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6等星

とうとう社会に投げ出されてしまった。具体的な不満は特にないのに、漠然とした不安だけは途方もなく続いている。こんなときはとにかく文章が書きたい。ので、書いている。書きたいことがこまぎれなので読みづらかったらごめんなさい。

2月末、卒業旅行に行った。締めは弾丸の大阪だったので「最果タヒ展 われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。」に立ち寄った。(卒業研究に関わる内容なので、見ねばと思った。)卒業旅行の貴重な時間の中、わたしの希望を叶えてくれた友人に感謝である。

ことばを浴びて、ことばに触れて、ことばでさまざまな体験した。最果タヒさんのことばは叫びでもあり、ささやきでもあり、刃でもあり、毛布でもあった。
作品も然ることながら、あとがきがなんとも味わい深かった。最果タヒさんのことばとの向き合い方に、わたしは勝手に許されて、救われていた。

言葉を書くことは、「伝えること」「伝わること」であるように見えて、本当は 「伝わらないこと」をよりくっきりと互いの心に残していくことだと思うのです。

わたしたちは誰しも他人である。その当たり前を当たり前に受容していられたのが大学だった。思えば、大学にいたときはほとんど聞かなかった他人に対する「ちょっと変わってる」を、社会に出てから度々聞いている気がする。大学のときだって、誰かに対して変わっていると思う場面はたくさんあった。ただ、わたしたちにとっては、みんながそれぞれに変わっていることがごく自然だったのだと思う。
わたしがいま漠然とした不安を抱えているのは、その「ごく自然なこと」が社会では認識されていないように感じるからかもしれない。世の中にはいろんな人がいるからね、と言われる。まるでわたしは「いろんな人」側じゃないかのように。

誰もが他の誰にとっても「いろんな人」の一部に過ぎないことを、わたしは忘れたくない。理解できないと切り捨てることも、すべてを理解していると驕ることも、わたしには同じくらいこわいことのように思えてならない。
これは多様性の主張でも柔軟性のアピールでもなく、ただの臆病な人間による保険である。理解できない他人として認識されていないと不安なのだ。相手にとっての「まとも」の範疇に縛られて、そこから外れることに怯えてしまう。

大学時代、わたしのことばから何人かに美術作品を作ってもらう企画展を開いたことがある。そのできあがった作品に対して、来場者の方から「(作品を作って終わりではなく)言葉に対しては言葉で返答するべき」という意見をいただいた。それがわたしに対する誠意ある評価の仕方だと思ったのかもしれない。でも、わたしにとってことばは不自由なものなので、その意見は目からウロコだった。そのとき、ことばであれば伝わる、理解できると信じて疑わないほうがこわい、と改めて気づいた気がする。
同展の感想で、たくさんたくさん「わからない」と言われた。ごくごく素直に書いたことばに、暗いとかひねくれているとかの感想をもらったりもした。でもたぶんそれでよかったのだ、と思う。わからないと気づいてくれたひと、ありがとう。

わたしたちはみんな不自由でひとりぼっちで理解し合えない。それを最果タヒ展は目に見える形で許してくれたので、わたしはとてもとても救われた。止まってくれない毎日を乗りこなせるようになったとしても、この記憶は大切に、いつでも思い出せる場所に置いておきたい。

おしまい。


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