あの日から10年

津波から10年。
つまり、自分の人生を変えるきっかけの出来事が起きた日から10年です。

今回は当時の出来事を書こうと思います。
もし良ければ、読んでください。

当時高校生だった僕は10年前、ことの重大さに気づいてませんでした。

しかし大学生となってから本田圭佑さんや孫さん含めた著名人の方々が行った事を見て、当時のことを調べ、恐ろしい事が起きたのだと肌で感じたのを覚えております。


そして僕は母に貰った白のライフで、関西から被災地に向かう事を決意しました。

荒れている日が多く、海の勢いは恐怖を感じ、芝生一面だった場所は砂場に。
お店の大半は流されており、道の駅も人がおられなかった事を覚えております。

ただ、
被災地の日の出は世界一綺麗で、現地の方々は皆さんとてつもなく温かく、大変な状態にも関わらず僕たちの心配ばかりしてくださったのを覚えております。

そして2日目の夜、銭湯のおばあちゃんがこんなことを。

私は目の前で家族が


助けて


と倒れていたが、何もできなくて亡くなった。


若いんだから、目の前で倒れている人がいたら助けられるように勉強しておいた方が良いよ


と、くしゃくしゃな笑顔で言ってくださりました。


僕は何故か涙が出て、帰り道の車でもずっとこの言葉が胸に残っておりました。


そして帰宅次第、家にこもり色々考えた結果、

・百聞は一見にしかず
・とにかく行動は大切
・ボランティアとはボランティアに行く人が学べる。
・大学生の僕だからこそできる事はないか


反省

・良くも悪くもとにかく行動したため、現地で何もできなかった

といった形です。
※ここから少し巻きます

そして僕は、銭湯のおばあちゃんの言葉を胸に応急手当普及員の資格を取得し、250名の学生サポート団体に入り、企業や学校を回ってこの想いや応急手当の行い方を拡散し、気づくと250名の代表として新聞にも取材されてました。

そして熊本の震災の時には
就活なんて馬鹿らしいと考え、地震が起きてすぐに計画を立てて被災地に行き、トラック2台の物資、そして現地であらゆる活動に取り組んで、たくさんの方から感謝と涙をいただきました。


そして熊本での出来事がきっかけで、起業を決意して東京に出る事を決めました。

※めちゃくちゃまとめてすみません具体的な部分は後日、記入します。


この流れで何を伝えたいかというと2点。


1つ目は
クラブ通いでバイトに明け暮れていたただの大学生が、気づいたら 俗に言う 

意識高い大学生

になれてるんです。


そして2つ目は















そうなんです。

















これ、起業した時に同じ事経験してるんですよね。

24歳でとりあえず起業してとりあえず仲間を集めたが9割の人間が辞めた。そしてその後色々考えてやったら、少しうまくいって、でも課題が9割。

次のチャレンジで、失敗した9割を改善するも次の課題が見つかる。

本当にエンドレスにこれが続いています。














学生や若い子達へ。

最近、
何か大きな失敗してますか?

新たな事に取り組んでますか?

人のせいや社会のせいにして生きてませんか?

死ぬほど泣いたり、死ぬほど病んだり、死ぬほど喜んでますか?


なにも失敗してないから、何もできないし何もやりたいことが無いんだよ。




日本は広いし、なんなら世界は広いし、いつ死ぬかわからない人生。
本当にそれで良いの?

仕事だからボランティアに行けない。

奥さんがお小遣いを増やしてくれない

給料が少ない

その意見もわかる。

でも、その現状を変えようとしてないのは自分じゃない?

















でも、何をすれば良いかわからない。




















それであれば、































熊本でも東北でも良いですが、現地に行ってみてください。


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