日本堤__61_

旅に生きる20190226~愛が固めるインフラ整備『吉原の神と仏』~

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さてさて。

どんな場所でもすがるモノは欲しい。それが苦界ならなおのこと。

ほんと、歩いていると歴史を感じる建物が多い。

むかしのお店なのかもしれない。ギラギラの今時と古い旅館みたいなところが共生しているし。

ただその手だとどうしても玉の井とか鳩の街みたいな話に流れが行ってしまいがちなので今回はやめておく(そういう街専門で歩く人もいるし)

それではこちらへ参りましょう。

吉原神社。倉稲魂命と市杵嶋姫命が祭神。

現世利益が求められる地ならではでしょうか。

配線が急に現代。

悪鬼?日本の神様にも踏まれるんけ。ご苦労様です

ちんこ?(´・ω・`)

お穴様。土地の神様というがアレだろアレ(ΦωΦ)フフフ…

小さくてかわいらしい。そして色鮮やかなのが土地柄映える。

これ迷ったんですよ。

こういう昔の区画の話も交えようかと思いましたが地形には関係ないと判断いたしました。そんなに郭の知識ありませんし。

風情があるなぁ・・・・。でもすぐ

「どうですか?」って声をかけられる。

朝9時です(´;ω;`)

しかもそんな元気あるわけないでしょ(´;ω;`)

最後は見返ってお別れ。

今は6代目、植え替えられて今でもここに来る人を見守っています。

さあ移動しますよ。駅に戻るように。

到着です。吉原と言えば外せない。ド定番になってしまうけれど。

『浄閑寺』ここいらでまとめようじゃないか。

郭と言えば『初代柳家小せん』

彼は昭和の落語史ではかなり大きい影響を与えたと思う。

ただ語られることはなかなか少ない。

郭噺を得意とし、本人も郭へ通いまくり梅毒に感染、脳髄まで周り歩けなくなる。

吉原の女だった奥さんに背負われて高座へ上がるがこんどは失明。

昭和初期の噺家の中でもとびきりの実力を惜しまれ、晩年は家で落語稽古をつけることになる。

そこに通っていたのが5代目古今亭志ん生、林家彦六、6代目三遊亭圓生、5代目麗々亭柳橋、3代目三遊亭金馬など昭和の大名人。

弟子はいなかったが金を取って落語を教えてたっていうとなんか立川流の月謝方式みたいで面白い。

ただし本人は37歳であっけなくこの世を去っている。

・・・・ともう一つがこの『浄閑寺』

やはり「生れては苦界 死しては浄閑寺」の句がせつなくて心が痛くなる。

ちなみにこれを詠んだ歌人、花又花酔は廃娼運動の活動家なのだ。

つまり同情や哀れみの感情ではあるけれども寄り添うというよりも

『その不幸を止めるために公娼制度をなくせ!』って立場でこれを詠んだのだと思われ・・・る。

なぜ断言できんのか?って言うと彼を知る資料をわたしは目にしたことがない。「郭に詳しくない」と書いたのはこういうこと。地形やインフラなら嫌でも目に入れるが、興味がない話はまったくの耳学問で終わらせる癖があるので。

それに公娼廃止運動も『娼婦の身分回復・人身売買や差別貧困の解消』でやっていたのか、それとも海外からの批判を受けて運動をしたキリスト教団体の関係なのはもわからない。

なので詩を詠んだ完璧な背景がわからないのでこの言葉の響きから受ける感情を素直に出すのが精一杯で詳しい説明はとてもじゃないができない。

ただ間違いなく、哀しさに溢れて涙も流しきってもう出ない境地を表しきった素晴らしいものだとそれだけははっきりと思います。


で、ここで境内に入ってとまどった。

人がいない。

まず自分はお参りをしてから撮影とかしたいわけです。人がいる寺社ならなおさら。

「怪しい者ではありません」アピールと礼儀を兼ねてなのだが、

扉が開いているわけでもない。ところが都会的な建物で扉開けていいのかすらわからんし、何も書いてない。お賽銭も投げられないし手も合わせようにもどこにご本尊があるのかすらわからん。


しばらく前後ウロウロしてから仕方なく撮影した。そしたら警備の人が奥から声をかけてくださって案内の用紙を渡してくれた。

お礼を言ってまず若紫の墓をお参りする。

近代的な本堂へ登る階段のすぐ下にあるのでわかる。

ここからは特にその史跡の解説をしない。お寺のHPなどで調べられることはここで述べてもしょうがない。

これは説明が必要だ。

こちらも歴史を感じる墓石、文字なのだが、問題は巻き付けてある白い紙。初めて目にしたので撮影したのだが

『無縁墳墓の改葬通達』なわけです。無縁墓は法的に決められた手続きを経て改葬、墓は閉じられることになります。

本当に縁者がおらず断絶で無縁になる場合の他、檀家料が未払いなどで『追い出さられる』場合も多い。

もちろん古い寺で、古いお墓となれば永代供養を依頼している可能性もあると思うので完全に子孫がおらず、お寺がそれを確認して法的に手続きをすすめたのかもしれない。

どのみちこの墓はなくなるのだろう。

高齢化社会、少子化ってのは死んだらおしまいではない。死んでもなお迷惑をかける問題を残したまま年金受け取ってんだぞ、と年寄りには言いたい。

しっかし、狭いな・・・・(;´Д`)

蛇口(´・ω・`)

首洗いも楽ちんだね!

