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震災。 ボランティアは行くべき? 行かないべき?

こんにちは。

せっかくなので昨年の振り返りや2024年の生き方を書こうと思いましたが、表題の通りの現状のため、内容を変更してお送りします。

まず始めに、これはあくまで私が感じた事であり、政治家でもなければ消防士、自衛隊、被災にあったこともないので、事実かどうかはわかりません。

ただ、ボランティア側として実際に体験はしているので、正解だとは思っています。

そしてそもそも何故、このような記事を書こうと思ったのか。
それは、Twitterにあらゆる情報が溢れていること。加えて僕の愛する後輩2名とその奥さんと子供が今回、輪島にて被災したためです。
実際に現場で体験した人が意外と少ないので、僕がリアルを書こうと思いました。

※連絡がつながらないため、まだ連絡は取れていませんが昨日の22時半に着信があったのと、別経由で連絡があった事を確認できています。









では早速ですが、まず背景から。
本題ではないので、大きく端折ります。




❶背景
そもそも僕は7年前までお金や経営に対しての興味は無く、独立とは縁も無い考えでした。それもそのはず、小学生の時から大学4年生まで消防士を目指しており、大学に進学したのも京都か東京にて上級消防として合格するためです。

当時を振り返ると、僕は大学2年生までクラブやイベント、レゲエにハマり、クラブ通いばかりしてる普通の大学生であり普通の人間でした。

そしてあらゆる事を知る中で東日本大震災が気になり、遅いかも知れないが、ボランティアをしようと友人達と車で東北に向かいました。

しかし、無計画で行った事で結果的に何もできなかったため、とにかく景色を見たり、街の人達に話を聞きました。
すると夜、銭湯のリラックススペースでおばあさんと話をしました。
これが僕の変革期です。



「私は目の前で倒れている人を助けることができなかった。今も後悔している。あんたはそんな人間になってはいけないよ」


 と言葉をいただいた。
僕の中で何故かその言葉が印象に残り、すぐ行動に移した。




そして関西に帰宅後、ボランティアのチームを探し、最も大きなことができそうな組織に入った。学生限定の組織だった。

ここで僕は応急手当ての資格を取り、中学校や企業に応急手当ての重要性を伝えに回った。この時の経験は、紛れもなく今も生きている。
そんな経験を繰り返す中で、僕は250名を超える組織のリーダーとなった。その直後の大学4年生の4月、皆さんご存知の熊本の地震が起きた。

僕は前回、何の役にも立てなかったからこそ、このタイミングでは冷静に役割を分けて作戦を練って向かいました。
※細かくは割愛します。









そして本題。

SNSにいくつもの疑問がある。
でも僕は実際に熊本の震災に対して最速で、そして最も被害の大きかった益城町で活動もしている。全て生で感じた事だからこそ忖度なく発信をする。

※箇条書きになりますが、お許しください。


❷現場の状況
・家が恐ろしい状態になっていた。写真や映像の何倍ものインパクトが襲う。

・地震が頻繁に来る。
→1Kに5人で寝ていたのだが、これが本当に恐怖。当時のことが鮮明に残っている。夜もいつ地震が来るかわからず、頻繁に揺れるため全く寝られなかった。

・ひどいエリアと通常エリアは被害状況に雲泥の差がある。車で数分移動するだけで別世界である。
→熊本市は人も溢れていて電車が通っていた。益城町は本当に何もなかった。目に見える家、あらゆるものが崩れてた。

・区役所(市役所)=避難場所 に人が寝泊まりして溢れている。
→この光景も非常にインパクトが強かった。

・レイプや強盗の噂は現地でもたくさん聞いた
直接目で見てないので無責任なことは言えないが、現地でもこの話は聞いた。状況的に、確かに起こりそうな雰囲気はあった。カメラを見ていても、泥棒目的なのか、通常と逆方向に走っている人間もいた。女性は気をつけてほしい。

・体調崩している人が多い
→嘔吐を繰り返す人はたくさん見た。みんな精神からきてるのだろう。
ゴミが街中に捨てられているのも、理由の1つかもしれない。

・交通面が開通するまでは作戦を練る。そして開通すれば即行動を始める
→整う前に行っても何もできない。

益城町


益城町


❸感銘を受けたこと
・ボランティアに来ているのは、子供や女性、外国の方、障害を持たれている方が多い。

・東北の人たちが、過去に助けてもらったお礼と言ってたくさん来られていた。
→おそらく今回、熊本の人含めた被災されて助けてもらった経験がある人も来られると思う。

・とにかく良い人が多い。涙腺は崩壊する。
みんな希望を持って想像の何倍も明るく生きている。

・消防士さんや自衛官をはじめとした公務員や関連する業務の方々は、自分の家族が心配な中でも、家に帰らず活動を続けておられる。
→子供や大切な人がいる人は、この辛さがわかると思います。

