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落合監督の強さ

#見返したい名試合 というタグがあった。次元の二三を問わず、スポーツの名試合を振り返るものだ。
 僕の中でこれに相当するのは、やはり「2007年 プロ野球日本シリーズ第5戦」だ。

前置き ~僕とドラゴンズ~

 当時の僕に「一番好きなプロ野球チームは?」と聞いたら間違いなく「中日ドラゴンズ」と答えただろう。その理由は至極簡単、「青いユニフォームだから」だ。当時の僕は人の肌でさえ青く塗りたがるくらい、青色が好きだった。
 だから当時からドラゴンズは好きだったが、当時からファンだったわけではない。この試合で起こった世紀の大事件は当時監督だった落合博満氏が後に出版した本『采配』で初めて知ったし、ほかの詳しい展開など、この一戦を正捕手だった谷繁元信氏と共に振り返るというBSのテレビ番組(たしか2020年春に放送されたものだったはず)で知ったくらいだ。
 それでもこの試合を推すのは、これに、特にあの大決断に落合監督の「強さ」が顕れていたと思うからだ。

2007年のドラゴンズ ~決戦への道程~

 2007年のペナントレース、ドラゴンズはセ・リーグ2位だった。しかし、この年から導入されたクライマックスシリーズでセ3位の阪神タイガース、1位の読売ジャイアンツを下し、日本シリーズへの切符を手に入れた。
 対戦相手はパ・リーグ優勝チームの北海道日本ハムファイターズ。球界最強エースのダルビッシュ有(現 MLBパドレス)や遅咲きの好打者・稲葉篤紀(現 日本ハムGM)を擁する強敵だ。
 実は前年(2006年)の日本シリーズもこの対戦カードで、ドラゴンズは初戦を制すもそこから4連敗してしまい、日本一を逃していた。

 こうして始まった日本シリーズは、初戦こそダルビッシュの好投に沈むも、第2戦から反撃を積み重ねて3連勝。日本一に王手をかけていた。

第5戦 試合概要 ~世紀の采配~

 ナゴヤドーム(現 バンテリンドームナゴヤ)で行われた第5戦。ファイターズの先発投手は圧倒的エース・ダルビッシュ。対するドラゴンズの先発は山井大介。
 山井は好不調の波が激しい選手で、この年も優勝争いに絡んだ9月は好投したものの、クライマックスシリーズを右肩の違和感で登板回避。
 ドラゴンズ不利かと思われた。

 ところが、山井は序盤から安定したピッチングでファイターズ打線を圧倒。それに応えるかのようにように、ドラゴンズも2回裏にプロ2年目の若手・平田良介の犠牲フライによって1点を先制した。
 そして、山井は8回まで四死球やエラー含め1人の走者も許さない、所謂「パーフェクトピッチング」を継続した。9回も山井を続投させて「日本シリーズ史上初の完全試合」へ─。誰もがそう思っただろう。しかし、落合監督がマウンドに送ったのは山井ではなく、守護神の岩瀬仁紀だった。
 岩瀬はファイターズ打線を3人で仕留め、見事ドラゴンズは日本一に輝いた。

名将の決断、参謀の視点 ~強い組織であるために~

 これでめでたしめでたし…となるはずがなく、この采配は日本各地で物議を醸した。
 落合氏も『采配』で

私の采配について何かを論じようとする時、必ずと言っていいほど出てくるのが2007年の北海道日本ハムとの日本シリーズ第5戦のことだ。
落合博満『采配』 デジタル版103頁|2章 勝つということ|16 采配は結果論。事実だけが歴史に残る

と述べている。
 当時ドラゴンズの球団オーナーだった白井文吾氏や、タイガースの監督を務めていた(そして今年から再び指揮を執る)岡田彰布氏など肯定的意見を表明する方も居たが、おそらく当時の論調(少なくとも"外野"のもの)は否定的意見が強かっただろう。
 落合氏を尊敬している僕自身、内情を知らない者が傍から見れば「非情な采配」と思うのも多少理解できなくもない。