今の世のわかい人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の芸術を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり
團菊はしおれて櫻痴は散りにき。
一葉落ちて紅葉は枯れ
緑雨の聲も亦絶えたりき。
圓朝も去れり紫蝶も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の兒なりけり。
或年大地俄にゆらめき
火は都を焼きぬ。
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残煙となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の芸術を。
くもりし眼鏡をふくとても
われ今何をか見得べき。
われは明治の兒ならずや。
去りし明治の兒ならずや。

隙間から骨が見えるほどだったという『新吉原総霊塔』永井荷風はずいぶん荒廃した姿だったこのお寺を書き残している。

昭和4年に現在の姿になって2万5千の吉原の女性が眠っているというが、彼女達は今の社会をどう見ているのだろうか?

もしそのへん漂ってあちこち見物しているのだとすれば都電やスカイツリーは面白いのだろうか?走り抜ける車にびっくりするのだろうか?

もしくは「男は何百年経っても変わんないネェ」なんて眺めてるのかもしれんね。

寺を出るとガード下。

ちょうど救急車が通って警察がなんか来ていた。事故だろうか。


人が生きると間違いなく性行為を始めとして『エロい事』からは逃れられない。

悟りを開いた、とか女性を遠ざけたなんてのも

「淫ら」みたいな感想をエロから導いた結果じゃないかと。

エロが存在しなければそもそも禁欲もクソもないのだ。


今回歩いた日本堤から導いた『インフラを歩かせて保全する』という考えはわたしオリジナルではない。

ただ色々伝わるお祭りの話や巨大な建造物の工事の時に権力者が率先して見学をさせたりする(信長がやった手法)のは

地面に圧を掛けるのに機械も何もなかった時代、『大人数に歩かせる』というのは実に効率的で確実な方法なんだと思い、日本堤だけではなく、日本中で『踏み固める』ということを民衆に参加させるのをやったのではないか?と推測した。

ただ日本堤は歩かせることを強制したのではなく、また祭りのようなイベントで歩かせたのでもない。

日本堤は隅田川(当時入間川)の氾濫する危険地帯。

どうあっても江戸を守るために『会川締切』をし利根川の東遷、

それでもどうしても氾濫、また水が引かないこの葦だらけの湿地帯を広げるわけにはいかない。

ここで食い止めて陸地化させるとともに江戸の町を水没させないことを誓い、手がけた決め手がこの日本堤だった。

花見の時期だけ、などと悠長なことは言っていられなかった。

早く完成した堤を強固にするためには踏ませねばならない。

吉原の移転の時に本所も候補地だったのだが、この地が選ばれたのは

昔から『いかがわしいものを街から距離を取らせた』ということばかり取り上げられていた。

だが元々犯罪防止、男子ばかりの江戸の町の性欲発散を担う吉原を目指すはずの男達の足を利用して確実なものにしたのだ、というのは証拠はないけど、そうなんじゃないか?と強く推すものである。


江戸の町は数少ない与力と同心が治安を守っていたのは知られている。

それを補う自身番や町内会、大家が長屋の住民の面倒を見る(これは面倒見がよい人情がある的に紹介する人もいるが、もし店子が犯罪を犯したら連帯責任なので細々したことまで面倒を見たといういわゆる自治である)

この小さな人々の動きそのものを治安に利用していたから、少ない人数で守ることができたわけだ。

例えばよく時代劇で盗賊がせいぜい荒れ寺くらいで、盗人宿など拠点をしっかり作るのか?と言えばおかしな人が出入りすると報告し合う仕組みだったからだ。

木戸だって閉め切られてしまうから実に濃密な人間関係で成り立っていたのが『都会』なのだ。

つまり東京の人間関係の希薄さを『ありがたがる』風潮は実は『都会へ出てきた田舎モン』がやることで都会のように人が押し合い圧し合いする距離感ならコミュニケーションは必要なのだ。


スマホを捨てろとは言わない。

いやむしろスマホで地図見ていったことのないところへ行ったらどうだろう。

その時にいつもはしているイヤホンを外して音を聴いて歩いてみる。

声をかけてくるかもしれない。

自分が聞きたい時だけイヤホンを外して会話して、終わったらまた音に閉じこもるなんて愛がない話だ。

愛はみんな知ってる。

でもどこにあるのかは知らない。どんな形なのか色なのか説明できる人はいない。

たとえ話や文学的表現じゃなく『愛』の完璧な説明。それは絶対できる人はいない。

でも人は愛が産まれる瞬間を味わったり感じたりする。

不思議だけれどそれだけで人が繋がれる。

一緒に歩く人がいる。

その人と踏み固めるは将来産まれる子供が歩く安全な道となる。

人生は次世代へのインフラ整備なのだ。

どう?背筋伸びない?

もうちょっと続くよ(*´ω`)

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