2019/06/27 旅に生きる ~地形考④~
※みなさまの投げ銭を旅費にしてい旅をする企画です
戻りながら気になっていたところへ寄り道をするわけ。
面白い注連縄。新潟で多い形なのだそうだ。
でも鮮やかな緑色が目に飛び込んだので寄り道を決めたわけだが。
『潟岡大明神』祭神は『埴安神』
この地域の開墾時に建てられている。後ろは家もあるが水田や畑が広がっていて、今でもどっしりとこの地帯を見守っている。
神の視点。
もし座って眺めていたとしたらこの方向から見ているわけで。ちなみに鳥居の向こう側も水田。
平地とは日本人にとってなんなのか?
安住の地であるか?と問えば水害や地震で被害を受ける場合、ここは外れる。
例えば信長が若かった頃、拠点であった尾張がある濃尾平野は船で行き来する湿地が多かった。
だから交易で成功する事が他の家とどれだけ大きなアドバンテージがあるか、そしてそれを狙われるか。
桶狭間も深田の多い湿地帯だったと言われる。
信長が湿地から離れるのは岐阜に入ってからなのだ。
だが晩年の安土城は湿地帯に建てられた。
さらに『本当はこっちに建てたかった』本願寺も上町台地の上なだけで河川に囲まれ、海に近く水運に持って来いの立地。
信長の勝手知ったる地形は『湿地』だったのかもしれない。
その人の原風景は一生を左右する。こういう事を単体で書いても特に問題にはならない。
ところが今回のようなテーマで書くと『環境決定論』の色合いが濃くなる。
でもそういうことなのかもしれない。
何かのカウンターとして考えを起こすとカウンターそのものが目的になってしまいブレがちになる。
問題を解決したい大人が何人かいて、Aの案がうまくいかないから、B案、C案・・・・が健全なのに、
「A案を出している人間を追い落としたいから案を作る!」では問題解決という目的に寄り添っているとは到底言い難いし、さらに実行する段階にどう実行していいかわからず途方に暮れそうだ。
最近の自治体の長が地形を考えることは
「山道で不便」くらいの程度だろう。
インフラストラクチャ―として道路を通すことはその集落の消滅への手助けになる可能性がある。
『交通の便が良い』ということは裏返しで、
『地元じゃダメ』ということだ。
あまりこういう考えはしないかもしれないのだろうが、田村市なら郡山に買い物に行く。
昔は磐越東線で揺られた。ところが今はみな車だ。
高校生も電車通学なのに部活動をやっていると朝練、放課後夜間までの練習で結局親御さんが車で送迎している。
電車通学の学生も100%家までそれで完結しているとはいいがたい。
列車の時刻に駅前に迎えの車が並ぶ。その横でタクシーは暇そうにしている。
モノを売ったり情報のやり取りは外部とつながったほうがいいが、そこで働く働き手や最低限の材料などはできるだけ近場から集めるのが良い。
電気は別として、上下水道・コミュニティ交通網・産業の促進などは『自前のインフラ』なのだと思う。
原風景から人は逃れられない。
子供のころの環境や親からの教えは人を作る『知識の地形』である。
それをどこにも持たない大人や捨てた大人がみんなのために何かをするというのはなかなかに考えにくい。
実は今現在問題になっている『優しくない社会』は下ごしらえがはるか昔から始まっていた下部を流れる問題だったのだ。
それに気がつかなかったのは老朽化した下水道の修理交換にあたふたしているのと同じこと。
定期的に交換してしまっていればむしろお金は安かったのだが、それは後の祭り。
そこへ『原風景の違う余所者』を連れてきても新たな問題を産むだけである。
その原風景を表すモノも今なくなりつつあるのだが、それは次にしよう
投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。