見出し画像

旅に生きる番外編田村市マイナー神社シリーズその①~2019/9/11~

※皆さまからの投げ銭で旅をする記事の番外編です。今回の水害で水没した工具なんとかしようぜ!的な記事なのでちゃりんちゃりん投げていただけると非常に助かります


温めすぎてボツにしそうになっていたネタが貯まっている。

料理しようもないのでそのまま出すことにした。

画像1

さてどさっそく説明しましょうか・・・・


神社名は関西人にはおなじみ(かもしれない)

『若一神社』

『じゃく!』でもなく『わか!』でもなく『にゃく!』

『にゃくいちじんじゃ』

主神が『若一王子』ってこれが東北民には非常に馴染みの薄い神様。

熊野神社熊野権現中四社五所王子第一位(´ρ`)


普通なら熊野神社勧請しておけばすべてOK万事解決なんですが、

神仏混合で『十一面観音=若一王子』とみなされ若一王子だけ勧請するパターンもそこそこありました。


これは勝手な憶測ですが「十一面観音を重視しつつジャパニーズ神様のご利益もほしーね」というスケベ根性強めが原因かと思われます。


それならやっぱり冒頭のとおり熊野権現でええやん!と思いがちです。

熊野権現のご利益は『大願成就』というざっくりデカいものです。

ですがここで待ったなのです。

画像2

日本で祈りを聞いてくれる神様は

「ひょいっと出かけられて願掛けできる」のがちょうど良いわけです。

お伊勢参りは旅で済みますが、山の険しい立地の神社はどんだけありがたくても『あっち側』です。

現世利益であっても熊野詣は

『日常ではない場所への参拝』であるわけです。

もちろん天皇や貴族が何度も詣でた場所ですがそれは旅行ではなく帰り道まで気が引きしまったモノだったと想像します。


その対極はお稲荷さんだと思うわけです。

仕事の行き帰り、買い物ついでに手を合わせられる神様は通いつけの町医者のようなものです。

でも「身近で手軽だけどもっと現世利益ばっちこいのおらんのけ・・・・」

と求めると十一面観音の『十種勝利』(ググって)はありがたや(´ρ`)

オマケに仏なので死んだあとのご利益もプラス(日本はじめ多神教、自然崇拝の神は死後の世界の保証をしません。これが仏教が強い理由です。死んだあとの不安は新道では弱いのです)

画像3

熊野そのものだと『異世界』すぎるのでその一部分を取り出した一般人向け神仏混合現世利益+死後安泰を安堵してくれる

『神社界のプリウス』が若一神社だと(๑•̀ㅂ•́)و✧

こちらは田村市の道路沿い、ワークマンと精米屋さんの真上にあります。道路向かいにはドラッグストアにホームセンターに幸楽苑にコンビニに美容院にカーパーツ量販店あとしまむら。

もうこれ門前町ですよ(゚∀゚)

画像4

いいですね賽銭箱(^ν^)

鉄の枠にブリキの板で後ろの脚は段に乗せられるように短い完全ワンオフ。

ちなみにこの神社に寄進した人達の名前は知っている人、知っている人の親ばっかりでめっちゃ見られてる感あって恥ずかしいです(;´Д`)

画像5

画像6

コンパクトなんだけどパーツが全部しっかりしている小さな神社は非常に良い。

何もない本当に簡素な神社もいいんだけれども、規模はともかくちゃんとしてあげようって気づかいが感じられる。

「山本体だから」で済ますのと対極なのでしょうけど神様へのおもてなしが変化した。その変化こそが

「神様がだんだんふもとに降りてきた」身近さなのかな?って思います。

もちろん平野部などではこれはもっと違いますけどね。ご近所身近と山岳地帯にある両極端の差はもっと大きい気がします。

画像7

ここも立地がいつも入り込む神社パターン(´ρ`)

いつもどんなとこ当たりつけるんよ?って言われると

『ある側面からは平面だが裏や横は斜面、もしくは畑の畝のような盛り上がりがぽつんと取り残された高みにある平坦部』

にあるちっこい神社。

まるでその神社があるから崩れないみたいな地形なんですね。

ここも国道から見るとただの斜面、人は入り込めませんがその裏側はそのまま標高が続く高台でちょうどその突端部にあるような感じです。

上野の山も舌状大地の先っぽですし要地というのは軍事的にも宗教的にも『高い場所』と『低い場所』の境目がいいのかもしれませんね。

画像8

今年は秋祭り時、非常に祭礼の幕を下げたテンポや個人宅が目立ちました。

今までこんなにしてなかったやろってくらい。

たぶん代替わりした神主さんが先代を引き継いで熱心なのだと思う。知らんけど(´_ゝ`)

呼びかけたのか呼びかけた人がいるのかわかりませんがいいことです。

いつもはひっそりしている小さい神社にも巨大のぼり旗(漢字だと正しいんどれやろ)が建てられています。

画像9

異教であれば滅びてもかまわん・・・・というのが世界のスタンダードであっても、日本はそうはいかんのです。

死後褒めたたえることで死者を慰め生者を殺す後ろめたさを薄めようとする。

そこが甘さであり良さであり多民族国家ではないのにありとあらゆる国と時代の混合と独自性の要因でしょうね。

その②に続きます


投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。