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泊まり、より日本を知れる体験。

素敵な旅館やホテルに泊まることが趣味といっても過言ではないわたしだが、美味しいものを食べて寝起きするだけでない、泊まる以上の価値を提供してくれた、ずっと心に残る経験が出来たお宿がある。

そのお宿は全国に展開する、「NIPPONIA」
のお宿。

「NIPPONIA」とは、「なつかしくて、あたらしい、日本の暮らしをつくる」
そんなコンセプトをモットーに、
「歴史的建造物の活用を起点にその土地の歴史文化資産を尊重したエリアマネジメントと持続可能なビジネスを実施する」という使命を掲げた株式会社NOTEさんが手掛ける事業である。

昨年訪れた「NIPPONIA」は奈良県田原本町にある、奈良最古の醤油蔵元、マルト醤油さん。

しかも1689年に創業したというかなりの歴史を持ったお醤油屋。
「え、お宿でお醤油屋?」
といった声が聞こえてきそうなので、補足すると「大和棟」と呼ばれる奈良伝統建築様式がそのまま残るお屋敷には、醸造棟や居住棟、書庫がそのまま残り、そしてここの築130~140年の蔵が生まれ変わり、宿として宿泊できるのだ。

風格ある敷地内、入り口。

着いて、マルト醬油18代目当主である、木村浩幸さんに敷地内を案内してもらった。
歩き回りながら、建物全体の構造や昔あったものの説明を聞いた。

お醤油づくりで、昔使われていた道具、原材料がしまわれていた場所、など見せてもらう。

かつての材料庫など


どこで何が、どう使われていたのか、それぞれの理にかなった造りになっていてなるほどなあ、と感心する。
その中の道具のうちの一つ、横向きに設置されている5mほどの棒。

「あれは何だと思いますか?」と当主木村さん。
何に使うものか、全く想像がつかない。

ー答えは、こいのぼりを泳がすために立てる棒だった。お醤油作りに全く関係なかった。いや、難易度、高くない?

そしてそのまま、これまでのことのお話を伺った。気持ちが乗っていて、情景が浮かんでくるような話しぶりにぐっと引き込まれてしまった。

以下実際に目の前で語ってくれた、壮大な醤油にまつわるストーリーである。
記憶を元に印象深かったお話を中心に書き起こしているので、微細な部分に違いはあるかもしれないが、それはご了承いただきたい。

…*…*…*…*…*…*

1689年に創業したマルト醤油。
大豆、小麦など地元で育まれた原材料のみを使って丁寧に作られる天然醸造のお醤油は、とても上質な醤油で天皇に献上されるくらいの品質であった。

しかし、戦後の食糧難で原材料である地元の大豆や小麦を確保することが難しく、残念ながら木村さんの祖父の代で惜しみつつマルト醤油は閉業する。

ある日、彼の祖父亡き後、箪笥からマルト醤油のロゴが前に来るように綺麗にたたまれた前掛けを見つける。
大事に置いてあったその前掛けから、おじいちゃんっ子であった彼は、祖父の醤油に対する想いがしかと伝わってきたようだ。
そして、自分もまたかつてのように、天然醸造製法の醤油を作りたい、という気持ちが沸き上がる。

この地元の豊かな自然に育まれた大豆や小麦を使って、あの醤油を再びー。

しかし、醤油づくりには原材料の他になくてはならないものがある。それが発酵という大仕事を担う「麹菌」である。麹菌は醤油づくりの要、これがなくては始まらない。

幸い、当時醤油を醸造していた建物は手を加えずそのまま残っている。問題はその建物に「麹菌」が死なず、ちゃんといるか…。
調べてもらうために研究所に依頼し、木村さんはどきどきする気持ちを抑え結果を待つ。

「いました!いましたよ。」
普段、冷静沈着であった研究所の方の声も、このときばかりは弾んでいたそう。

麹菌が生きていたとはいえ、しかしまだまだ問題は山積みであった。原材料、そして麹菌はあるものの閉業したのは、70年前である。当時醤油を作っていた人は、もうだれもいない。

