旅に生きる20190226~愛が固めるインフラ整備『あゝ日本堤』~

※皆さまからの投げ銭を旅費に旅をする記事です。有料ですが全部読めます。

『道の駅しもつま』で車中泊。

翌朝守谷駅からつくばエクスプレスで一気に北千住。地下鉄に乗り換えて三ノ輪駅で下車する。

地上へ出ると・・・・

朝のラッシュで交通量が非常に多い。

そして答え合わせの1枚。

もうこの1枚で用事が済んでしまうほど間違いのない1枚。

タイトルにもある通り主役は『日本堤』というやつなのだ。


・・・・。

・・・・(;´Д`)

じゃあ日本堤ってのはどういうモノなんだい?

わかんねーだろ!(;´・ω・)

そうです、まず日本堤は現存しません。関東大震災の時に取り壊されています。

その名残が『土手通り』で、これらを歩いた、散策したってのはたくさん個人ブログや旅スポット案内みたいなので出てきます。

よし!じゃあ終了!(´;ω;`)

だと本当にそれらの人達と変わらんのでね・・・・

まず『日本堤』ってのはなんぞやって話からしましょうか。

(画像は名所江戸百景歌川広重よし原日本堤)

このアスファルトから想像がつきませんが昔はこういう景色だったわけです。

この浮世絵から完璧今回のテーマが導けるんですがわかりますでしょうか?

堤ってなんだって今でいう『堤防』です。

そういえば3年のB組のイントロで

(金八先生のOPより)

武田鉄矢が歩いているところ。

これはまさしく『堤防』です。しかしこれを「堤防だ!」と口角泡飛ばして呼ぶ人はそんなにいないでしょう。

『土手』とか『河川敷』って言われたほうがしっくりきますよね。

じゃあ『堤防』って何のために作るんですか?

「洪水時に氾濫を防ぐため」ですね。

じゃあ『なんで堤防の上』歩いているんですか?

はい、出ました(´・ω・`)

現代の河川敷、堤防の上にサイクリングロードがあったりして

「防水インフラに道路設けたら便利でしょ」的な雰囲気です。

でも本来インフラの上を通行して痛めつけることは良くないことです。

それがダムの堰堤の上を通路にしたりするのは

『強度があるのでその土地の交通と防水の両方を一気に解決』ということでしょう。

いやー入りずらい居酒屋さんですね。やってるかどうかは知らんけど。

では浮世絵をもう一度見てください。

・・・・なんか堤防の上しか移動手段なくね?

そういうことです。堤防の上しか歩けないんです。

実は今は平和な住宅地ですけど、このへん江戸時代は氾濫する湿地帯でした。

東京の寺社町でも下町の当たりって浅草と鳥越神社以外は高台ではなく、ちょっと氾濫すれば水があふれる酷い土地だったわけです。

これは江戸を乾いた大地へ換える戦いをした江戸幕府が挑んだ戦いの1つなのです。

正直、この戦いに勝てていなかった。

溢れてはぬかるむ土地。

そういえば浅草浅草寺の創建縁起も『隅田川で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像』です。

で、なぜ浅草の地なのかと言えば水に襲われない高台がここだったってことです。

閑話休題。

ちなみにこの日本堤は『明日のジョー』の舞台でもありあの『泪川』のあった場所です。

で、商店街が明日のジョーとタイアップしているのでこんな像があります。

かつての日本堤。わかんねぇよね(;´Д`)

これから向かう場所、そして日本堤にとても重要なモノがありました。

コンドームの自販機。

ここらで一気に説明しますと

この『日本堤』がある場所は『新吉原』です。

吉原と言えば遊郭。最初は日本橋近くにあったんです。

「御城の側に色街があるのはけしからん」ということで移転(明暦の大火がきっかけというのは実は誤り)

その時に移転場所として選ばれたのがこの裏浅草だったわけです。

で、「辺鄙な土地に離した」で終わり、めでたしめでたし・・・・とは行きません。

遊郭は潰れたわけではありませんし、存在すれば男は通います。

で、湿地帯ならば『船』じゃね?ってことで。実際猪牙舟で通うのもできたわけですが船の渡し賃が今の価格で3900円くらい。

女の子とウハウハする予算を多く確保するにはちと高い。

で、日本堤の上を歩いて通うわけです。

こちら『中江』桜鍋の老舗です。

国の有形文化財に登録されている、こちらのお店は公式を見ると明治期からということですが、馬肉は精がつくということでこういう花街や岡場所では定番の食べ物。奥さん、旦那さんに食べさせてあげれば今夜は間違いないよ(ΦωΦ)フフフ…(謎提案)

で、吉原で何をする?ってナニするに決まってます。

今みたいな風俗と違うのは『浮気をしない』みたいなね、けっこうお金を払ってエチエチであっても『縁』というものを大切にしていたようなそういう感じです。

愛を感じませんか?

