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羽生結弦君と私とおじさんの話

日本人なら知らぬ人は居ない

あの世界一、氷上にくまのプーさんを舞わせる男、

稀代の天才、
氷の妖精、
冬の神様に愛された男、
オリンピックゴールドメダリスト。

羽生結弦君だ。

今年もフィギュアスケートのシーズンが始まり、氷の国のプリンスであるかのような彼の麗しいお姿を拝見して

私は、羽生結弦君に助けてもらった日の事を思い出した。

お前は羽生結弦君の何だ。

そして誰だ。

当然、彼に直接会った訳では勿論無いし、多分、今生あんな皇室級の貴人に会う事も多分無いが

2018年の2月17日平昌オリンピック、フィギュアスケート男子決勝フリーの日

これはもう無理。

ハイ解散。

そう思って、その時まだ生後2カ月でNICUに入院していた娘②から遁走を画策した私を止めてくれた。

物凄い間接的に

今は遥かカナダの地におられるあのゴールドメダリストが。

その節は本当ありがとうございました

あの時の鶴です

そう言ってご本人に絹の羽二重の反物をお持ちする訳にもいかないので、御礼をここに書いておきたい

と思います。

2018年は年明けから何も良いことが無かった。

その前年の12月初旬に生まれた、我が家の3人目の娘②は生まれて即日、某大学病院母子周産期母子医療センターから、ぐるりと廊下を渡って運ばれ、同病院のNICUに入院していた。

先天性の心臓疾患で、ナチュラルボーン心臓とその周辺の血管の状態のままでは生きている事が出来ない。

その為に本来は胎児期にしか存在しない筈の肺動脈と大動脈の間の小さな小さな『動脈管』という血管を、24時間のプロスタグランジン点滴で

「アナタまだ生まれてませんよ〜」

と身体を騙して消えないように持続させて生きていた。

その血管が取り敢えず残存していてくれ無ければ娘②は体内に酸素を循環させる事が出来ない。

欺瞞だ。

生まれてないない詐欺

そんな詐欺られている動脈管だけが、娘②の肺血流を保ってくれていて、当初の予定では生後1ヶ月後位、新生児特有の肺高血圧状態から脱して、身体が一度めの手術に耐え得る状態になってから手術をして退院。

そして次の手術までを自宅で暮らす筈だったのが

肺高血圧は何故だか生後1ヶ月を過ぎても治る気配が無く

「クリスマスには連れて帰れないのかな」

「お正月は?退院できる?」

位に思っていた、デビュー1ヶ月目の新人疾患児母の私をじわじわと打ちのめしていた。

先天性の疾患児、しかも重度のグレードにある子の状態はとても流動的で専門医にも見通しが立てにくく、生後1ヶ月なんかで退院できたら超ラッキーというセオリーというか業界通念というかそういうものをこの頃の私は全然知らなかった。

あまつさえ1月の末に娘②は肺炎になる。

これにはかなりこたえた。

朝、いつもの時間にNICUに娘②の面会に行ったら

娘②の顔に昨日まで無かった酸素吸入用のカニュラ(鼻に装着するチューブ)が装着というより、テープでガチガチに固定されていて

泣いた。

新生児のコットの前で母親が滂沱の涙を流していると、大体NICUのナースは飛んでくる

天使か。

「あー!ママ!娘②ちゃんのそれは、昨日ちょっとCRP値(血中の炎症反応)が高くて」

「先生が肺炎て」

担当ナースのAさんが掴めるだけ手拭き用のペーパータオルを持って飛んできてくれた。

この人はすごい美女なのだけれど、やる事がいちいち豪快で、よく双子を2組同時にあやしつつ「泣かすなキケン」の心疾患児の娘②を夜勤帯中抱いてPCで看護サマリーを打ちまくるなど数々の荒技を私に披露してくれたナースで、その豪快なAさんがその時渡してくれたペーパータオルの束は厚さ15cm位あり

