見出し画像

旅の意味を振り返ったら。

東京に帰ってきて、仕事をしていると、1日が過ぎるのがあっという間だ。

じつは仕事が立て込んでいて、先週の金曜日に有給休暇が取れるか、直前までそわそわしていたのだけれど、なんとかなって、行くことができてよかった。

旅のあいだも、noteを更新してきた。スマホでちまちま書いていたので、トップ画像がまだついていなかったりするけれど、あとで少しだけ修正しようと思う。

【一日目】
https://note.mu/66_6/n/n24b64157d0ad
【二日目】
https://note.mu/66_6/n/n6661728950ee
【三日目】
https://note.mu/66_6/n/ndf84b75c0ff5

コピーライターにどうやってなったのか、そんなことをnoteで書いておいたのもよかったと思う。大阪で暮らしていたころの悶々としていた時間も思い出して、そのころのじぶんと一緒に旅ができたから。

大阪にいたころのわたしと、いまのわたしが、深くわかり合うための旅でもあり、大阪をすきになるための旅でもあった。

「こんなのんびりしたところは大阪しかないよな。東京とも田舎とも違うんや」

そんなことを、一緒に天神橋筋商店街を歩いていたひとが言った。ほんとうにそうだなあと思った。猫背でゆっくり歩くおじちゃん、派手な服と化粧のおばちゃん、商店街でチャリに乗る男に「降りろ!」と大声でどなるおじいちゃん、店先でぼーっと佇む売る気のなさげなおばあちゃん。ルールや正しさに縛られないひとびと。

食べものはおいしいし、物価は安いし、おもしろい。

ああ、いい国だなあ。

逃げるように職を変え引っ越した気まずさが、ほどけていく感覚があった。

大阪を堪能しながらのインタビューでは、たくさん話を聞いてしまったので、どうにかせねばいけない。

奈良での時間は、また大阪とは違ったのどかさがあって、固まっていた心の片隅がゆるむ感じがした。

大神神社は、やっぱりとくべつだ。三輪山のすばらしさ。

前にはじめて三輪山に登拝したときのことが、何度も思い出された。山の中の様子については書かないけれど、ある夫婦との出会いを書いておきたい。

わたしは、ちょっと壊れかけていて、ぼろぼろだった。ヤケを起こしたみたいに、前に2、3回お参りをした大神神社の山に登ろうと思い立った。どうしてそう思ったのかは、よく思い出せないけれど、実際に登った。

言うことのきかないからだで、ふらふら登っていたら、60代くらいのおじさんがわたしを追い抜いて振り返り、声をかけてくれた。

「うちの奥さんと一緒に登ったらいい」

すぐ後ろに、にこにこしたおじさんの奥さんがいた。

ちょっと寡黙なおじさんと、おしゃべりで明るいおばさん。声をかけてくれた夫婦は、わたしを一緒に頂上に連れて行ってくれた。
「今日は大安なの、だから登るひとも多いんだわ」なんて話を聞きながら山を歩くと、しんどさが緩和されて前に進めた。

下山してから、一緒にごはんを食べた。表の参道のほうではないお店で、三輪そうめんを食べる。しかも何故かごちそうになってしまった。あわてるわたしに、「いいから、ごちそうするよ」とおじさん。

さらにそのあと、ご好意で家まで送ってもらった。あまりにいいひとたちすぎて、びっくりした。「どこに住んでるの?」という話になって、夫婦は大阪から車で来ていたので「乗っていきなさい」と言ってくれたのだ。

登拝で疲れたこともあり後部座席で居眠りしてしまい、声をかけられて起きて謝ると、「それだけ居心地いいと思ってくれてたってことだから」と声をかけられて、泣いてしまうかと思った。

その夫婦とは、それっきり、会うことも連絡を取ることもしていない。連絡先もわからない。けれど、感謝の気持ちは、以前よりも大きくふくらんできている。これでいいと思っている。わたしはこれからも助けてくれたやさしい夫婦に感謝し続けるし、もらったやさしさを与えられるひとになろうと思える。どこかで会えたら、うれしいけれど。

縁が長いひとも、そうでないひとも、出会ったすべてのひとに感謝したい。

関西での縁のひとつひとつを思い出して、そう心が言った。


場所をすきになること、ひとの縁に感謝すること、神聖な空気に浸ること、時間の感覚を取り戻すこと。

振り返って、この旅にそんな意味を見つけた。

このタイミングで、旅ができてよかったな。

今日は家に帰ったら、みむろを食べる。

名前も三輪山にちなんだ最中は、奈良にしかお店がないから、来たら絶対買う。皮が香ばしくて、あんこは素朴。ああ、早く食べたいなあ。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。