮮やかな猩々緋で、背中いっぱいに"違い鎌"の文様があった」という逸話や研究結果もあるので、そういった面から"聡明な少年"としての彼を描いたのでしょうか。
 「家康の根回しが上手くいっていること」の表れなのですが、同時に「三成の人望のなさ」の表れでもあるので、ちょっと三成に同情してしまいました。利発でいて忠義に厚い好漢なだけに、つくづくそこが悔やまれる…。(ちょっと話はそれますが、後の世で水戸光圀は三成の忠義心をかなり高く評価していたらしいです。今までの彼をみているとそれも頷けますね。僕もこの作品でだいぶ三成ファンになっている気がします。)

 一方、大坂城では阿茶局と淀殿が対面。図々しくも「秀頼殿を徳川に預けてほしい」と申し出た阿茶局に対し、訪問してきたことそのもの含めて「ハッタリの上手い女子」と皮肉交じりに褒めつつ「帰りには気をつけろ」とベタな脅しをかける淀殿。そりゃあそうだ。(色々と事情が絡んでいるとはいえ)淀殿から見た家康は「秀吉が積み上げた"天下統一"に便乗して天下人気取りする傲岸不遜なたぬき親父」ですから。そんな奴に秀頼を預けたらいいように利用されるのは火を見るよりも明らか。(徳川方の腹積もりが「真に『徳川と豊臣が手を取り合っての"戦なき世"』を目指す」のか、「体裁を取り繕って、実質的には『徳川による豊臣の傀儡化』」なのかは測りかねますが、)"秀吉の妻"として、そして"秀頼の母"としてそんな様は見たくない。「帰りには気をつけろ」の一つや二つ言いたくもなるでしょう。

 場面を関ヶ原に戻すと、ここを"勝負所"と見た家康は、機を逸さないため、"流れ"を取られないために自ら進軍。総大将直々に前線に出るというまさかまさかの行動に、西軍は困惑、東軍は士気増加。一気に形勢逆転してしまいました。"勝負所"に関して根拠がほしかったなとは思いますが、それ以上に「総大将としての人望」を描きたいシーンと思われるので、まあいいでしょう。
 これには小早川も「東軍に付く方が有利」と決断。寝返りラッシュの先陣を切っていきました。先述したように通説上の彼にみられるひ弱さは全く感じられない、むしろ"家康からの脅し"が描写されず、自己判断で寝返ったことになるため、強かさすら感じる小早川です。ひねくれた見方をすれば"勝ち馬ただ乗り野郎"と言えなくもないですが…。
 西軍武将の敗走・戦死を次々と聞いた三成は、最早これまでと思ってか戦場を後にしました。生きてさえいれば反撃の目もある…と言えば聞こえはいいですが、自ら前線に出た家康と対比すると、そこが"将としての器"の差なのかな、とも感じたり…。現場からすれば「自分たちを差し置いて逃げやがった」となりかねませんからね(というか多分なっている)。「三成が人望ないのはそういう所の積み重ね」と言われたらちょっと納得してしまう…かもしれません。悲しいなぁ。
 逆に"死に場所"を求めてか、向こう見ずにも立ち向かったのが島津勢。功を焦った直政と差し違えて逝きました。

 その後、西軍についた諸武将の処遇が次々と決まっていき、最後は捕縛された三成。「何故この戦を起こした」「お前のせいでたくさんの人が死んだ」「何がお前を変えた」と責める家康に対し、三成は「私は何も変わっていない」と一言。そして、「お前の中に"戦を求める心"がないと思っているのか」「自惚れるな」と返す言葉を突きつけました。
 家康自身、「好戦的」って訳じゃないけれど、それでも漫画『ONE PIECE』の言葉を借りて言うなら「平和を知らねェ子供」の側ですからね。すすんで事を荒立てるまではしなくても、「『お手々繋いで仲良しこよし』はあり得ない」ということは嫌でも悟っています。三成の言葉は家康のそれを洞察してのことでしょうか。とんでもない置き土産を家康に残していきました。

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