33話修善寺のこと〜鎌倉殿の13人を見たあとのクソデカ感情を吐き出したい〜

鎌デカ感情(鎌倉殿を見たクソデカ感情)吐き出すシリーズ、33話、修善寺です。

あ、もちろんネタバレなので、見てない人は録鎌か、追鎌してから読んでくれよなっ!








ええ、まあ、地獄でしたけれどもね。
先週、先々週の地獄に比べれば、地獄度は低かったのかなと。

むしろ、今回退場する金子頼家と梶原善児の立ち回りは、悲しさの中、美しくもあり。
その立ち回りのシーンはむしろ、スタッフ陣の両者へのリスペクトに満ちた餞であったのだと思います。

修善寺が終·善児だと言う話もtlに上がり、今まで恐怖の死神として屹立していた善児の退場を複雑な気持ちで観送る武衛の皆様。

個人的な見解としては、チュンソフトの「街」みたいなタイトルイメージだったのかなぁと思っていたりします。

かつて善児が蒲殿(頼朝の弟)を暗殺し、巻き添えにあった五藤太(だったよね?たしか)夫妻の娘を拾った場所。
兄に疎まれた弟が最早再起もならぬ、と送り込まれたそこに、その殺害を命じた頼朝の息子頼家が落ち、送り込まれる。
人心の灯った悲しい暗殺者が再び送り込まれ、その人心故に暗殺にしくじる。
その時拾われた娘は、両親殺害の首謀者の息子を討ち、殺害の下手人への復讐を果たす。
殺害される瞬間の暗殺者は、それを望んでいたようですらある。

その「修善寺」という場所に交錯した様々な因果の帰結を描いた一話。
善(児)を修める(終わらせる)寺、という意味も込めたのかしら?とも思いますが、やはり「修善寺」という場所の名前がやはりタイトルとしては美しいのだと思います。

善児という刃こぼれしてしまった刃物の終わりへの追悼への思いはさておき。

オイラは引き続きルールとルール違反の話をしようかと思うのです。

「鎌倉殿に戻ること諦めないこと」、もはやそれしか持っていなかった頼家は本当に哀れで。
喧嘩を売ってみているだけだ、と嘯く姿もまた哀れ。

なのですが。
今回も運営からのレッドカードを食らうことをやっているのは実は頼家だったりもするのです。
運営としては、基本姿勢は吠え続ける頼家を修善寺で飼い殺しにする、が規定路線でした。
それがわかっていたから、平六も「このまま座して死を待つより、存分にやりなさいな」と投げやりなアドバイス(と言う名の唾)を吐きかけるわけで。

大江殿からすれば、二重体制は争いの種なので、いつ潰すんですか?と運営(小四郎)に投げかけるわけです。

運営チームの表向きのトップは時政ですが、実質は違うことを大江殿、二階堂殿、三善殿らは理解しているわけです。実質のトップは時政のブレーンであり、宿老集(の生き残り)の一員であり、そもそも頼朝の右腕であり、尼御台の相棒であり、梶原景時の後継者たる警察権を持つ男、つまり江間小四郎義時であることを。

そして彼がルールに厳格であることを時政含め(現段階は、ですが)理解、評価しているため彼が決裁権者としてより確立していくわけですが。
彼が「修善寺将軍誅殺」の決裁のきっかけは何だったのか。

京への内通です。
梶原景時失脚と頼家自身が景時に突きつけたレッドカードのきっかけでもあります。

京は平家滅亡後の潜在的「仮想敵」として存在し続けています。
鎌倉幕府は京から軍事権、警察権を奪い、行政権をも奪おうと画策しています。これは頼朝の頃から。将軍家からの入内が悲願であるのもこの為です。
逆に言えば京は、奪われたこれらを取り返すこと、さらには鎌倉を京のコントロール化に納めることを常に画策しているわけです。テーブルの上で握手しながら机の下で蹴り合う、みたいなやつです。

故に現在、実朝という神輿の担ぎ手として朝廷と北条が競り合っているわけです。

鎌倉としてのマストは、自治権の維持です。常に風前の灯に晒されるそれをなんとか守らなければならない。
今院宣に頼る、という行為は頼朝が令旨や院宣に頼って政治を行っていた頃とは大きく意味を違えていて。

京に鎌倉のコントロールを与える、という意味になってしまうわけで。
頼家の「北条討伐の院宣依頼」は、その実鎌倉殿としてはけしてやってはいかんことだったわけです。

というか。
わかってやってたような気もするんですよ、頼家は。景時同様に。
どこの三島天狗が彼にそれを囁いたか知りませんが、これをやればもう死ぬな、とわかっていた。
わかっていたから、それでも生きろと言いに来た従兄弟が心底嬉しくもあり、
わかっていたから、あの最後の腰の座った大立ち回りを演じられたのではないかと思うのです。

富士の巻き狩りからこちら、今までの歴史認識と違う「暗愚でない頼家」を作ってきた鎌倉殿。
その最後を風呂で金玉を漆で晴らして、ではなく、政治家として、武人として描く。
その全てが、スタッフ陣が頼家に向けた花道のように思えるわけです。

善児と頼家、その二人のためにこの歴史上の悲劇に合わせて用意された花道、それがこの「修善寺」だったのでは、思うのです。

長々となりましたが、最後に名演で8か月間余りを支えた梶原善さんと、
新しくも哀しい頼家像を確立させた金子大地さんに最大のリスペクトをささげます。

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