ここからが本当に長い道のりだったそうだ。古文書を紐解き、地域の方々に昔どんな風に醤油が作られていたのか、かつて幼い子どもだったおじいさん・おばあさんに聞いて回る。

彼らの中には、ここであるものを見てこの一帯に馴染みのあった方々も多く、醤油醸造にあたり、たくさんの証言を得ることができたそうだ。

その、あるものとは…。

ーそう、こいのぼりである。

それが、先ほど話題に出てきたこいのぼり!
地域の子どもたちの健やかな成長を願って空に泳がしたこいのぼりが、時を経て、結果的にマルト醤油復活に結びついたのだ。

この話を聞いて、こいのぼりが結んだ繋がりに胸が熱くなった。

木村さんのお話を聞きながら、マルト醤油復活に向けて途方もない奔走と気苦労があっただろうに、彼をつき動かすエネルギーにただただ敬服の念を抱かざるを得なかった。

そして実際に、発酵させた樽に入ったお醤油になる前の諸味(もろみ)を見せてもらう。
漆黒とも呼べそうな深い深い闇のような黒。

そこから立ち上る、ふうわりとお醤油のいい香り。

これまで生きてきて幾度となくお醤油を使ってきたが、醤油はただお醤油の匂いであり、特に意識したことがなかった。
しかしこのお醤油の匂いは本当に甘く香ばしく、えも言われぬ香りで、思わず大きく息を吸い込んでしまった。

なんでも、手間暇と月日を重ねたそれは、300もの旨味成分が入っているらしい。

そしてこの諸味を絞って、液体と粕にわけ、熱を加えず濾過したものが生醤油と呼ばれるお醤油になる。

ここで、そのお醤油絞りの体験もさせてもらえた。
ところてんの押し出す筒のようなものに諸味をいれて、絞る。
上の突起を押せば、じゅーっと乳しぼりのミルクのごとく勢いよく出てくるのかと思いきや、どんなに力を加えても、ぽたり、ぽたりと一滴ずつしか落ちてこない。

「ゆっくりしか、絞れないでしょ、何年もかけて作りますが、この作業が一番大変なんですよ。まさに大地の恵み、命の一滴なんですよ。」

力を入れて押したため、ほんのり赤くなった手の平をさすりながら、当主木村さんの言葉を噛み締める。

そして絞ったばかりの、生醤油、僅かな量でもしっかり風味が立ち上り、本当になんとも言えない深いいい香り。

ちょっと!誰か、お刺身!お刺身持って来て!日本酒でもいい、もうこの香りだけで肴になる!味見したい!味見したい!と脳内で叫びまくる食い意地が爆発した声が届いてしまったのだろうか。まさにそのタイミングで、

「あとで、焼き上げた葛餅に付けてお召し上がりいただけます。」

という神のような一声に、ほころぶ口元が隠せない。
ここで食べた絞りたてのお醤油が垂らされた葛餅、お皿から消えてゆくのが惜しくなるくらい本当に美味しかった。

葛餅のおこげとお醤油の相性の良さよ…。

ちなみに晩御飯そして翌朝の朝ごはんは、ここの様々なお醤油が引き立つように考えられたお料理が並んだ。
お料理が記された献立表とともに醤油表があり、それぞれどんな違いがあるのだろうとわくわくした。

左手前にあるのがお醤油表。

地元で採れた食べ物を使って丁寧に仕上げられたお料理は、どれも本当に絶品で、一品一品その美味しさに酔いしれた。

そしてお醤油の、素材の味を引き立てる、調味料としての偉大さを改めて感じることになった。
売店でここの生醤油があったので、思わず自宅用と両親へのお土産と2つ買ってしまった。