思ったより客との『純愛』を貫こうとした遊女は多かったようです。

「指切った」の話だと

「上客を騙すために死体とかから取った小指を送った」みたいなエピソードがゴロゴロしてますけど、逆に言えば

「それくらい本当の愛を誓う場」であったと。

良く考えてみるとね、ただの売春ではないんです。

売春は男女問わず世界最古の商売、何も持っていなくても何もわからなくても身体投げうてば金が貰える。

でも吉原は「女日照りの江戸」のオアシス。

もちろん最上級の大夫に手が届くのは一部の金持ちだけ、湯女とかさらに岡場所の飯盛女とかそういう女性が男性の下半身の世話を見ていたのだということです。

その女性がどうやって苦界へ落ちたかはそれぞれあるとして、その苦界の生活が酷く辛いモノだったのはそれぞれとして。

江戸の男は愛を求めて女性がいる場所へ通うわけです。

おっ?そうかそう(ry

いやー話がくどくなった。

結局『下半身』と『愛』そして『吉原を続けたい経営者側』を幕府は利用したのです。

時代は下がりますが花見なんかもそう。

さらによく戦国時代に「城作りの工事現場で民衆を躍らせて、武将自らも騒いだ」みたいな話も。

もちろん祭りの盛り上がりで工事を進めるという意味はあります。今まではそういう意味合いで語られてました。

ですがそういうのではなく大勢の人間を立ち入らせる、

『日本堤を吉原へ向かう男に歩かせること』はインフラ整備にとても大きな意味合いを持っていると考えます。

城の土台を築くのに大勢に躍らせれば地面が踏み固められてしっかりした基礎が建てられます。

お?

そうです

『堤を踏み固めさせることで強度を増す』ってことです。

男はあふれ出るリビドーを抑えることはできません。ムラムラして堤の上を歩きます。

「はよ女抱きたい(;´Д`)ハァハァ」と必死に。

遠いとかそんなの気にせず歩きます。

そんな必死な男達の愛の歩みは確実に堤防を踏み固めて行きます。

さらに柳を植えているのは根を張らせるため。

もちろん夜ばかりではなく昼も人は歩きます。吉原は眠らない街、薪や油、中で消費される日用品を運搬する人が日中も歩きます。

となると

「お?ここひび割れてる」

「お?ここ崩れてるぞ!」

と発見することができる。

わざわざ役人が出張らなくても通行人が異常を見つけ近くの自身番へ声をかけてゆくわけです。

踏み固めること、そして異常や破損の発見を0円で続けられるわけです。

インフラから産まれるとか色っぽい話ではありませんが、

まあ確実なモノですよね。

愛と性欲がインフラを支える。


そして浮世絵には何か売っている出店も見えます。

ここで今度は明治期に転換したインフラの方向性が絡んできます。


さてよく『河原乞食』なんてね(´・ω・`)

あと橋の下とかはこう良くない場所の例え。

妖怪や鬼が住む、なんて言うのは『橋の下や河原で転がってた死体や障害者、疫病などで醜くなった異形の人』がいるから行くな、っていう戒めなんだと思うんです。

つまり『人が住む場所ではない』と。

で江戸時代、こういう河川敷は広小路と同じで、

「店出したりしてもいいよ~でも住むなよ~税金とかは取らんけど」

ということで

住宅地と離すことで防火防犯、そしてそういう堤防の踏み固めと異常の早期発見に使わせていたわけです。

もちろん氾濫したら自己責任ですが、普通に店を構えるよりお金は取られないので立ち食いや見世物小屋、大道芸、屋台などで庶民は買い食いをし、吉原へ通ったはずです。

吉原大門。今はガススタが目印。

で、明治期になって『溢れてもしゃーない』っていう防水に洋式の考えが取り込まれてしまいます。

『溢れない、壊れないように強く固く自然に抵抗する』ことです。

海外はたしかに堤防が低くさらに石造りです。

ただ海外の川は高低差が緩いのでこれで耐えられるのですが、日本は急こう配を降り落ちる激流です。

古い時代の堤防を残した地域は良かったんですが、古い時代のモノを壊しそこへ新しくデカく高い堤防を築いたんです。

もちろん溢れます。

でさらに高くする。

もちろん溢れる。

さすがに何回か氾濫するとバカでも気がつくので

「氾濫させても余裕がある土地があれば良い」

ということで堤防の外へもう一つ堤防を作り二段構えにします。

ここで明治政府は過ちを犯します。

『堤防と堤防の間』ここに「課税」してしまうのです。

もちろん普通の土地よりは安い税率でしたが無税で、乞食が住んでいたはずの人外の隙間、『河原』が無料ではなくなります。

そうなるとまあ畑作ったり、もちろん安さに魅かれて家を建て住宅地を形成してしまうところが発生します。

この避難場所は地震ばかりじゃないんです。水害とかそういうのも想定しています。

そういう

有象無象がいても許し、かつそれによって防水に役立っていたところからも税を取った、ただこの一点だけで治水は完全に堤防の背比べになってしまい巨大化の一過を現代まで続けることになります。

上流ばかりではなく下流にだって遊水地は設けなければならない。

東京の地下に洪水時のための広い空間が設けられているのは知っていますか?

