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ああ、人生を振り返ったときだけが。

大人はよく、じぶんの人生を語りたがると言うけれど。
その理由がわかった気がする。

人生においての、いくつもの彩り。それは振り返ったときでなければ気づけない色彩なのだ。
たとえるなら、必死で坂道を登り風に髪をひっぱられるように振り返ると、眼下にはこれまでの道のりと景色がうつくしく広がっていて、目に飛び込んでくるというような。
登っているとき、前を向いているときには、見えないうつくしさ。

いつも、歩んでいる瞬間にはわからないことだらけ。

ちょっとだけじぶんの気持ちや、やりたいことが整理できた近ごろ。振り返っても靄しか見えない時期を過ぎ、まだ道の途中(ずっと低いところ)だけど、いくつもの出来ごとが星座のように連なって見える。
一見関係のないものごとを、じぶんの意志で結びつけたら、まるで星座だったのだ。

振り返る過去のうつくしさはもとより、その結びつきや縁が、よりいっそう過去を魅力的に見せ、未来への推進力となる。また新たな結び目をつくっていこうと前を向ける。

「なんだよもう、あのときにはわかっていたんじゃないか」

じぶんに言う。思い込みやなんかで、ずっと迷っていたのだ、わたしは。振り返ると、道しるべのように儚い光が落ちていた。大切に拾って、ポケットにしまったら、なんだか誇らしい気持ち。

振り返ったときだけにある、この気持ち。

わたしは熱くルーツを語ってくれる大人がすきだ。それは、一緒にその景色を見せてくれてるように感じるからかもしれない。
とはいえ、わたしの周りの大人のみなさまは「おれなんかのじぶん語り聞かせても……」と、なかなか話してくれなかったりする。それどころか、わたし自身の話を引き出してくれちゃったりする。

その謙虚な姿勢をわたしも大人の一員として見習いたいものの、「えっ、話してほしいです!」と先輩方には声を大にして言いたい。後輩にも言いたい。年下のひとたち、みんなすごいからなあ。年齢関係ないもの。
大丈夫です、もし万が一お話に満腹になったら、すぐ素直に言っちゃいますから。それまではどうか、たのしく人生を振り返ってお話してくれませんか?

わたしも、前に向かうために、たまには人生を振り返ってみますから。あんまり素晴らしい景色ではないかもしれないですけど、一緒に見て、アドバイスやら激励やらもらえたらうれしいです。

まだじぶんの望みが見えただけでなにもカタチになってはいないのだけど、望みが見えているだけで、ふつふつとチカラが湧いてきます。

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