弥平四郎山神社__5_

旅に生きる番外編~弥平四郎~2019/04/09?

※皆さまの投げ銭を旅費にして旅をして記事をまとめる企画です。

いつもは有料設定(全文読めます)ですが今回と次回最終回だけは無料です。

前回こちら

細く頼りない道路。アスファルトは荒れ、ガードレールは除雪の時に押してしまったかところどころひしゃげている。

文明の利器は等しく圏外、走る人と不安荒涼とした山肌を挟み冷たく切りつけるような清流は流れる。

いっそ誰も立ち入らせない場所のほうがいいのかもしれない。

自然は美しい。しかし寂れた人間の痕跡を飲みこまんとする儀式の途中経過は滅びと死と優しいほど圧倒的でゆっくりしている。

これがどれほど恐ろしいことか。

自然になど大きな建造物と技術の結晶で何とでもできると勘違いしている人間がしょせん自然の中でしか生きられない事実を突きつけてくるから。

ここははるか道の果て。

かつて神が人と限りなく近づいていた時代からへばりついていた最果ての地。

限界集落の呼吸。何も考えていなかった人の慣れの果て。

ざまぁみろ。そんな言葉がこみ上げる。

恨みの土地、恥の土地。

先祖の営みをわずかな時間で食いつぶし、手遅れになってから右往左往する人の姿を眺めるのはとても心地が良い。

同情心を湧かせたいのならもっと人に優しくするべきであった。

わたしがここまで唾棄し嫌悪し個人的感情だけで辱めることはほぼほぼない。

自業自得、人の心の闇のゴミ箱。

そんな気持ちをこの町に抱かせた辛い仕打ち。

美しい自然に早く飲み込まれて消えてしまえと強く強く切に願う。

雪が少なくとも流れは早い。

この集落自体には恨みはない。この集落に至る手前に生きていればその忌々しい人の形をしたウジ虫はいる。

こんな山に恵まれた場所にいながら歪んだ気持ちになるとはなんと愚かか。

都会に出ずに生きているくせに。


この集落はまるで人名のようだ。『弥平四郎』

飯豊山の登山口であり、その客向けの民宿もある。

車が止まっている家もありかろうじて人が生きている。

他の人のブログなどには廃校や登山口の写真がある。普通の情報がほしいならそういうのを見ればよろしい。

自分は違う。

ここに『見下し』にやってきた。完全な個人的感情の発露、住んでる人からすれば八つ当たり。

ここは50歳以下の人が存在しない完全な限界集落。

死ぬのだ。

死ね死ねみんな死ね。

そうやって死んでもあり続ける場所へ挨拶へ来たのだから

空気は冷たく乾いている。背を丸めることもなくここを歩ける冬など滅多にない。

石垣で支えられた畑の横、足跡のない入口が誘う。

ここの地元民よりも誰よりもここの主を愛している者として踏み込もう。

雪も浅く難儀を感じない登り口。この水路を跨ぐと急な段に足を乗せることになる。

不規則で傾いた狭い石段は短い距離で人との隔たりを急激に形成する。

何かいる。

自分は霊的なことにはとんと興味がない。

なんでもかんでも「プラズマ」のせいにするのも愚かしいが、なんでもかんでも「見えざる何か」に引きずられるオカルトまがいも等しく嫌う。

平成最後の日に、この記事を、そして意図してこんな吐き気のする文章にしている自分がとてつもなく嫌いだ。

自分なのに自分から一番距離がある人格。

もう少し世界が優しかったら抱かなかった感情、戻れないのは重々承知している。

優しくなかった世界が

「やあやあ済まなかった」と握手を求めてきてそれを許すか?

私は許さなくもない。

ただ手の1本や2本、足の1本や2本は奪われてしかるべきだ。

反射的に何か罪を犯した人間を即座断罪の気持ちは理解ができない。

それを抱いて許されるべき人間は直接やられた人間だけ、

抱いた人間が憎む対象にしていいのはやった張本人だけ。

だからこの町に対する憎悪はたった数名の悪意が原因でしかない。

でも周りのなんてことはない人も、救いが与えられないほどに無関心であった。

人はそれぞれ必死に生きている。他人に関わる暇などあろうはずがない。

だからぶちのめされた人間は立ち去るのみだ。

それを忘れて自覚もなく

『移住』とか『田舎暮らし』とほざくその口はとても穢れた呪いしか吐けまいよ。

あいたかったよ。

霊峰飯豊山に一番近いオオヤマツミ。

小さくて簡素なこの神社こそ感謝を述べて祈らねばならないところだった。

この敷地にいた間、ずっと足音が中から聴こえていた。

さきほど書いたように自分はオカルトは信じない。

ひょっとしたら中に閉じ込められた人間がいて助けを求めているのかもしれない。

・・・・オカルトよりも信じることができない話だ。確率は心霊とか超常現象よりもはるかに高いとしても。

ここで人が死のうが生きようが山はあり続けるし、水は流れる。

この社が朽ち果てたとしても記憶する人間がいる限りこの地に神はあり続ける。

きっとこの町の人が忘れても大丈夫、私が忘れないから。

足音はなり続けている。

もし妄想を膨らませるなら。

わたしが来たのが久しぶりだったのでは。

人そのものの来訪がなかった。

そしてもっと妄想を走らせれば、儀礼ではなく記憶する者としての人の来訪がそれこそ数十年ぶりだった。

それでどたどたと音を立てたか。


根拠はないが自信はある。

この地を捨てた子。

その子を産んだ親はただただ衰退させてきただけなのにいまさら

「バスを走らせろ、水路の清掃をしろ、通行止めのバリケードの位置を変更しろ!」

と騒ぎ立てる。

厳しい自然は言い訳にならない。

北海道だってロシアだって人は住んでいる。貧しいかもしれないけれど知恵を絞って生きている。

それよりもはるかに恵まれた中途半端な山奥で何をしていた。

交通事情は最悪だろう。仕事もない。

だが今やっている野菜のブランディング化や移住ははるか昔からできたこと。

人が去ってから気がついた。外からやってきた人や学者の知恵で慌ててやってみた。


それで助けろなんて、なんとムシのいい話か。

寒く、冷たく、虚しく沈むは自業自得
幾多の夜を越え
何故、汝ら理解できなんだ


希望や何も変わらないと高を括った堕落の中、

ただあり続ける自然のなんと美しいことか。

貴様らの薄汚れた身体が朽ち果てる時も彼らは埋葬を拒否しない。

私はあなたたちよりも自然に近づくことを欲する。

それは地理的ことでもなく物理的なことでもなく

心が常に自然を意識して動くこと。

これだけの景色を目の前にしてそれをただの困難としかとらえなかったお前たちに明日などはぜいたく品だ。

奪われ失われた者へ返すべきだ。

自然への利息も忘れずに

投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。