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蝶の羽ばたきが起こすことについて。

『相模原障害者施設殺人事件』

2016年7月26日未明に発生した大量殺人事件です。入所者19名が刺殺されました。その事件公判中の2020年1月8日、犠牲者の内1人の実名をご遺族が勇気を持って公表され、美帆さんと言う19歳の女の子がそこに生きていたことを私は知りました。これはその子に宛てた私の自戒の手紙です。

あの夏からもう5年が経ちました。

私も子ども達もお影様でとても元気にしています。そして例年通り呆れるほど暑い夏です。今、日本では1年遅れのオリンピックが開催されていて、昨日も今日もテレビのニュースはとても明るく、そして賑やかです。

大会開催の2年程前から、世界では恐ろしい感染症が蔓延して、本当なら2020年に開催されるはずだった大会は1年延期。その間に起きた、そもそもそんなことをやっている場合なのかという議論と大会実行に際して起きた数多の問題、色々な出来事が直前まで重なりましたが、とにかく今、東京では史上2回目の東京オリンピックが華々しく開催されています。

貴方が天国に行ってそれから1年後に生まれた私の娘は今年4歳になります。大きな病気を持って生まれた子ですが、幸い安定した体調を保ちながら自宅できょうだい達と一緒に育ち、今年の冬から春にかけては、この子にとって人生で一番大きな手術があり、色々と大変な事がありましたが辛くもそこから生還して今は幼稚園児になりました。

それは、私達家族の念願だった最後の手術でした。

10時間を超える事が十分予測される大手術でしたが、娘はこの頃、体重も平均より少し軽い程度の、手術に耐えうるに十分な体格をしている、心臓の病気を持って生まれた子の中にあっては状態の安定したとても元気な子でした。だから私もそれなりに色々な事は考えましたがきっと無事に終わって、1ヶ月もしたら元通りかそれ以上の体調になって自宅に帰って来られるのだろうと、そう思っていました。

そのはずが、長時間の手術に耐久できなかった当時14㎏の娘は、手術中に心不全を起こし、そこから長く意識を取り戻す事ができないまま、沢山の医療機器に繋がれてICUに留め置かれることになりました。そして長い長い昏睡状態を越えた娘は、小児病棟に戻った時、ちっとも言葉を発してくれない子になっていました。始終ぼんやりとして、笑う事も話す事もなく、自力では座る事も立つことも出来ない、そして食事も自力では取れない子になっていました。

人間はあまり長い間、体内に酸素が回らない状態が続くと、体がどんどん壊れていってしまうものなのだそうです。特に娘は全身に血液を送るポンプである心臓の病気で、その心臓が不全、正しく動かない状態で全身に酸素を運んでくれる血液が体を循環しなければ、当然体はその機能をひとつずつ欠いて行ってしまう事になります。その中で娘は

「脳に何か起きたのかもしれない」

主治医にその可能性を示唆されて、本来は心臓の病気で入院している筈なのに、MRIだとかCTだとか、脳シンチグラム、脳波、とにかく出来得る限りの脳の検査を受ける事になりました。いつも担当患児の事ばかり考えている、まだ年若い主治医の先生が、その時もとても頑張ってくれました。

そして、この頃の私は、病床を訪ねてもいつもぼんやりと天井を見つめるばかりで何を言っても、足裏をくすぐっても、手を握っても全然反応してくれない点滴の管だらけの娘を目の前にして、口では

「この子を、どんな状態でも絶対連れて帰りたいんです」

そんな勇ましい事を言っていました。そう言わないといけないし、そうしないといけないと思っていました。

この娘を産んで、心機能障害のある娘というフィルターを通して改めて自分の生きている世界を見た時、世界はこれまで見えていなかった障害のある子ども達に溢れていると、例えば自力では体を動かす事が出来ない子、呼吸が出来ない子、言葉による意思疎通が難しい子、感情をうまく制御できない子、本当に色々な子どもがいるという事に今更気づいた私は、この時、脳に何かのダメージを負って、これまでとは違う、何か他の重い障害を抱える事になったのかもしれない娘を目の前にして、それが嫌だとか辛いとかを言葉にする事が、彼らとその家族のこれまでの努力というか人生そのものを否定する事になるのではないかと、そう思ってそれは絶対に言ってはいけない、思う事すらいけないとひたすら食いしばっていました。

でも実際、嫌でした。とても辛かったです。

娘はこの手術が終われば、ずっと身につけていた医療機器を外して、外見上は完全に『普通の子』になる筈でした。

それなのに、もしこの時、手術後の状態から覚醒も回復もしないままの娘が口から食事が取れなければ、1人で歩く事はおろか座る事さえ出来なければ、言葉を発する事が出来なければ、自宅に連れて帰っても今より更に色々な機械が体に搭載されて大変な思いをした挙句、娘を連れて外出した先々で人の視線を集めることになる。そして私はその時『可哀相ね』という周囲の憐憫の視線に『可哀相な子の母親』として曖昧に笑わないといけない、それがこの子と共に生きている限り一生続く事になる。

そういう未来が待っているかもしれないという事を恐ろしいと、そう思っていました。

それは、私の差別感情だったのだと、今は思います。

その後、娘は回復し、今のところは知的な面や情緒の面に大きな問題はなく、オリンピックに出たりする事こそできないものの、運動機能や身体機能に不足はあってもそれが生活の上で大きな支障になるという程ではない、成長すれば徐々に不調を抱えて行くであろう体も、服薬と通院によるフォロー、あとは将来の医学の進歩を頼みに命を繋いでいく、そういう類の『障害児』になりました。

