レディプレイヤー1が未来を「オトナ帝国」で描くこと/多層性と真白の未来

いろはす桃を飲みながら「もも天おいしー」と思ったとき、レディプレイヤー1はオトナ帝国だったんだって気づいた。クレヨンしんちゃんの。

以下、「レディプレイヤー1」「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲」の内容に関する記述を含みます。

30分遅れで見たレディプレイヤー1は(みはじめたのはちょうど第1の試練でキングコングに阻まれてAKIRAのバイクが吹っ飛ぶところだった)世界に積み上げられたマンガとアニメと映画の洪水だった。

面白かったけど、私もすごく好きだったけど、何かずっと変だなと思ってた。ピーターパーカーと237号室とチャッキーが同じスクリーンに出てくるからじゃなくて、見た後の私が。

クレヨンしんちゃんのオトナ帝国は「昭和の町で子供に戻れる大人のためのテーマパーク(≒オトナ帝国)ができて大人がみんな子供時代に取り込まれてしまうのを本当の子供たちが取り返す」話で、強く文脈に依拠している点で−−というのは、原作のあることによって登場する多彩が感動の装置になっているということです−−オトナ帝国とレディプレイヤーは同じだと思った。万博で見られなかった月の石に、本当は今も心残りがあるとうちゃんと、幼稚園のとき夜更かしして金曜ロードショウでバックトゥーザフューチャーをみたのと、小学校の理科室でジェラシックパークを見たときにびくっとしたのと、その前の晩に2回目のシャイニングを見ながら食べた氷砂糖の味を思い出してオレンジジュースをのむ私は似ていた。あと、いろはす桃を飲んで口をついて廃盤になったもも天の名前が出てくるのも。

特別に私の明るい多彩はそればかりだったからシャイニングの場面の話ばかりしてしまうけど、シャイニングは「作者が嫌った作品」でレディプレイヤー1の映画の層自身を外れて監督の名前が出てくるのがとてもよかったし、シャイニングはキューブリックがアポロ着陸の映像をつくらされたのの暴露の意味があって、プロジェクトの名前はGemini、237km…と都市伝説にどきどきする厚みのある作品なのもとてもよかった。もっとみたい、知りたいと思った。分かち合われるスピルバーグの瞳。
多層に落ちたい、欲望。


登場する多彩に過去に連れて行かれるのに、舞台は来るべき現実のニュアンスで、未来へ進んでいた。空想と現実、過去と未来の多層性、軌跡、混沌、意味づけのアトラクション。大人の精神性を逆手に取りさらにその高い未来に連れて行くデロリアン。子どもにはまだ与えられないようにすら映る味で、未来の話なのに、本当にそれでいいのかなって思った、それは蛇足になるのだと思うけど(はじめ30分をみていないのでハローキティの登場シーンが見られなかったのが本当に残念。最近は何故アンパンマンに流行り廃りがないのかが気になっている)

オトナ帝国を脱せたのはとうちゃんの靴下の匂いだったけど、長い長いエンドロールやキャラメルポップコーンの匂いじゃ全然足りなくて、だから、まだちょっとぐるぐるする。
大人になんてなりたくないのに。

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Ai Matama

映画のこと

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