みんな好きだけど、だれの一番にもなれないと拗ねていた話

友だちは、多くも少なくないと思います。
月イチで会う子、2〜3ヶ月に1回会う子、帰省すると会いたい子、東京に行くから連絡取ってみようと思う子、年1〜2回集まる大学のグループ、前の会社の同期、後輩ちゃん。どの子も楽しくて大切な友だちです。
適度な距離感と親密度、もう10年以上の付き合いも多く、お互いをある程度理解していて地雷を踏むようなこともないし、喜んでもらえることも知っているつもりでいます。

今はそうでもないのですが、わたしは思春期から20代半ばまで他者に対する依存心がとても強かったです。適度な距離感、なんて発想なくて。もっと仲良くなりたい、全部知りたい、一番が良い。こどもみたいな感情でした。

小学生から高校に入学するまで、Tちゃんという子と仲良しでした。お互い家庭環境が歪で、楽しいことも苦しいことも共有して。特に中学の3年間は学校も部活も一緒で、ほとんど毎日1日中ともに過ごしました。
「大人はわたしたちのことなんて分からない。」と本気で思っていました。お互いが唯一無二だったと思います。ですが、高校に入ってクラスが分かれ、部活も別になってから、少しずつ距離ができてきました。といってもべったりでなくなっただけで、休みの日に遊んだり家に泊まりに行ったり、仲良しのままです。でも中学と違って完全にコミュニティが一緒ではなくなり、わたしの知らないTちゃんの交友関係ができてきました。当たり前なんですけどね。わたしはそれをどう受け止めたかというと、一抹の寂しさを感じてTちゃんのことを気にしつつも、自分は自分でクラスに馴染むのに一生懸命でした。なんやかんや、彼女の一番はわたしだという自信もあったのだと思います。
その後わたしは大学へ、Tちゃんは専門学校へ進学してさらに距離はできましたが、それでも週イチくらいで会っていました。ガッツリ1日遊ぶ日ばかりでなく、夜にコンビニでホットスナック買ってちょっと駄弁るだけとかもありましたけど。

高校に入学したての席順でわたしの前だった子と、とても仲良くなるのですが、その子がHちゃんといいます。Hちゃんとは高校から大学まで一緒でした。漫画やアニメ、ゲームや声優などの趣味が一緒で、わたしが勧めたゲームにハマってくれて、何度も一緒にイベントに参加しました。高校大学時代はお金がなかったので、地元広島から東京まで青春18きっぷで行って1泊2,500円の独房みたいな安宿に泊まったり(たぶん広島⇔東京18きっぷを4〜5回してる。夜行バスも何回かしたけど電車の方が楽しかった)、大学の卒業旅行は2人でイギリスとフランスを10日間で巡りました。
わたしが本棚やベッドを買ったら組み立てを手伝いに来てくれたり、悲しいことがあったら愚痴を聞いてもらったり、いろいろと依存していたし、好きだったし、この子の一番はわたしが良いと思っていました。
Hちゃんとは就職で物理的に離れてしまいました。わたしは大阪に、Hちゃんは東京に。大卒ほやほや新社会人にとって働く日々は大変で、ほとんど毎日みたいに電話やLINEで愚痴ったり励ましあったりしていました。転機は社会人3年目だったと思います、Hちゃんに彼氏ができました。

ちなみにわたしが大学生のときに専門学生だったTちゃんに彼氏ができていました。Tちゃんはサバサバして豪快な子なのですが実はとっても乙女で、彼氏のことが大好きで恋に全力でした。わたしはTちゃんが幸せそうで嬉しいなと思う一方、Tちゃんの中の自分の存在が薄れているようで、面白くない気持ちもありました。あるときTちゃんに「わたしはTちゃんといるのが楽しいし、彼氏欲しいとか思ったことないなー。」と言うと、少し困った様子で「わたしもムツといるの楽しいしムツのこと大好きだけど、男の人にしか埋められない心の隙間とか、満たせないものがあると思う。」と言われました。そのときわたしは、ああわたしはこの子の一番にはなれないんだなぁ、と静かに悲しく受け止めたことを覚えています。