スーパーで並ぶ殆どの醤油は、安い海外産の原材料で工場で大量に生産されているものだ。価格も1ℓ数百円で買えてしまう。
それに対し、ここの生醤油は牛乳瓶ほどの小さな瓶1本で千円ちょっとした。

ここでの体験をしなければ、いくら美味しくて味に違いがあっても1本千円を超えるお醤油なんて買うことがなかっただろう。

一消費者として少しでも安いものを。安さは食材を買うときに大きな判断材料だ。

しかしその背景やこれまで続いてきた伝統や文化を知ることで、千円を超す価格は、十分に納得がいくものだった。

作り出すのに、手間暇かかるものは、他のものに比べ、大量に作れない分、このように値が張ることが多い。
しかしそれらに興味を持ち、そこに価値を感じて、手にする人がいるからこそ成り立ち、続いてゆく。

しょっちゅうは無理でも、安さだけではなく、作り手の想いが存分に込められた本物にも、ちゃんと手を伸ばせる人でありたいと思った。

また、当主木村さんのお話、お料理の素晴らしさることながら、お部屋もすごく雰囲気が良く、ゆったり贅沢な心持ちで過ごすことができた。

時代を感じる柱や土壁が趣き深い。
長い時を経てきた大きな木の梁は、どこか温かみがある。そしてそこに馴染む、家具やしつらえがあり、お洒落な空間になっている。もちろん空調も効いており、過ごしやすい。

まさに、古きものと新しきもののいいとこどりである。


天井には光が差し込む大きな窓。


一般のお宿と比べ、ないものは二つだけ。 

ー時計とテレビ。これはここだけではなく、他のNIPPONIAのお宿でも同じである。

それには「時間を気にせず、ゆったり過ごして欲しい。」という願いが込められている。

風土が生んだ物語。
土地の恵みを活かし、先人が知恵と技術を受け継いできて、今なお、ここにあるもの。

今回知ったことたちはそのほんの一部に過ぎない。かつて自然とともに暮らしを共にし、豊かに過ごしていた日本には、きっとそんなものが数多く存在している。
そのものの中には今のわたしたちの生活の近くにあるものもあれば、現代社会において遠い存在となり、存続の危機が危ぶまれているものもある。

最後にここで、株式会社NOTEさんの
NIPPONIAの価値ついての言葉の一部を紹介する。

「私たちはこの土地にあって、人々の日々の暮らしを書き留めることで、この土地の歴史と文化を受け取り、未来に継承していくことにしました。夕餉の煙や秋祭の幟、山の端にかかる月や稲田を吹きわたる風、そのような風景に棲む何ものかの気配…都市化のなかで日本人が忘れ、失おうとしているものをこの土地で見つけたからです。

 私たちは「郷にいること」で、ともに生きること、自然とともにあることの意味を見つめ直していきます。そして私たちは、同じような気持ちを抱いている人たちが互いにつながっていくことを願っています。この国が誇りと寛容を取り戻し、再び豊穣の歴史を紡いでいくことを願っています。」

NIPPOMIA ホームページより

自然とともにあるってどういうことだろう。
私たちが受け継いできたものってなんだろう。
そしてこれからも遺していきたいものってなんだろう。

都市である、日常の中に帰ってきてからも、この会社の届けたい価値のうちのいくらかが今もなお、折に触れてわたしに問いかけ続ける。

株式会社NOTEが手掛ける、こんなNIPPONIAが展開されているのは、港町、集落、商家町、源流の村、宿場町、農園、養蚕集落など全国多岐にわたる。

わたしがこれまで訪れたことがあるのは今回取り上げた奈良の田原本の「マルト醤油」民俗学の父柳田國男にゆかりのある播磨「蔵書の館」の二か所である。


他の場所にも、ぜひ行ってみたいと強く思う。
ほんの数日でもその地で過ごし、その土地の文化や歴史を知り、暮らしを経験してみること。 

きっとそこでわたしはまた一つ、知らなかった日本を発見するのだろう。


#旅エッセイ #NIPPOMIA

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