 しかし、その内側は「非情」とは縁遠いものである。
 それどころか、ここにこそ落合監督の、そして彼の築き上げたドラゴンズの「強さ」があると言っても過言ではないと思っている。

 まずは当時の内情。これは『采配』や、当時バッテリーチーフコーチだった森繁和氏(元 西武)の著書『参謀』、また当時ドラゴンズの一員だった方々の証言によって徐々に明るみに出てきている。
 実は、山井はこの試合の中盤で指のマメが潰れてしまっていた。それでも8回までは先述のように完璧な投球(谷繁氏によると、7回くらいから球のキレが落ちていたらしいが)を続けていた。
 8回表が終わり山井がベンチに戻った時、森氏は山井に9回をどうするか尋ねた。その時の山井の答えは「岩瀬さんでお願いします」だったという。山井が痛みに耐えながらファイターズ打線を沈黙させていたのは、リードを保って絶対的守護神に繋ぐため、つまり最善手で勝負を決させるためだった。その言葉を聞いた落合氏と森氏は即座に交代を決意した。

 そして、この試合の意味するところ。
 落合氏も森氏も「もしこの試合を落としたら、またしても日本一を逃してしまう」という確信に近い予感を抱いていた。日本一まであと1勝、あと1イニングからの逆転負け、それもホーム球場での完全試合直前からとあらば、チームの士気や勝負の流れがどうなるかは想像にかたくない。

 彼らも、いちプロ野球OB(あるいは"野球好き")として山井の完全試合を見たかった気持ちはあったろうし、それは「山井が『9回も行かせてください』と答えたら続投させていた」と随所で言うことからも伺える。
 しかし、その時の立場は「中日ドラゴンズの監督・コーチ」だ。『采配』でも次のように述べている。

そこで最優先しなければならないのは、「53年ぶりの日本一」という重い扉を開くための最善の策だった。
落合博満『采配』 デジタル版108頁| 2章 勝つということ|16 采配は結果論。事実だけが歴史に残る
責任ある立場の人間が下す決断 ── 采配の是非は、それがもたらした結果とともに、歴史が評価してくれるのではないか。ならばその場面に立ち会った者は、この瞬間に最善と思える決断をするしかない。そこがブレてはいけないのだと思う。

「こんな判断をしたら、周りから何と言われるだろう」

そうした邪念を振り払い、今、この一瞬に最善を尽くす。
監督の采配とは、ひと言で言えば、そういうものだと思う。
落合博満『采配』 デジタル版109-110頁|2章 勝つということ|16 采配は結果論。事実だけが歴史に残る

 そう、彼らはあの時、(山井の気持ちを汲んだ上で)責任ある立場の者として、最善を尽くしたのだ。

 また、三者凡退に抑えた岩瀬も見事と言う他ない。

あの時の心境を振り返ると、「山井は残念だった」というよりも、「ここで投げろと言われた岩瀬はキツいだろうな」というものだったと思う。
落合博満『采配』 デジタル版108頁|2章 勝つということ|16 采配は結果論。事実だけが歴史に残る
今でも思うのは、なぜマスコミは、あのとき、もっと岩瀬のことを褒めてくれなかったのかということだ。山井のことは誰でも「惜しいことをしたが見事だった」とねぎらってくれる。だが、完全試合をやってきた仲間の気持ちを背負って、代わりに最終回の7、8、9番に対峙する。そんな状況のなか、この1イニングを、この1点をしっかりと守り切ってくれた岩瀬の冷静さ、精神力の凄さにすぐに気づき、もう少し誰かが褒めてやってくれてもよかったのではないかと、思うのだ。
森繁和『参謀』 デジタル版74頁|第一章 なぜしぶといチームは完成したのか|完全試合の山井を交代させた組織の強さ

 「勝つことが最大のファンサービス」というビジョンを掲げ、それを達成するための道のりを見据えた采配に徹する監督。そして、より良い結果を導くために各々が自分のすべきことを考え、着実にこなすチーム。これこそが、落合監督と彼が率いたドラゴンズ最大の強さだと考えている。


 長文を読んでいただき、ありがとうございました。

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