閑話休題。Hちゃんに彼氏ができた話です。
Hちゃんは会社の先輩とお付き合いを始めました。彼女は高校の頃に「旦那はおってもおらんでも良いけど子どもは欲しい」と明言していたのですが、お付き合い前に"結婚"と"妊娠"、"婿入り"を条件提示して(Hちゃんは二人姉妹の姉)、付き合って数ヶ月でいわゆるデキ婚をしました。わたしはHちゃんのこういう思い切りの良いというか、強かでちょっと傲慢なところも好きだし、有言実行を祝う気持ちはもちろんあるのですが、Hちゃんのご主人に"Hちゃんを取られた"という感覚がありました。我ながら子どもです。そしてやっぱり、大好きな友だちはみんな男のものになってしまう、わたしは一番にしてもらえない。と思いました。彼女たちはものじゃないのは十分承知です。女だから彼女らの第一選択にはなれないという拗ねた気持ちですかね。

そんなこんなで2人の親友を失って(はいませんが取られた感覚になって)、「よし!わたしも彼氏をつくれば良いんだ!!!」となります。単純。それまでは大阪に引っ越したものの所属するコミュニティが会社しかなく、同じく大阪で就職した友だちと遊んでもらうくらいだったのですが、社会人サークルやイベントに積極的に参加するようになり、グッと交友関係が広がります。また、出会い目的のバーや合コンや街コンなどにも参加したりマッチングアプリをはじめて、いろいろな人と関わりました。
たくさんの人と関わることで単純に楽しかったですが、みんながみんな善良という訳もなく、ネットワークビジネスに勧誘されたり、いわゆるヤリ目の人に出会ったりと危ない目にも合いました。気が強く知恵の回る性格が幸いして実害はなかったので、いろんな経験値を積むことができたとポジティブに捉えています。デートの経験値も美味しいお店の開拓も進みましたし。ただこのときも"女性らしさを求められる"ことには強い嫌悪感を覚えていました。
紆余曲折あり"そうだ彼氏をつくろう計画"は迷走します。やっぱり違うんですよね。本当はわたしは彼氏が欲しいわけじゃない。仲良くなって好きだなと思うからそばに居たいわけで、"彼氏というポジションを埋めるために男の人を好きになる"のは本末転倒です。この頃はまだアセクシャル/クワロマンティックの自認もなく、恋愛をしようと頑張ることがしんどくなり、いわゆる恋活を断念します。

この迷走時期に出会った人のひとりが健全な社会人サークルを運営しており、そこでBBQや山登り、キャンプやアスレチックなどいろんなイベントに参加させてもらいました。サークル活動はとても楽しく、そのメンバーで仲良くなり、自惚れかもしれないけど好意を寄せてくれた人がいます。人としてとても好きで尊敬できて一緒にいて楽しいけど、付き合うということが分からなくなっていたわたしは、女として好かれないよう、告白されないよう振る舞いました。そうすると、わたしがナシなのが分かって離れていっちゃうんですよね。2人ともそうでした。友だちのままでは居させてくれない。女としてじゃないと求めてくれないの?とすごく悲しくなりました。別に合コンじゃないじゃん。友だちでも良いじゃん。あんなに楽しいこと共有したのに、人間としてのわたしには興味ないの?って、腹立たしい気持ちにもなりました。
今考えてみると、結婚願望がある人だったから女友だちに割いている時間はないというだけだったのかもしれないんですけどね。

いろいろを経て、今はアセクシャル/クワロマンティックをカムアウトしたヘテロ男性とお付き合いしています。それは別の記事を読んでもらえたらと思います。

そして「だれの一番にもなれないと拗ねていた話」ですが、今は自然と依存を分散するようになったと思います。旅行に行くならこの子、お笑い行くならこの子、相談するなら、愚痴を聞いてもらうなら、観劇するなら…。
だれかひとりに全てを求めてしまうのをやめて、大切にしたい人を、程よい距離感で大切にするようになりました。べったりじゃなくて良い、一番じゃなくて良い。大好きな人たちの心のどこかにわたしの居場所があれば良いな、と思います。猫のモチーフとか、スーパーに並んだみかんとか、何気ないものを見てふとわたしを思い出してくれたらうれしいです。そういえば最近会ってないけど元気してるのかな?とか、思ってもらえたらこんなに喜ばしいことはない。我ながら高慢で自己愛の強い子どもからよく成長したなぁと思います(笑)タイトルも回収できたことなので、そろそろ終わりにしようかな。
わたしの駄弁がほんの少しでも誰かの心に触れれば良いなと思います。それではまた。

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