冑神社__5_

2019/06/27 旅に生きる ~地形考⑫~

※皆さまからの投げ銭で旅をする企画です。

~ネタの注意があります!~

今回訪れている神社は調べた結果、『山菜採り・また神社より先にある何かへの立ち入り禁止』であるようです(鍵を開けてもらえた人もいるし、今回のわたしと同じようにお参りしている人(ツアー?)もいらっしゃるので)

隙間から身体を入れることができればお参りは可能ですが、落下や事故・怪我は自己責任どころかむしろ賠償を負う可能性もあります。御朱印もらう感覚で参拝するライトな人は必ず複数、もしくは役場などに連絡を取ることをオススメします。

それ以外の人は単独での参拝はお勧めしません。

その① その② その③ その④ その⑤ その⑥ その⑦ その⑧

その⑨ その9.5 その⑩ その⑪ その11.5

日本の曖昧さ、それは誰も違和感を抱かないけど「空気読め」って軽く口にして、

「空気は読むもんじゃねーよ」と腹を立てる矛盾を矛盾と思わない、むしろバランス取っていい塩梅・・・・

そうしてみんながとりあえず異議を唱えなくなった状態

『納得』

なのではないかと決めつけてみた。

読み返していない。恥ずかしい。だって専門家からすれば鼻くそのような分析なのだし。

みんながわかってるのにわかっていない事、

それは『結果を知って全てを知った気になる』なんかは典型的な例ではないかと思う。

もちろん

『経過を知って結果を知らないのに全てを知った気になる』という逆も。ありえんだろ、と思うが悪い意味でアクロバティックな思考をする人は一定数いる。

※注意!この隙間から入ります!入っている街道歩きツアーや動画などありますが狭いです。もちろん転落の可能性があります。怪我と弁当は自分持ち(;´Д`)

そうですな・・・・

富山でもそうでした。わたしは「鉄道は嫌いじゃない」です。

でも得意ではない。詳しくないし。

わたしに「電車とか好きそう」は通用しません

「道路とか好きそう」は通用しますけど。

なぜ『鉄道が衰退しているのか』の理由にみなさんが矛盾を抱かず、それどころかその矛盾を楽しんだりしてるのがわたしには不思議でならない。

『交通インフラの衰退原因は交通インフラの発達である!(`・ω・´)』

と書いたら、みなさんは

「お、おまえついにおかしなったんか・・・・(;´Д`)」

と思うかもしれない。

昭和・・・・

どちゃくそ失礼極まりない駅員の態度、今も一部残っている極左暴力集団べったり労働組合の行き過ぎたストライキで嫌な思い出ばかりの国鉄。

国鉄と叫べば

「( 」゚Д゚)」赤字!」

とすぐコール&レスポンスが返ってくるが昭和39年までは黒字だったわけ。

なぜ赤字になったのか。

『貨物輸送がトラックにシフトした』

3割正解(´ρ`)

なぜトラックにシフトできたんですか?って話です。

昭和30年代は一桁国道でも砂利区間があったり、狭くすれ違いができない部分があった。

さらに橋梁が脆弱で1日中ランダムに走る車の重量に耐えるのが難しかった。

『道路が趣味』になるっておかしいと思いでしょ?

新しい道路、もしくは司馬遼太郎のように街道ならわかる。

ところが明治にできた初代の国道とか、隧道とか、それどころか旧旧旧道まで遺構が辿れるくらい幾重にも道を改良している場所がある。

無駄だ。無駄だが、結局海外のように安定していない。似ていると言えば東南アジアは道路事情が(改良される前の日本に)非常に似ている。

最近新車が大人気(リコール出たが新車は人柱みたいなもんだ)のジムニーも発祥は『生活インフラ用車両』である。

ギラギラにパーツをくっつけたクロカン愛好者が目立つが、本来は

『過酷なのに狭い』という日本の道路を走りぬけるためにあの小さいボディに原始的かつ大型本格4WDが裸足で逃げ出す性能を与えられた。

林野庁、電力会社、猟師はもちろん、へき地医療にあたる医師や自治体の災害時にも動く。

その小ささに海外の人が「Kawaii」だったのが乗ってみたら

「F*ckin amazing・・・・」だったわけで車界のベビメタのようなものである。

ゆいちゃんまじゆいちゃん・・・・(´;ω;`)

つまりジムニーが必要なほど『酷かった』

貨物輸送ばかりではなく人間の移動そのものが鉄路だったわけだ。

だが東京オリンピックで日本は変わる。

新幹線+特急

で旅は高速化する。まだ飛行機は高い。もちろん新幹線も高い。当然新幹線に乗るために乗り換えるにも最寄り駅から汽車。

だからこそ普通もバンバン走らせたし、夜も寝台列車よりもさらに安い夜行列車があった。

常にフルで鉄路を使い切っていた。

だが時代の速度には足りなかった。

食料も燃料ももっと早くもっと遠くへ運びたい。

トラック野郎が白ナンバーで過積載・点数と命を懸けて列島を疾走した頃は

ちょうど国鉄が赤字転落、さらにスト連発。まともに動かない列車に腹を立てた乗客へ

「これは権利を要求する闘争なのです!」

とアジるどころか逃げて捕まり線路歩かされた順法闘争で鉄路が役に立たなくなっていた。

さらに道路が良くなった。

まだ高速道路は少なかった。

そこから発展させればどうなる?

