下戸愚痴(げこぐち)

こういう記事を読むと安心する。
意味のわからないカタカナ言葉をなんにでも付ける風潮は納得できないが。


居酒屋には学生時代一度も行かなかった。
これを言うと大抵驚かれるのだが、私が人と会話するのが苦手なこと、お酒が飲めないことを説明すると一応は納得した顔をしてくれる。本当は学生時代の人間関係が悲惨だっただけですが…

だけど会社に入社して、私を主役とした「歓迎会」という名目なら流石に休むことはできない。
そこからズルズルと5回も居酒屋に行ってしまった。
私は元々断ることが苦手だ。


ここから本題。
お酒全く飲めない人間、ものすごく損している。
周囲は「飲まなくていいよ」「ソフドリ頼もう」と言ってくれる(言わないといけない)んだけど、それを間に受けて飲まないだけで場が白ける・笑われるし、人間関係を築く難しさが一段階高まる。
こちらも、酔いが回った人の会話ペースに合わせるのはかなりの技術が必要だ。というか無理。
酒を飲まないのに余計な金を払わされ、飲みたくもないソフトドリンクしか目の前に置かれない。

反論として、「飲み会は断ってもいいよ」とよく言われる。実際断ってもいいのだろう。
でも行った奴らは飲み会の後仲良くなってるんだよ。その選択をするのは、人の輪に入れなかった惨めな学生時代を輪廻するだけだぞ?
断られたら強要はされないが嫌な印象を与えるのは間違いない。そして社会人は印象勝負だと教えられた。実質的に断ることができない。あと繰り返しになるが、私は断ることが苦手だ。

酒に弱いのはバッドステータスを初期から付与されているのと同義。人生が不利になる。最悪、コミュ障の烙印を押されかねない。

下戸はバッドステータスで、酒好きはスキルだという根拠に、以下の体験弾がある。
私の周囲には「紅茶好き」「珈琲好き」が多い。そして、そいつらはそれなりに詳しい。資格も持っている。
「酒好き」はその数倍見てきた。新卒の自己紹介でも半分くらいが酒好きを自称していた。だけど全く知識がない。発酵の工程すら説明できない奴が多い。ここで、酒好きを自称する奴の本意はお酒に詳しいではなくて酒を介したコミュニケーションに焦点を当てていることに気づいた。
酒、好きじゃねえじゃん

酒をコミュニケーションのドーピング剤と考えている奴らに、私はコミュ障と思われている。「酒を飲まないと本音で話せない」は本当に訳がわからない。

社会に出てから明らかにお酒を介するコミュニケーションが増えた。
ハラスメントが無くなっただけで、酒を飲めない奴は仲良くなれないし、いずれ業務にも支障が出るんだろうな、と考えてしまう。「社会は変わったよ!」と建前を押し出しているだけで、酒を介したコミュニケーションの在り方は変わっていない。
あと食事のことを飲みと呼ぶなよ。

酒を飲めないサラリーマンは市場価値が低い。これは間違いない。
「顔が醜ければ整形をする」「太っている人はダイエットをする」のように解決できる問題でもない。障がい とまで強い言葉を使うのは気が引けるが、どうやっても治らない。

「飲めば強くなる(慣れる)」というエセ科学を未だに妄信している人も多い。そこで「アルデヒト脱水素酵素はタンパク質だから、遺伝子を書き換えない限り強くなることはあり得ない」と説明してもまともに聴く耳を持つ人はまず居ない。

私は本当に弱い。
周囲が飲酒しているだけで雰囲気酔いすることがある。
だけど酒飲みからは一切共感してもらえず、茶化されるばかり。
本当にしんどかった。吐き気がする。眩暈がする。
それを訴えても信じてもらえない。私はこんな奴らと今後関わっていかないといけないのか、と考えるだけで絶望が溢れてくる。飲んだんじゃねえの?と疑われた。屈辱だった。
あと何回私は居酒屋に足を運べばいい?

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