見出し画像

マイケル・ジャクソンさんの命日に。

今日はマイケル・ジャクソンさんの命日だという。なんだかこう、外国のスターで故人だからといって呼び捨てにするのがいつも慣れなくて、不自然な気がしつつも、さん付けで呼んでしまう。

わたしは洋楽をまったくと言っていいほど聴かない。理由は簡単で、英語があんまりわからないからだ。恥ずかしながら。そんなわたしが企画メシという講座の課題で彼について調べてみた。
音楽だけでなく経歴なども辿ってみると、世の中に振り回された人生を思って勝手に切なくなった。マスコミ、知人友人、いろんなひとが思惑を持って彼に近づき、好き勝手な言動を繰り広げる。多くはお金や名声を目当てにして。

光が濃いほど、影も濃い世界。

この記事を見て、また残念な気持ちになった。

記事のなかで、西寺さんはこんな風に語っている。

つまり、マイケルに関してはその辺に暮らしているどこの誰よりも無実である証明がなされているくらいなんです。なのに、まだ疑っている人がいる。で、話を聞くと皆全然知らないんです。多くの人は冷静な事実よりもスキャンダルやゴシップが好きなんだなぁ、と改めて。

音楽的なことは全然わからないのだけれど、マイケルさんの声を聴くと、澄み切った心をもったひとなんだと伝わってくる、気がする。

調べた上で、彼をキング・オブ・ポップではなく、犯罪者に仕立て上げられそうになったひとでもなく、ただひとりの男のひととして見つめ、余計なことは考えずに曲を聴いた。

ここ10日間でふれた、マイケルさんの人生と音楽。

こんなきっかけでもなければ出会えなかった曲に、胸をつかまれる。もっと深く知れば、もっとその魅力にハマってしまうんだろうなあ。

彼のように死んだあとも残るものを創り出したい気もするし、何も残さずきれいに死にたい気もする。

命日。どんな由来か知らないけれど、命を考える日になった。生きているひとたちのためにある記号が、命日なんだろうね。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。