鼻をかもうにも
涙を拭おうにも

コレ分厚過ぎや。

この時を思い出すだに、現在、24時間在宅酸素。外出は2.5Kgの酸素ボンベを担いでこんにちはな1歳10ヶ月に成長した娘②を抱える私は、当時の私に

「大丈夫やって〜!」

と肩をバンバンして激励してあげたくなるが、当時の私はその渡された15cmのペーパータオルを全て使い切るくらい泣いた。

多分、産後退院してから即日のNICU通いや、昼夜問わず3時間おきに搾乳していた疲れもあったと思う。

そして、母親の自分がどう頑張っても何ひとつ、すべてが全く良くなっていかない状況への焦りも。

Aさんは

娘②の肺炎は24時間点滴をしている右手の点滴ルートからの感染かもしれない事

その為に点滴ルートを取り直した事

そして、肺炎により酸素飽和度が急に下降しその為に酸素を使用している事

を、ゆっくり説明してくれた。

発覚が早かったし重症化している訳じゃないから大丈夫よ!ママ。と

でも

この感染により、帰宅の為の手術はまた一歩遠のいてしまった。

この少し前に娘②は完全に経管栄養児になった。今後は安全を一番に考えてすべての食事を経管栄養としますという『全面経管栄養化宣言』を医師から受けた時私は

『哺乳類とは』

と思ったものだった。

そして母乳が止まらないようにと3時間おきに搾乳していた私の努力は一体。

経管栄養は、娘②の場合は鼻から胃に細いチューブを通し、ミルクや母乳を時間毎に1時間程かけて流し込む栄養の摂取方法で

食事と、それに伴う嚥下自体が体の負担になり、哺乳力の弱さからそれら気管に入り込んで、肺炎を引き起こしやすい心臓疾患児は身体の状態が安定するまで経管栄養に移行する子は珍しくはないのだけれど

私は、娘②の身体や顔面に外付けの何かが増えていくたびに、娘②の体の機能がじわじわと衰えている気がして、辛かった。

実際、生まれて1ヶ月、2ヶ月と経過した娘②の酸素飽和度はその身体がだんだんと大きくなる毎に少しずつ下降して来ていた。

その当時娘②の主治医だった医師は

「もうこれは長期戦の構えになると思います、娘②ちゃんを出来るだけお家に近い環境で育ててあげる事を考えて、ここは卒業して、小児病棟で付き添いをしながら手術を待ちましょう」

そう言って治療方針の切り替えを私に宣言した。

すごく、かなり、とても遠慮がちにではあるけれど。

このM医師は、縦横大柄な体躯に反して穏やかで優しいちょっと森の木かげでハイホー系の、羽生結弦君とは別のベクトルの、北海道の森にセイソクしていそうなタイプの妖精っぽい先生で

普段、心臓のエコーを嫌がる娘②に新生児とはとても思えない高速の蹴りを入れられても、少し困った顔で娘②の怒りがおさまるのをゆっくり待ってくれる現・娘②の主治医の小児循環器医とは同じ循環器のチームの子弟でありながら、師匠とは真逆を行くタイプの医師だった。

現在の主治医は娘②が泣き叫んで心臓エコーがなかなか取れないと

「んー..もうええわ!良かったことにする。大体、大丈夫!」

と言ってベテランの名医しか使ってはいけないチート技を使って切り上げる人でそう言う事は決してしないタイプだった・

それはさておき、私はこの時思ったものだ

神よ。困ります。

この娘②のきょうだいの2人、娘①と息子をどうしてくれる。

当時幼稚園の年長児だった娘①と小3だった息子はこの頃、私がNICUの昼間の面会時間ラスト16時迄娘②に付き添っているが為に、娘①は幼稚園の延長保育に叩き込まれ、これは本人的にそこそこ楽しかったらしいけれど、息子については、野放しにするのがかなり心配なタイプ子どもだったのに、今のこの時代、学童の一時利用に空きなどある訳が無く、家の合鍵を渡し、毎日数時間留守番をさせていた。

