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旅に生きる2019/09/11 ~地名から読み取る~ ⑤武士ナンですか

    4.5

※皆さまからの投げ銭で旅をする記事です。バンバン投げてバンバン読むと明日インドカレー屋さんでやたらめったらナン出してもらえるよう呪いをかけます

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雨はいよいよ強くなった。

傘は持っているのだがレインパーカーで済ませていたのは両手がふさがってしまうのを嫌ったからだ。

だがこれ以上濡れてしまい風邪をひいてしまえば帰りに辛くなる。

雨宿りも兼ねて『花巻新渡戸稲造記念館』に逃げ込んだ。

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館内は完全に自分しかおらず係りの人が二人だけ。

市内の施設二か所共通で使える入館券を購入してビデオ資料、そして中を見学した。

規模としては非常に小さいのでゆっくりと見ても合計20分かからなかった。


宮沢賢治は読んでもわからないところがあるので深くは関わっていない。

新渡戸稲造はもう少し深く関わっている。

小学生の時に読書感想文を野口英世の伝記で書いて賞をもらってしまった。そこから読書が楽しくなって学校の図書館読み漁っていた。

その中に新渡戸稲造伝という非常に小学校に不釣り合いな堅苦しい本があって読んでいた記憶がある。

木造2階建ての2階にある図書館はきしむ床にハラハラするほど大型の本棚を設置していた。

戦時中の原本などがあってよく考えたら町の図書館より貴重なモノを蔵していた可能性もあった。今は図書館がどうなっているのかまったくわからない。

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館内を出ると傘を貸してもらえた。駐車場までのちょっと走ればよかったのだが、ありがたく借りた。

それを駐車場の車いす置き場へ掛けて、車の中から自分の傘を取り出し記念館の裏手へ向かう。

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この記念館の裏に新渡戸家が氏神とした『安野稲荷神社』がある。

住所が初めて見るものだった

『岩手県花巻市高松9地割21番地』

この『地割』は岩手県に多くみられる住所表記である。検地番号「いろは」に「1地割2地割3地割」と数字を当てたものをそのまま現在でも使っているそうだ。

地名に関して『高松』というのが昔からの呼び方で記念館などでは『安野村』と記されている。

この今『高松』とくくられているところが『高松村』でそこから『矢沢村』、昭和29年に『花巻市』となる。

地名として最古ではないのは当たり前として『高松村』になる前に『安野村』そして一里塚があったあたりは『中野村(花巻市にはまた別に中野村だった場所があり)』だったのは間違いない。

神社に残る地名が正統である!ということは言わないが、神社を建立する信仰と生活が近距離で日常に混じっていた時代の記録である。

これももちろん日本全土の全てに当てはまるわけではない(むしろ逆もある)と前置きしておくが

『日本で生活を営む歴史の中でも濃すぎず薄すぎずの神社の距離感』の典型的農村風景をここに見る。

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いわゆる独特な住所表記、

京都の『上ル下ル西入ル東入ル』を筆頭にこれはまさに歴史。

そしてその土地名の由来に多いのが『地形』でこれがまさしく『記号』であり現代の『ナビ』のようなモノ。

最初の『危険な地名』もそうだし、よく果物が採れるとかここは水が良いとかせっかくご先祖が教えてくれている知恵なので

『縁起悪い』で改名は気持ちはわかるがどうなのかと。

漢字だけ変更して読みはそのままはまだいいかもしれない。

となると戦国武将の改名はまだご先祖の知恵完全撤廃ではない。

結局『〇〇台』的新興住宅地の『過去の完全消去』が最近のネットやTVで騒ぐ『この地名の不動産は買うな!』騒ぎなのだろう。

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ではではちょうどよいのでわたしの住む『田村市』を例題にしよう。

まず平成の大合併でできた市だがその前は

『福島県田村郡』に『三春町 船引町 常葉町 大越町  滝根町 都路村 小野町』が存在していた。

合併の時に『三春町』と『小野町』は参加しなかった。三春は貧乏な地域を押し付けられなくても滝桜という『超キラーコンテンツ』もあるしくっつくなら郡山市だ。

小野町も繋がり的には浜通りのほうが濃い。そして合併を拒否した2町に共通しているのは『警察署』があること。

警察署がない4町1村がくっつくことになった。

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合併の是非などは省かせていただくが、ここで『合併市名』の公募があった。

記入して応募できる形式だったけどわたしは『田村市』と書いた。

というかみんな「どうせ田村市になんだろ」って思っていた。

他に出しようがない。

これは『田村郡』の由来が大きい。あと語感。

さらに一番中心的な地域は『船引町』なのだが『船引市』になったら合体する周りはあまり気分がいいものではない。

田村の由来は『坂上田村麻呂』である。

他の町名は各自wikiでも見てもらうことにして『船引町』だけ説明させていただく(住んでいるし)

「ふなひき」と読む方が多いが「ふねひき」である。

そして由来が怖い。

市の説明をコピペする

『昔むかし、陸奥国霧島山(現在の大滝根山)周辺で大多鬼丸を首領とする賊が悪逆非道を繰り返していました。
 時の朝廷は、この賊を征伐するため、坂上田村麻呂を大将とした軍を田村の地に送りました。
 田村麻呂の軍は各地で戦勝祈願しつつ進軍し、ついに大多鬼丸の軍と激突しました。最初は苦戦していた田村麻呂ですが、神託や白鳥の導きにより、ついに大多鬼丸を洞穴(達谷窟)に追い込んで自決させました。首領を失った大多鬼丸の軍は降伏し、この地の戦いは終結しました。田村麻呂は大多鬼丸の武勇を惜しみ、その首をあぶくま一円が見渡せる仙台平に丁重に葬りました。』

