東京は私にとっては難しいところだ、これより田舎に行くわけないけど。

これから書くことは、都会育ちの人には、とりわけ東京育ちの人には、あまり理解されないだろうという実感がある。

今年の6月1日は、悪いことが重なって、今日まであまり食べ物が食べられなくなるくらいで、とても辛かった。(今日もあまり食欲はわかないけど、今日は素麺を半人前とチョコミントアイス1つと梅干しを乗せたたまご粥一杯は食べた)あまり使っていないtwitterで「あーーーーーーー」とか「憂鬱が消えない」とか言わずにはいられなかったし、それならそれで不安や悲しみを筆を執って整理しようと試みても、全く言葉が湧いてこなくて、個人的にそれは初めての体験だったから、すごく怖かった、もう話せなくなるような気がして。

でも、丸5日経とうとして、私はちゃんと言葉を取り戻したし、氷をたくさん入れたグラスに日本酒を入れて溶けたのを人差し指で混ぜている。

悪いことは2つあった。理由は
ひとつ「私が私のことをわかってない」×「他人の立場で私の見せ方を考えるのが甘かった」
ふたつ「他人の立場で私の見せ方を考えるのが甘かった」×「私が私のことをわかってない」
というのが率直なところだけど、考えるのが甘いのは、それほど私を「見せる」必要性を私自身が理解してなかったってこと、失う価値がわからなかったってことだから、直接的な理由は「私が私のことをわかってない」が大きいように見える。

東京は難しいところだと思う。見せるのが苦手だなんて私は全然気づかなかった。というか、何かについてその要求を拾って叶える方法を考えたりやったりするのはそれほど苦手じゃないと思うけど、私はかなり不器用で、それは相当局所的でないとできないし、その局所を選ぶのが苦手なんて全然わかってなかった。宮崎にいるときは選択肢がないも同然で、私はその中からいかにましなものを選ぶかの技術を重んじて、伸ばしてきた方だったから。ディベートもクイズも慶應にAOも、それが私が選べる一番いい選択肢だからだった。世の中にこんなに選ぶべき選択肢が多いなんて、東京で時間と少しのお金と人を見せられて初めて知った。大きい価値観に委ねちゃえば楽だし、いい人生を歩みたくて自己啓発とか、港区のとか、twitter見ちゃってたけど、めちゃめちゃ無駄だったなって思ったから、(最近見てたのは惰性だけど)とりあえずさっきフォロー全部外した。

選びたいものも、選択肢を巡って戦う人も、私が慣れてきたのより多い。何を選びたいのかそもそもわかっていないと時間オーバーで詰む。私が選べるものがわかっていないまま選びたいものを選ぶと知識と経験と戦略不足で詰む。まともに転びかたがわかってないと転がり落ちて詰む。

3年半困惑してたけど、私の生命力が強いのか、たぶん、一昨年より去年はましで、去年より今年はましで、まぁそれでもだめだったんだけどーー今日より明日はましなはずだから、私の人生はもうちょっと頑張ってもいいかなと思う。とりあえず今、東京より田舎に行くっていう選択肢はありえないってことは確かだし。

とりあえず転びかたについては、前は、ーー2年か3年か、それよりもっと前の私を知ってる人は、知っていると思うけど、強い攻撃性が出ることがよくあったけど、今回は、それはほとんど出てないからよかった。

ちなみに東京は難しい、というのはあまり自責ではないように思っていて、地方の教育も環境もやっぱだめだなと再び久しぶりに思ったので、いつか変えられたらいいなと思う。

知りたいことを知り考えるべきことを考えて一年を過ごせますように。

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Ai Matama

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