しかし、当の息子はしょっちゅう鍵を何処かにやってしまう。致し方なく私は、鍵に長いチェーンを付けて

「死んでも鍵を手から離すな」

と日清戦争のラッパ兵のような事を息子にきつく言い含めていたが

「手から、鍵が消えてん!」

というADHD味の強いことを言っては、よく外でぼんやり私の帰りを待っていた。

そんな2人を置いて、24時間付き添いの小児病棟に終了未期限で転棟。我が家の瓦解は明らかだ、火の海だ、自宅に死者が出る。それで私は

「いますぐの転棟は、我が家としてはかなり厳しいです。もう少しだけ待ってください」

という、債務者の常套句みたいな事を散々カンファレンスで言いつづけたがあの優しいM医師も、そろそろ待ってはくれないだろう。エコーは待っててくれるのに。

NICUの面会時間は午前11時に始まり、午後は1時間ほど両親入室不可の時間帯がある。

それは、ナース達のカンファレンスの時間。

その時間に面会のママやパパ達は、ワンフロア上の患者家族の面会用のデイルームで昼食や休憩を取る。NICUでは未熟児ちゃんのママ達も私のような疾患児のママ達も、同じ搾乳室で我が子のために母乳を絞りまくった仲間。

ママ達は何となく仲良くなる。

実際、皆とても優しくて親切だった。生まれた赤児の種類は違えどメデラの高級搾乳機の元に集いし我ら。それなのに私は折角周りの未熟児ちゃんのママ達のグループが

「娘②ちゃんママ、一緒にご飯食べない?」

と声を掛けてくれても、何となく入り辛く『ありがとう、でも』と、あとはそれらしい事を言って断り、わざわざもう一つ上のフロアの7階のデイルームで昼食を取った。

ひとは、色々重たい事が重なると心が硬くなる。

平たくいうと、やさぐれる。

やさぐれた当時39歳。

超大人げない。

その日も、残り物を詰め込んだお弁当用のタッパーを片手に、とぼとぼ7階のデイルームに行った。

次回とうとう

担当看護師
NICU副師長
地域提携部看護師長
地域担当保健師
主治医

とのカンファレンスがあり、いよいよ転棟の日を決めなくてはいけない。上の子供達をどうしたら良いのか、やはり実家の母にお願いした方が良いのかしかし、母は既に70近い年齢で、昔から『聞き分けの良い中間子』だった私は母に無理を言いたくなかった。

もうどないしたらええねん。

そう思いながらエレベーターを7階で降りてデイルームに向かった。ここの病院の7階病棟は、重症か長患いの患者さんが多いのか、デイルームにも点滴台や酸素ボンベなどの重装備を装着した患者さんが多く、その家族も何となく

退院予定が見えない
体が辛い
もうお迎えが来る
休職期間はどうなる

暗い話題をボソボソと話し合っている暗い印象の場所だった。

超わかる。

首もげる。

私もカンファレンスが嫌だった。

もう年貢の納め時だ、小児病棟に転棟の時期を決めなくては

でも上の2人の子供達をどうしたらいいのか

いっその事もう帰ってしまおうか。

そうしたら何も決めなくていい。

でもそんな事をしたら、もう二度と娘②の元に行けなくなるのではないか。

深いため息が出た。

そして、さて、いつもの座席に座ろうと思ったところ

席がない。

その日に限って、いくつかある座席は満員御礼で、皆壁にかかったテレビに釘付けになっていた。

そうか、オリンピックか。

その日は2月17日でオリンピック男子フィギュアの決勝フリーの日だった。私はオリンピックなんかすっかり忘れていた。というか、オリンピックには微妙な感情があった。

娘②が30週目の胎児だった頃、心臓疾患が確定した際に、娘②の将来について

「オリンピックには出られませんが」

と言われていたからだ。その次に「けれど大人になれるように尽力します」とも言われていた。その言葉は胎児の疾患を突然告げられた私を慰める為の医師の一言だった筈なのだ、トップアスリートになれなくても人は当然生きていけるのだし。けれど、やさぐれ度100%の私には

