日常は金平糖のようにきらきら光っている。
ああ、なにも書くことが思い浮かばないまま、頭痛が襲ってきている、いま。
家に帰宅して、ぼうっと、あたたかい緑茶を入れて飲んだ。
仕事のための資料として、化粧品のトライアルを注文したのだけれど(もともと特別な興味がないのでふだんはしない)、後追いで何度もメールやお手紙が届く。早く注文すれば、「●●%オフですよ」という内容だ。
なんだか追い立てられているようで、ちょっと苦しい。これもきっと、誰かコピーライターが必死に内容を考えた手紙やメールなんだろうなあと思いながらも、開封せずに捨てようとしている。少し苦しさが増す。
部屋にあふれてきた本に、どうしてやろうかと呆然とする。あれもこれも読みたいのに、手がつけられない。ああ、虚しくなっちゃうな。
あの人からのLINEも、この人からのメッセンジャーも、うまく返したいのに、なんだか空振りしているような、伝わってないような気がしてくる。キャッチボールできているだろうか。
なんて、ちょっとブルーが濃くなっていた。
ぜんぶ、体調が悪いことに起因しているのだろう。
セーブして引きずられすぎないように距離を起きつつ、上手に付き合わないとな、と冷静なじぶんが言う。この頭痛に苛まれている彼女をいたわって、でも甘やかしすぎずにね。客観的に愛情を持って見つめる。客観性と愛情は、両立するものなのだと最近実感している。
ささ、あたたかいお茶をもう一杯飲んで。大丈夫だよ。
忙しさにかまけて、補充してなかったトイレットペーパーとティッシュペーパーを買って、トイレにきちんと並べて収納したら、思った以上に大きな達成感があった。ちょっとのことが、じぶんを救ってくれるんだよなあ。
GoogleHomeMiniに音楽をかけてもらって、鼻歌を歌いながら洗濯物を畳んで、またひとつ、胸にきらきらした金平糖のような光が転がり込んでくる。
日常の、ささやかなこと。大したことのない暮らしの紡ぎかたが、じぶんに力を与えてくれるんだ。
なんて書いていたら、30分が立って、こうして言葉が並んでいた。日常は、いつだって、金平糖のようにきらきら光っている。
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