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透明日記「雪・散髪・マグカップ」 2023/12/22

大阪も寒くなり、雪が降っていた。降っていたと言っても、ほとんど降っていない程度に降っていた。どのぐらい降っていたと表現すればいいものか。

カスみたいな程度の雪が舞っていた。黒っぽい建物を背景に、一つ二つと数えられる程度に降っていた。灰皿からこぼれる、僅かな灰ぐらいの降雪量だった。コーヒーカップから溢れた砂糖粒ぐらいの量だった。廃れた遊園地の来客数と同じぐらいの雪が降っていた。

少し時間が経つと、降る雪が増えていた。トーストの屑ほど降っていた。ガタンと姿勢を崩した灰皿からこぼれる灰ぐらいの雪が降っていた。ノコギリを引く素人が出す木屑みたいな、頼りのない雪の粉が舞っていた。スナック菓子の底のカスぐらいの量で降っていた。

また少し時間が経つと、雪は降らなくなった。十五分程度の雪。空がただ透き通っているだけになった。料理前のピーマンみたいに、風景が止まっている。静止の中に軽さがある。

わずかな雪でも、見る前と見た後とでは風景が少し変わって見える。自然、雪のカスを捉えようと、目を凝らす。雪は見えない。ただただ、空中に眠る透明の虚空だけが目に入る。舞う雪を探す。視線が無の空間を貫いたり、無の空間に反射されたり、三次元の無の中を行ったり来たり。雪の粉が舞うようにして目が空を舞う。

髪を切りに出かける。毛量が多いと言われる。毛量に関する知を持っていないので、基準がよく分からない。どのぐらい多いのか、知られない。

整備されていない神社の雑草ぐらいの毛量なのか、七十年代反体制派のロン毛ぐらいの毛量なのか、一掴みのとろろ昆布ぐらいの毛量なのか、毛量に実体はあるのか、毛量に関する知を持たないので、知られない。

人に毛量があるように、雀にも毛量の多寡はあるのだろうか。人が毛量を話題にするように、八百万の神々も毛量を話題にするのだろうか。ロン毛のゴリラはいるのだろうか。ロン毛の日本猿はいるのだろうか。

オランウータンのあれはロン毛なのか。なぜヒトは髪の毛とヒゲがよく伸びるのか。毛量の生物学を私は知らない。ハゲてもヒゲはハゲないというのもよく分からない。東條英機が分からない。名前がイギリスの機械である。この機械を大川周明がポカポカ叩く。鋭い批判精神と笑いの才能が、極東軍事裁判所を虚しく響かせる。この愉快さはよく分かる。

紀元前のカフェに行く。店内でタバコを吸えなくなった2020年が紀元元年である。元年は1年である。2024年には紀元5年になる。このカフェは店内でタバコを吸える。紀元前のカフェである。

ホーリーズカフェは安いカフェであるが、意外にもマグカップの口当たりが良い。最近はマグカップを探している。それゆえに、カップに意識が注がれる。見た目の面白さはないが、口当たりは良い。滑らかで、唇に余韻が残る。離れる瞬間に口寂しさが湧く。マグカップを目で楽しむことを考えていたが、重要な検討事項として、口当たりの良し悪しを数えておこう。用もないのにカップの縁を咥えたくなるようなマグカップ。妙に口当たりがエロいマグカップ。

マグカップの柄は抽象的なものがいい。鳥獣などの絵図があると、カップの存在がカップの表面から滲み出ないような感じを覚える。抽象的な色と形には存在を外に広げる効能がある。特に、ざらざらした抽象的な雑感に、そんなようなものを感じる。生活の彩りは存在の混ざり合いが織りなすものなのかもしれない。あらゆるインテリアを疑う必要がある。

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