「オリンピックて、娘②とは一生ご縁のないオリンピックか」

日々の疲労で精神年齢が14歳位になっていた私は脳内で悪態をついて、世間の盛り上がりを殊更見ないようにしていた。

「おねえちゃん!ここ座り」

お弁当箱を抱えて立ち尽くしていた私に車椅子の私の父親位の歳のおじさんが突然声をかけて来た。

多分術後安静の為だろう車椅子に、点滴台、導尿用のパックを下げた病人フル装備のおじさんは

「おねえちゃん、ここ座って決勝見たらええ」

自分の横の椅子を指差して言った。

大阪のおじさんは、自分より若い女性で、相手に特に悪感情がない場合、それらをすべて『おねえちゃん』と呼ぶ。

「えっ?ありがとうございます。おとうさん」

そして大阪のおばちゃんは、自分より年上の感じの良い男性を大体『おとうさん』と呼ぶ。

おじさんは、最近手術をしてちょっとの間ICUにいて、今は一般病棟に戻ったが

「病室にいてもめっちゃ暇」

らしく、ここに連れてきてもらったと言う。

「アンタはあれか?お見舞いか?」

と聞くので、私は娘②が先天性の心臓疾患でNICUに入院している事、手術が必要な事、でもなかなか手術に辿り着けない事などを簡単に話した。

「大変やな」

おじさんはそう言ってくれた。おじさんは、おじさんで

「タクシーの運転しててんけど、しんどいなと思ってたらなんやガンて言われて。ほんで手術したら傷は痛いわ、なんやまだ薬とか使う言われるわ、ええ事ないねん」

人生、しんどいなぁ

自分の父親位の歳の人の『人生しんどい』はなかなか重みがある。そうか、人間推定70歳。そこまで人生の山を超えてもまだまだしんどい事が沢山あるのか。お互い「はぁー」と深いため息をついた。

その間にデイルームにはどんどん人が詰めかける。見れば、後ろに立ち見が出ている。

羽生結弦君のフリー滑走

私は、これまでフィギュアスケートに対して、綺麗だなあ素敵だなあという印象は持っていたが、ルールや技の名前、ましてや難易度なんかについては全然無知だった。

しかし、無知な人間が見てもこれは凄かった。

大体、色々と心に澱みたいな嫌なものが溜まっている、やさぐれ39歳の心と、病気に心が折れた人たちの心にダイレクトに感動を運ぶというのは結構奇跡的な出来事なのでは。

私にはトリプルアクセルも、サルコウも、3回転も4回転もよくわからない。

でも、羽生結弦君が滑り、飛んで、回って、美しく着氷する度にフロアからはわっとどよめきと拍手が上がった。

いつもはきっと顔色も悪く、活気も無く、なんとなく愚痴めいた会話ばかりしているおばあちゃんもおじいちゃんも目を輝かせて羽生結弦君を応援していた。

奇跡の数分間。

彼の演技が終わると、ひときわ大きな拍手がフロアを包んだ。

私とおじさんもまた『人生しんどい』とか『ホンマ、ろくな事ない』なんて言い合っていた癖に、羽生結弦君の演技を見終わって、金メダルだ!アイツは漢やな!と盛大に拍手をした

おじさんに至っては、術後で痛いのしんどいの言っていた癖に、スタンディングオベーションをして私を慌てさせた。なんか色々ついている身体なのに、流石に止めた。そしてついでにおじさんは私に500円を渡し、自動販売機のコーヒーを奢ってくれて

「ええ冥土のみやげができた」

など言った。おとうさん、それはあかんて病院では洒落にならん。そんな事を言う癖におじさんはとても明るくて、さっきまで周囲でどんよりした空気を醸していた『人生下り坂』仲間の皆さんも嬉しそうにキスクラの点数を待っていた。

結果は皆が記憶している通り。

フロアの皆んなが喜んでいた。

あの瞬間この場の病衣の人達の胸にバイタルモニターが装着されていたら、全員、色々な数値が爆上がりしていたと思うし、1人くらい、実は何か全快したのではないだろうか。あの様子は羽生結弦君ご本人にも是非見てもらいたかった。