これは『不便で良い!』という乱暴な話ではない。

例えば都会に住むとたくさんの娯楽や流行、そして便利を享受できる。

だが車は贅沢品になるし、住処は狭くなる。

もちろん何かするのにコストは跳ね上がる。

地方はどうだろう?

細く不便な道でも豊かな自然を求めて山奥暮らしをする若者がいる。

医療、とくに命にかかわる脳梗塞などはやばい。

だが若くて健康でやる気があるなら『貧乏』とか『多少時間がかかる移動』のほうがいいんじゃないかと思う。

どのへんを便利の限界とするかは地域による。

だがほとんど使われない空港、新幹線、高速道路、2桁国道が揃っているのに

「はい、東京~」

はどうか。

東京じゃないと難しい病気。よく聞く話だが、もし昭和がそのまま引っ張られた交通インフラなら、各県に今よりも基幹となる病院があったはずだ。

福島県だととにかく医大。民間なら西ノ内・南東北・福島赤十字。

他にも急患を受けつけている病院はあるが、頭だ、血管だ、心臓だとなればもう選択肢はこれしかない。

今の「最先端医療は全部東京じゃ!」ではなく

「東北なら仙台とか岩手くらい」がちょうどよい距離ではなかったのか?

「何Km範囲に何の施設がどれくらいあるのが適切か」

なんてわたしは知らない。病院だけの話でも社会学と医学と地理学が協力しないとスタートラインにも立てない壮大な話だから勝手な想像妄想である。

だが少なくとも

「新幹線に乗らないといけない距離」って

昔なら

「一旗揚げるまで帰らん」と涙を流して旅立つものだと思う。ひょっとしたらおふくろさんのおにぎりを泣きながら

「うめぞーうめぞー」

って食べながらの旅だったかもしれない。

新幹線、それは『気軽』ではある。

それならば一旗あげられなかった若者が気軽に帰る場所残しておけばよかっただろうに。

便利によって『覚悟』を奪い、夢を吸いつくしたあとにどうなるのか考えなかったのか。

それこそ

『思考』の否定である。破棄である。拒否である。

頭がいい大人が揃いもそろって。

だが大人は目先のことしか考えない。

『この業界は終わりかもしれない』

そうすると普通に考えれば後継者育成、販売先の新規開拓、厳しい規制なら緩和を緩い野放しには規制を・・・・

しなかった。

「どうせ子供はみんな跡継がないから」の日本全国の蓄積がこれだ。

「どうせ儲からないから」の日本全国の蓄積がこれだ。

もっと考えようぜ。

道歩けよ道走れよ

山見ろよ登らなくていいから

やる気なんか出さなくていいからちっと茶でも飲みながら話して出す知恵だって役に立つさ

いいじゃん、若干講釈ぽくなったって。考えださないよりマシだ

掃除機あんでしょ?洗濯機あんでしょ?昔みたいに洗濯板使うわけじゃない、箒と塵取り使ってないでしょう?

なんで忙しいの?なんで余裕ないの?なんで心寒くなる貧乏なままなの?

いい?考えるんだよ。

長かった。

旅とは本来これくらいダラっとしてそしてたくさん無駄に回り道をしてたくさん失いたくさん得て一つだけ大切なモノを得てほしい。

そうしたら道路なんて曲がってたほうが楽しいじゃないか。

この神社はあまり情報がない。というか訪れる人が極端に少ないので今回の写真はそれなりに資料性が高くなる可能性もある。

そこで説明だけ軽くしておく。

『冑神社』

源義家が冑を置いて休んでいたところ、冑が石に変化してしまった場所という伝承がある。

そこで岩をくりぬき神社としている全国でも珍しい物件だ。

だが別に案内もないし、橋も閉じている。

いつできたのかを調べるため図書館で町史を漁ろうとしたらなんとない。

なんとかかすってる資料はないかと1日粘ったもののなく、

PDFで手に入った会津の伝承や集落ごとの行事などを見てもこの地区、この神社はスルー。

そのため『いつ誰が』はまったくわからない。

申し訳ないことこの上なしだが、自分はここでわからないまま旅を閉じる。

また次があるし、それまで色々『思考』ができるから。

長かった。本当に申し訳もない。

ふわっとしていたい。

でも地形からは逃れられんのだと改めて知るばかりなんだな。

このシリーズ終り

投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。