29話ままならぬ玉のこと〜鎌倉殿の13人を見たあとのクソデカ感情を吐き出したい〜
引き続き、鎌倉殿をみたクソデカ感情、略して鎌デカ感情を吐き出していきたいと思います。
今回は29話、ままならぬ玉です。
もちろんネタバレなので、見てから読んでください!
実際、これまでの地獄に一風の清涼が、と思ったと思います。
三谷さんらしいウェルメイドコメディが展開され、武衛の皆様も少しホッとできる回でしたよね、最後の最後の急転直下以外は。
最後の最後、「ひぃ!!」ってなるベース地獄仕様。
ていうか、最初も怖かったですけど。巾着の下り。
あんだけやってまだあの世から小四郎を試す景時。そして眉一つ動かさない小四郎。怖ーい。ほんと怖ーい。
というか、ままならぬ、は誰にとってのままならぬ、なのかという話で。
タイトルそのままに考えるのならば、比企にとって、北条にとって、義時、政子ら運営チームにとっても、頼家は確かにままならぬ玉に違いなく。
ですが、己の政権運営がままならないのは他ならぬ頼家です。
蹴鞠に、思うままになる玉に逃げ込む描写は、忠臣梶原景時を失い、孤立を深める立場そのものにも見えます。
頼家からすれば、自分が何を失敗しているのかすらわからないと思うのですね。
太郎の書状破棄が行政をゆがめるのは確かですし、五郎が止めた僧の殺害も、なぜいけないのかわからないでしょう。
それぐらい、「鎌倉殿」の業務移行がなされていなかった。杓子定規の行政しか知らなかったのです。
これまでの暗君ムーブもそれでも、将軍としてあがきながら進む頼家の姿であったのかもしれません。
ままならぬ玉座に苦しむ頼家が、妻への信頼を得、息子への愛情を思い出し、叔父への情を、その面影を通じて父へのあこがれと愛情を思い出し、新しい「頼家自身」の体制への芽が、その煌めく美しさが描かれた回であったのではないかと思います。
あの井戸コントはギャグのように見えて、巻き狩りのとき同様に頼家の鋭気と才気がけして消えていない描写でもあったのです。
故に、最後の地獄の先触れがもう、肝が冷えるったら。
そして物語は、さらなる地獄、全成誅殺に続きます。
最後に、見事な井戸落ちを演じた矢柴さんにリスペクトをささげます。
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