あの場にいたオリンピックとは程遠い身の上の人たちが一心に彼を応援していたし、皆、彼のゴールドメダルを心から喜んでいた。

羽生結弦君はすごいなあ。

才能がまず先にあるとは言え、その上に強固に築かれた努力は実を結ぶものなんだなあ。

私はまだまだ全然頑張ってないなあ。今度は前向きな14歳の子供みたいな事を思った私はこの時『転棟しよう』と思えたのだった。

多少の無茶をしてでも、今この時も頑張っている娘②の側にいてあげよう。M先生言うことはもっともだ。上の2人もなんとかしよう。やはりここは母に無理を聞いてもらおうと思った。

超単純。

でも、人間思い切りは大事だ。そのきっかけをその時あのゴールドメダリストに作ってもらったのだ。

私は、遁走を画策していたはずのNICUの扉を景気良く開けて、相変わらず泣き喚く娘②に翻弄されている担当ナースのAさんに

「羽生結弦君、勝ちましたね、金メダルですよ!」

そう話しかけたら

「えー!ウソウソ!何でネタバレするんですか?私もリアタイで視聴したかったのに!」

なんかめっちゃ怒られた。そのついでに

「今度のカンファレンスなんですけど、転棟は言われてた2月末でお願いします」

そう言ってみた。氷の上で4回転とかは出来なくても、それくらいはやらなくては。母として。

「えー!ママ頑張れる?そうかー娘②ちゃん引っ越しちゃうのか、寂しいなぁ、静かになっちゃうね!」

「頑張ろうね!」

Aさんは、物凄く本音を覗かせつつ、励ましてくれた。

そう、この頃6kgとNICUの未熟児ママ達の度肝を抜くデカさだった娘②は声もサイレン並みにでかかった。すいませんね、煩くて。

転棟はその月の26日に決まった。

その後、結局娘②は肺高血圧がなかなか治らず、手術室や回復施設の都合もあり、初回の手術にこぎ着けるまで出生から4ヶ月、小児科病棟転棟から1ヶ月を要した。

問題の動脈管は、本来消え去る筈だったた誕生からその後16週間、点滴に騙され続けていたとは言え、娘②を生かしていてくれたことになる。

「プロスタグランジンは本来こんな長期間使うものではないし、動脈管もいつ閉じるかわからない」

そう言われつつも、手術のその日までギリギリの所で娘②を生かし続けてくれた。きっとあの頃の動脈管は

「今妊娠56週目?やばない?」

位は絶対思っていた筈だ。

手術当日、執刀医が切って捨てたらしい君も本当にありがとう。

ところで、実は私はあのコーヒーをご馳走してくれたデイルームのおじさんに、夏頃再会している。大学病院のレントゲン待ちの長い列ですれ違ったのだ。おじさんは撮影後レントゲン室を退出する所で、私と娘②は入室待ちをしていて『おじさん、冥土に行ったんちゃうんや!』瞬時にそう思った私は嬉しくてつい「あの、あの以前7階のデイルームで!」一緒にオリンピックを見ましたよねと言う前におじさんが

「おっ!おねえちゃんやないか!?」

と答えてくれた。あの後、暫くしてから退院して今は「ぼちぼち元気にしとる。」との事で、私が連れていた娘②を見て

「これが心臓がアレな子か?よう肥えとる。元気やないか」

そう言って喜んでくれた。大阪のおじちゃんの『肥えとる』は誉め言葉だ。

私たちは、お互いの通院曜日や頻度を何となく話し、じゃあまた病院で会えますねと言い合って別れた。別れ際、おじさんは

「じゃあな、おかあちゃん」

と言った。ちゃんと娘②を抱えて歩いている私はもう『おねえちゃん』ではなかった。あの時、逃げなくてよかった。あの日、やさぐれていた私の背中を押してくれた羽生結弦君は今シーズンも勿論、活躍している。

多分何処かでお会いするような事もないけれど、あの時は本当にありがとうございました。

娘②はやっぱりオリンピックには出られそうにないですが

『大人になるための手術』の予定を折り返しました。


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