❹注意点 (全て熊本の震災の時の話です)
・都道府県や国や市が公開しているボランティアに申し込むこと
→どこに問い合わせがあるか、どこに被害があるかを把握していて割り振ってくれる。

・ボランティア募集がかかってから向かう。

・可能であれば都市部ではなく、ひどいエリアに行ってほしい。
→今回が同様かわからないが、熊本の際は熊本市においてはボランティアで溢れていた。ただ、益城町は全く人が足りてなかった。

・役所へ申請して向かえば、高速代は後々返金してくれる。

・死ぬ可能性はある。覚悟を持って向かってほしい。
→大事な人に思いは伝えて、残すべきものは残して向かうこと。

・一人よりも誰かといく
→絶対に知り合いと行く事を勧めます。動ける幅が広がります。








ここからは後半戦。
❺出回っている意見に対しての個人的な思いを書かせてもらう。

①行っても迷惑になる&邪魔になるから行かない。
→断言する。そんなことはない。
本当にそれは現地で聞いたか? 被災地でボランティアしたことがあるか?
僕は現地で消防士や自衛隊含め100名を超える人と話したが、みんなが本当に感謝してくれたし、もっときて欲しいと言っていた。

こういう発信をすると、
「いや、ボランティアの募集がかかるまでは って意味だよ」 

という人がいるかもしれない。
いやいや。それならその一言を添えるべきだろう。
影響力のある人が、この一言を抜くことでボランティアに行く人が1名でも減ってしまったらどうする。自分の影響力を理解してほしい。

今からでも遅くない。可能であれば訂正してほしい。

当然僕も今回のケースがどうなのかは、正直わからない。
女性、子供たちは足りているかもしれない。
でも、圧倒的に熊本の震災において力のある人手は足りなかった。
行かないことは判断の1つで良いが、行こうとしてる人の妨げはしないでほしい。お願いです。





②こんな時にお笑いや明るい話なんて不謹慎だ 
→そんなことはない。
僕たちが熊本で喜ばれたことは、ボランティア活動での瓦礫運びよりも、
老若男女問わず、笑顔にしたことだ。

事実、僕たちは最初控えめに活動をしていたが、初日の活動で求められていることが希望や笑顔だと気づいた。

関西人って面白い。笑顔になれた。ありがとう。
笑えるような事をすると、みんな笑って泣いてくれた。
君にはそんな夢があるんだね。 わざわざ関西から車できたのか!
僕の今後を楽しみに生きてください! と伝えると、お金を渡して下さるご老人までいた。
泣きながら握手して感謝を伝えられた時、僕も思いっきり泣いた事を覚えてる。


お笑い芸人さんはお笑いで。
スポーツ選手さんはスポーツで
アーティストはアートで。
ビジネスマンはビジネスで。
影響力のある人は影響力で。

自分に取り柄が無い人? 
大丈夫。100円でも募金すればそれは世のため人のためになってるし、募金ができることが強みです。それだけで生き様はカッコ良い。

みんながそれぞれのやるべき事をすれば、この世界はもっと良くなるはず。


③募金は中抜きがあるからやめておけ。

→事実は知らん。何が本当か嘘かわからん。無責任は発言はできない。
でも、その制度が気に入らないなら解決策見つけて現地まで行け。
もしくは、現地の誰かにお金を贈るなり、現地に向かう公務員の方々や、ボランティアに行く人に連絡をして、お金を贈ってあげてほしい。

勘違いしてほしくないのは、自分が募金をしないことは何の問題もない。
でも、どこかの団体に募金しようと思ってる人の行動を、一括りにして消さないでほしい。
使われないかもしれんけど、使われる可能性があるだけで理由としては充分やと思う。そこに課題を感じるなら、代案が必要だ。
代案なき否定は良くない。




❻最後に2つ。

被災直後は物資が不足する。
そして中盤からは物資は余りだす。しかし、人とお金が不足する。
何より希望と笑顔はずっと不足している。

祈るだけでは何も変わりません。
何もしない善者よりも、行動する偽善者が必要です。
俺は募金したぜ! ボランティア行ったぜ って自慢してください。
偽善者になろう。



このタイミングで運気が悪くなる発言を増やさないでください。
政治家や国、他人のツイートに対して苛立ちや不満は僕もあります。
でも、そこを叩く発言は被災者を良い思いにしますか?

特にフォロワーが多い方。政治家、CA、有名人、国、他人のツイート。
それらを叩いた先に何がありますか?

救助してる自衛隊さんや、頑張ってる人を称賛するツイートが増えて欲しいです。僕はボランティアしている時、こんな時に揉めるなよ。と感じました。




重要なことは豊かなときに考えるべきです。

思いやりとか優しさは持つものではなく、思い出すものです。
人を喜ばせるのは、善意ではなく本能です。
これを思い出すのが、生きる意味じゃないでしょうか。

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