ですから、将来は体の折り合いさえつけば親である私の手を離れて、自立して生きていく道を選択肢として持つことが出来る、そういう子どもです。

それが一転、もし寝たきりのような状態になれば、もしくは誰かにケアして貰わなければ生きていくことができない、そういう身体になれば、自立の可能性の枠からはみ出してしまう。そういう娘を、世の中は生かしてくれるのだろうか。私は生かせるのだろうか。それは現実には難しい事なのではないか。

『生産性の無い人間は死んでいい』

私はあの時、自分がそういう、現在の多様性を掲げていながら実はとても歪な、貴方を殺めたあの人を生み出してしまったこの世界のひとつの部品としてしっかりと機能している事を実感していました。私も同じような事を無意識の意識の中に組み込んで生きている人間の1人だと言う事をです。

娘は身体障害者手帳を持っている子で、だから私は公にその体に障害があると認められている子を持つ母親で、人間に生産性と効率だけを求める狭小な価値観から我が子を守る立場の人間であるのと同時に、身体機能的に特に問題を持たない健常で健康な人間のひとりであり、あの当時の一時的にでも意識の無い、自力では呼吸すら難しい娘のような子が世の中で生きる事は実は不可能な事なのではないか、何も生み出さない人間は生きていていいのかと言う疑問を持つ『差別』の欠片をもった人間だったと言う事です。

それを『親心』という聞こえの良い言葉に置き換える事も出来たのかもしれませんが

私は違うと思いました。

お風呂も食事も全介助、言葉は無いまま、手をほんの少し上げ下げして反応するだけ、そんな状態になった娘を受け入れる余力が、今の社会にも私にもきっと無い、そんな場所で子どもを苦労させるくらいなら。そう思うのは当然と言えば当然なのかもしれません、でもそれで大変なのは実は、娘本人ではなく、私なんです。

私が辛い、私が大変、私が世の中の矢面に立ちたくない。

自分の事ばかりでした、もしかしたら追加で障害を背負ったのかもしれない娘がどうしたら、この先を幸せに生きられるのかをひとつも考えはていませんでした。

その時の私のあの感情は、例えはジェノサイドとかヘイトクライムとかそんな分かりやすい言葉の、具体的な事件や事象と比較すると、些細な事だったのかもしれません。でも、小さな蝶の羽ばたきが起こした攪乱が、いつか大きなうねりになって竜巻を起こす、そういう事が現実には起こると私は思っています。バタフライエフェクトいう言葉が世の中にはあるのですから。

今、無事に回復して歩行も食事も、何なら着替えや日常のちょっとした事、靴を履くとか、歯を磨くという事を、それなりに年齢相応に出来るようになった娘は幼稚園に通い始めましたが、何しろまだ酸素ボンベを搭載して暮らしている子どもなので、普通の園児の2倍か3倍手間がかかります。それでバス通園や、延長保育や、夏季保育、普通の園児が普通に出来る事を利用したり参加したりできない状態でそれでも幼稚園児をやっています。

医療的ケア児と呼ばれる特殊な、特別な子どもを受け入れてくれた幼稚園、それでも全く他の園児と同じようにはいかない娘への私の焦り、登園中はかならず職員を1人占有してしまう特別な子ども、これが上手く回らなくなった時に発生する攪乱が

「障害のある子どもとの共生は難しい」

そういううねりを産まないように、今は一生懸命娘と歩いています。

人間が人間と生きる以上、差別感情を抱かずに生きる事は出来ないと私は思います。理想主義では世界は回って行かない、それもきっと事実です。

でもそれと、生産性の無い人間は死んでいいと言う理論を肯定してしまう事は違うと、私は思っています。

最初にお話ししたように、今、丁度日本はオリンピックの真っただ中です。オリンピックアスリートの健康な体が生み出す光景を私はとても美しいと思います。彼らの活躍を見ていると、世界は本当はとても健全で、すごく善いものなのではないかと、そう思いますし実際そういう世界は今この時、確かに存在しているのだと思います。

でも、5年前の今日、貴方は障害者に対する歪曲された正論と正義を掲げ持った一人の人間に殺されてしまいました。事件そのものも衝撃的で動機は醜悪でとても忘れる事が出来ない、そんな事件でしたが、この事件の後の長い公判とそれにまつわる報道の中で言われてきた『生産性のない人間が生きる』ことへの議論、そしてそれを無意識に是としていた当事者の立場にあるはずの子の母親である自分、私は貴方の事を知って、そして娘を産んでから本当に色々な事を考えました。

今日、2021年の7月26日、この世界はとても美しく、そして同時に醜悪であると、私は亡くなって5年目の貴方に言わなければいけません。

それでも、娘のような子が、今の世の中でどうやったら幸せに生きられるのか、それを考えて実践する事が、もしかすると蝶の羽ばたきのように小さな攪乱を産んでそれがいつか大きな良いうねりに変わっていくかもしれない。

そう思って、次の1年も子ども達と一緒に生きていきたいと思います。


最後に、貴方と、貴方の周辺にある方々が平安の中にありますように。

貴方の魂が安らぎを得ている事を心からお祈りしています。

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