『首都圏外郭放水路』といい水をバイパスさせ排水させるためです。

地上がいっぱいになってしまったから地下を抉って水をコントロールする。自分にはこれを「技術の発展!」と視れないんです。

結局長い年月でどうしようもなくなって地下に逃げたようにしか見えない。



山谷まで来てしまった。

そんなに危ない雰囲気はなくなっているがやはり目つきがやべーおじさんが転がっていたり、ゴミ箱漁りをしていたり、そういう人はまだ多い。

そういう中をすんごい美人でお洒落した若い奥様が子供の手を引いて高級車へ乗り込んでいく。

実際こういう厳重な扉がたくさんあるのは昔の名残なんだろう。

さほど危険じゃなくなっても、日雇いの町はくたびれ彷徨う老人とアッパーな住人、そしてバックパッカーが漂う。怪しさが変わっただけできっといつまでもまとわりつくモノは変わらない。

「泪橋を逆に渡る」

丹下のおっちゃんが「人生にやぶれ、生活に疲れ果てて、このドヤ街に流れてきた人間達が、涙で渡る悲しい橋」と呼んだ泪橋はない。

逆に渡るも何もない。

スマホとイヤホンで世界を隔絶しながら世界とつながる個人が交差点を逆に渡り歩く時代になった。


「プライバシーを守れ!」

と色々権利を主張し、騒いできた人間が

「幼稚園を作るな!」と声を上げる。

子供は愛の結晶であってほしい。

ただ欲に任せて産み落とし虐待とかしないで育て上げてほしい。

ところが

その幼稚園反対する権利を主張する野郎達が

「少子化!今の若いもんは」

という。

「昔の人間関係がなくなった」と嘆く。

失わせた張本人が被害者面をして問題を発見したようなしたり顔でぬかす。


わたしは愛をうしなわせたこいつらをぶっころがしたい気分になる。

世代間の問題で

「親のせい!産まれのせい!」

ってなんか他人に押し付けている感じがする(本当に押し付けているやつもいるけど)かもしれないけど

「人間関係なんかどうでもいい!」って育てた子供達に

「人間関係大切だ!」って吠えるのは完璧に若者を困らせるだけの害じゃないか。

人の親になれたってだけでそいつらにどんな個別のほっこりエピソードがあろうとわたしはそいつらに『愛』は認めないし『愛』を語る資格すらない。

それくらい厳しい思いを抱いているのだ。

もっと直接的に言えば「反吐が出る」ってな。

そんなら一時の夢であっても男を包んでくれる女性のほうが愛がある。

自分はお金が絡む恋愛とかそういうのが嫌いなので縁を持つ気もないが、例えていうなら

『ソープはゲーセン、キャバはソシャゲ』くらいに考えてる。

金金金ってそりゃ金稼げるかもしれんけど品がないのってやっぱ長続きしない。

老いが認めらない人って『老いたら終わり』の商売しかできてねぇからだ。

例えばお浜さんで有名なあの歌手だって老いを見せて普通に

「太った、皺できたー、でも歌う」ってやってればよかったかもしれない。

でも生歌はダメだし時空が歪む加工画像で誤魔化せば

「ああ、中身もう残ってないんだな」ってわかるさ普通。


吉原の中を歩いていたら呼び込みの人にあきらかにお金は持ってなさそうなしかも松葉づえしたじいさんが何かをしつこく聞いている場面に遭遇した。

ちゃんと敬語で答えてるんですよ。その呼び込みのお兄さん。

時間帯もあるだろうけど追い払うこともしないで返事をして受け答えをしている。

自分も声をかけられたけどとても上品。

もちろん入りませんでしたよ!投げ銭でソープとかおかしいでしょ!(;´Д`)


郡山のキャバの呼び込みなんかめっちゃ下品だもん。

おかしいのいっぱいいるし。

エロでもなんでも伝統と品格は必要なんだなとひしひし感じた。

でここで2枚だけ貼り付けます。

実は何百枚も撮った画像のだいたいがこういう『土手通りに面した交差点』ばっかり。

なんで?

勾配伝わりますかね?全部ではないんですが日本堤に向けて勾配があるんです。

これが名残っちゃ名残でブラタモリのように映像で見れば

「ははぁ」ってなるんですが静止画はまったくつたわらない。

地面に置いて撮影してみたんですが微妙。

でも現地に立ってみるとなだらかなまったく気にならない勾配が長く路地へ続いていくんですね。

で、吉原の中で勾配は止まる。つまりかつてから平地だった場所。

堤を取り壊して新しくできた地面と元からあった地面の勾配なんだと思うんですが本当に伝わらんのよ(´;ω;`)

ちなみにこの地域は病院とかたくさんあって交通の面以外はとても便利な気がします。

タクシーがばんばん通っててお店の前で止まってたりはしますがそれはお客さんであって住人ではないでしょうし。

で、吉原から門へ向かうと途中不自然に曲がっているんです。

これは見えないようにってことらしいですよ。真偽は不明ですけれど。

で、山谷のほうは商店街に混じってかなり政治臭のするビラや朝鮮半島系宗教団体とかやっぱうさん臭さが漂うんですけど、

こちらは上品。

この温度差が個人的に一番印象的でした。


これびっくりした。ランドって使うからそれかと思った。

続きます

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