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コピーライターになったはいいものの。

昨日、じぶんがコピーライターに転職するまでのことをざっくり書いた。

こういうnoteを書くのを、いままでためらっていた。一緒に賞に出した仲間も含めて宣伝会議の講座に通っていたひとたちとは疎遠だし、まだなにも成していない、コピーライターの肩書きがかろうじてある程度のわたしが、偉そうに語ることなんて無いと思っていた。

でも、noteコンサルで水野さんが
「どうやってコピーライターになったの? そういうnote読みたいひとがいるはずだし、誰かの役に立つと思う」
と言ってくれたのだ。
「業界や周囲の目を気にして『わたしなんか…』と遠慮せず、すきなことを書こう」とも。

さらにこうして水野さんに教えてもらった通り、書いたnoteの振り返りもしているのが、いまだ。

noteコンサルをしてもらってから、どうやってコピーライターになったのか、一度まとめようとずっと思っていた。書けてよかったな。

長いnoteになったけど、はしょった部分ももちろんある。
からだを壊したこととか(学ぶことも多かったけど……)、仲間と疎遠になったこととか(いろいろあった……)、谷山クラスでズタボロになったこととか(最後、クライアントへのプレゼンに行くことはできたけど……)、そういうところはあえて省いて編集した。だって、感傷的になるし、素直には書いているけど、すべてを晒す気はないことだから。編集は大事だ。

もしかしたら、誰かには不満かもしれない。カンに触るかもしれない。お前ごときがと思われるかもしれない。それでも、ちょっと怖いけど、業界の外にいるひとの役に立つなら、書く価値のある話だと思った。

わたしもコピーライターになる前は、どうやったらなれるのか悩んでいたし、ひとつの例として誰かの役に立てたらうれしいなあ。

谷山雅計さんは確か谷山クラスで、細かい部分は違うかもしれないけど、こんなようなことを言っていた。

「書く能力のあるコピーライター志望の人間が埋もれることは、無い。なぜなら、コピーライターや広告をつくる人間はみんな大きく言えば『いいところを見つける仕事』をふだんずっとしているわけだから。だから、コピーが書ける人間は、周りが放っておかない。そういう世界なんだ」

当時、この言葉を聞いて、なんだか希望があるような、なにも持たないじぶんが怖いような、とにかくドキドキしたんだった。

なんだか、初心を思い出している。

コピーライターになったはいいものの。ひよっこだ。それでもこうしてnoteを書くくらいには、なにか少し、覚悟が出来てきたのかもしれない。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。