焦ったときはね、一つひとつね。

じぶんに向かって唱える。
大丈夫だよ、ひとつずつ解きほぐしてね。

周りの友だちにも、みんなにも、もし焦っていたら言いたいことだなあと思って、今日はそんなnoteです。

******

ずっと焦ってたのが、するんとほどけた。わたしの心に渦巻いていた『焦り』がどこから生まれてくるのか、気がついたのだ。

『執着』

「こうしなければ」「ああしなければ」が強くなっていたのかもしれない。いまのじぶんが望むことと『執着』がズレるほど、焦りは大きくなる。ずるい心は、すぐに答えを欲しがるから厄介だ。余計に焦っちゃう。

恐ろしいことに、ズレに気づかずに『執着』を望みだと勘違いしたままだと、焦りだけが残って、心が迷宮入りする。

ちょっと前のわたしのことです、はい。
「あれ? なんで焦ってるんだろう? いまも楽しいよ? なにが不満なのわたしは?」

こういう袋小路に入ること、表に出さないけどけっこう多くて、同じことを繰り返さないためにも、いま書き残してるんだ。

「こうしなきゃいけない」
でも、心はわくわくしない。
「あんな風になるんだ」
でも、心が動かない。

心のわくわくが反応しない方向を向いていたら、それは『執着』なんだ。

わたし個人の反応の話だから、万人に当てはまるものではないのかもしれないけど、ささやかな気づきだ。

『執着』に走ってしまう原因はなにか。うーん、そうだなあ。きっとそれは『不安』だ。

たとえば。

「ほんとうは、右の道に行きたい。でもじぶんにとっては難しい。みんなも反対するだろう。左の道に行くのはスムーズだし安定してる」

『不安』がわくわくを押しつぶし、選択肢を狭め、『執着』を生む。

「ああ、やっぱり計算したら左の道だ。じぶんには左しか選べない」

そうして『焦り』は生まれる。

ああ、そう考えると、すべての根本は『不安』なのかしら。

「やるんだ」と、右の道を選ぶんだ。
じぶんの心を鼓舞する。

たとえ困難があっても、心が惹かれる道を無視するほど生きづらくなるから、成功も失敗もなくすべて経験だから、生きてさえいれば大丈夫だから。じぶんが決めたことなら、きっとできるじぶんが未来にいるから。

絡まった心をひとつずつ解きほぐして、励まして、怖がりな小さなじぶんを心の底からすくい上げると、行きたい方向がすっと見えてきた。

チャレンジしてダメだったら、また考えよう。
だって、わたしは大丈夫だから。
きっとみんなも大丈夫だよ。
本気でそう思う。

すべての前提条件や常識を薙ぎはらって『執着』を蹴飛ばし、じぶんの『不安』に寄り添う。『わくわく』を探しだして、思いっきり覚悟を決める。

抽象的かもしれないけど、焦ったとき、こんな方法でじぶんと向き合うのも、いいかもね。わたしのおすすめです。

焦ったときはね、一つひとつね。
心を解きほぐしてみてね。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。