でその田村麻呂が「船で兵士を率いたから船引」とライトに説明しているところが検索の一番上に出るのだが、わたしが習ったり郷土史で読んだのは

「激しい戦いで死者や怪我人が多数でてしまい、それらの運搬に船を引いた(船で引かないといけないほど死んだ)土地なので船引町」

図書館で読んだ本には「川が血で染まった」なんて書いてあったのもあった。

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漢字も読みも普通だが由来が実に『物騒』である。

別に誇ることもない。東北に坂上田村麻呂由来の地名寺社仏閣はわんさかある。

だが『田村』とストレートに名付けられた郡名はよっぽどこの地で伝承以外で朝廷軍が何かしたことを記録したかったのだと思う。

『田村市』ができても『田村郡』は消滅していない。田村市を挟んで三春町と小野町が田村郡そのままなので分断された状態で今も現役である。

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あまり地形に関係はないが、船を引いた大滝根川は水害に悩んでいた。

20年前の河川改修で収まっていたのだが2011年の大水害で氾濫した。

自分の工場は昔は大雨台風の時は車を高台に動かして(そのために土地を借りていた)書類等を机の上に上げた。そして水が引いたら学校を休んで泥掃除、これが当たり前だった。

その後も大雨の時はすぐ車を動かせるように夜泊り込んだり様子を見ていた。水は来なかったが毎回水面が暗闇のなか迫ってくる時は車を動かした。

2011年は完全に油断した家族(当時わたしは会津)が車の移動を怠り、お客さんの車数台とわたしの車が水没しお客さんの車は廃車、わたしはその後1年かけて車を直した(その時にマツダどごちゃごちゃあったがそれはまた後日)

大滝という河川名が水害への警鐘なのかはちょっとわからないのだが。船引の町内は少なくとも洪水で結構昔は酷い目にあっていた。

それは普段の水量なら船を引けるということだ。

ちなみに船を引く?と思うだろうが、昔は上流へは川岸と紐で繋いで引いていたのだ。それは北上川はじめ水運が盛んなところはだいたいそう。

急流でも細い川ならそれでも遡れる。

逆に浅く大きい河川はある程度のサイズなら櫓でも進める(猪牙船とか)


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今回はなるべく神社の解説はしないつもりだったがここは本殿が丸見えで実に良い。あけっぴろげはいいことだ(*'▽')

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さてここまで何事もなく進めてきたが、新渡戸稲造と言えば『武士道』である。

地名(というか地名に対してどう向き合うか)がテーマなので正直脱線になる。さらに脱線する距離が大掛かりな話題になってしまうので正直悩む。

内容に関してはあまり触れずにこの書物が与えた影響にだけさらっておこうかと思う。

今の『クールジャパン』は作られた感がある。

今度のオリンピックは『誘致が目的』なので実はもう『終了』している。

委員が毎月200万くらい?貰っているのを知って愕然とした。

握手キャバ集団の胴元豚に200万とか死に金だろう。

で、実際にやらないわけにはいかないので「打ち水 氷風呂 降雪機」って『ぼくのかんがえたさいきょうのあつさたいさく(゚∀゚)』を税金で雁首そろえてやってるわけだ。

下水道のような海で泳がせてみたり、気温上昇させるアスファルト走らせようとしたり、周辺のオフィスやカフェの窓を開けてエアコンを回させようとしたり小学生みたいなことを緑のおばさん率いる都職員がやってるのかと思うと呆れる。

実際働いている職員に「クソだな」って思いながらも黙ってやってる人もいると思うのだ。

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さらに滑稽なのは福島も巻き込んでやがる。

でもこんな事をしなくても元々海外のオタクもアニメや漫画好きだった。高校の時に留学生はセーラームーンのTシャツ着てたぞ。超ガタいのいい大男が。

音楽だってジャパメタを聴くマニアはいた。

もちろんラウドネスのように世界へ撃って出たバンドが広めてくれた。ポールだってラウドネス大ファンだ。

マーティだって演歌を聞いてくれていた。耳に触れたり見たりして「かっこいい!」と感じてくれるからカミカゼ鉢巻してくれたり謎の芸者と富士山とかぁゃιぃ侍に刀持たせてゲームに出してくれたりするわけ。

それが今はごく当たり前に世界に愛してもらっているだけである。

観光地の外国人観光客のキャパオーバーや各種トラブルは正直過剰なのだ。

でもまだ極東の「島」が遅れていると思われていた時に新渡戸稲造の『武士道』は日本のずしりとした覚悟と軽やかさを紹介した。

今の日本は彼が大きく貢献している。もちろん

「こいつら思ったより厄介やな・・・戦争で潰したほうがよくね?」というキッカケにもなったが。

だがけして遅れているから民度が低いわけでもないし、むしろヨーロッパよりも清潔だった(ちなみにフランス農村地帯は昭和のなかばも肥でウンコ臭かったらしいぞ)

新渡戸稲造にはもっとお礼をするべきだと思うのだがどうだろう?

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日本語がわからない海外の人がわけのわからんまま漢字Tシャツを着用したりする。

日本人が書いてある文章がやべーとわからず英語Tシャツ着るようなものだ。

ところが最近は「意味をわかって着用している」人も多い。

例えばタトゥーなどでは「意味を調べて漢字を入れる」人もいるし、「巨根」とか「馬鹿外人」みたいなアホTシャツも

「面白いじゃんwww」とギャグを理解して着ている人もいる。

英語だと沢山文字数を使わねばならないことでも漢字やひらがななら短く表せる。

日本語は面白いのだ。

そうすると『言葉の化石』のような地名はもっとおふざけでもいいから口に出して読んでみる機会があってもいいのではないか?と思う。

次は直接的にもっと切り込む

へ続く

投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。