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無理しないでね、ということば

わたしはことばに敏感だ。
「無理しないでね」とは相手を気遣う言葉でよく使っていた。
けれど体調をくずし、ただ起きて食事をする家事をすることもままならない日が時々やってくるようになり、「無理しないで」と安易に口にできないわたしがいた。
同時に親しい友人から距離を置くようになってしまった。詳しく話しても困らせるだろうし、「無理しないで」なんて言われようものなら「無理してないんよ、」と心の中で返してしまいそうだから。

週5日、寝不足疲れがあっても仕事場へ向かう。
大半の人はそんな生活を日々送っている、と思う。そんな人が思う「無理をする」というのはたとえばどんなことだろう…

週5日に加え、土日出勤、平日も家に帰って仕事を持ち帰る、日付変わるまでの残業……と想像する。

それはだれがどう見ても無理している。
それはだめよね、体壊しますよ。心配だってする。

それでもやらないと納期があるからやらなければならないことはわかる。
わたしもそんな仕事を経験してきた。


だが現在のわたしの「無理をする」は、体調によってはときにすきな絵を描くことや本を読むことさえも「無理をする」ことになってしまう。
残念ながら仕事はできない。
ストレスにも大変弱くなった。
できるときにできることしか、今はできない。

大変でも、それでもしっかり会社に向かえる人にとって、わたしの行動に無理は存在していないように見えるだろう。

「無理をする」から想像できる内容に幅がありすぎて、相手との距離を感じてしまう。「無理しないでね」と声をかけてくれる人を非難はできない。だって人も環境も違うから。想像は大事だが限界はある。でも感謝はしたい。
うーむ、ジレンマ。

週5日働いていた頃と、毎日ふゆふゆと浮遊しているような気分になる今(これをわたしは第n次モラトリアム期と呼んだり…)を経て、
わたしは最近「無理しないでね」の別の言葉を考えている。

・自分が壊れない程度に
・ゆっくりぼちぼち、
・休んだり、ふんばったりぼちぼちで、

相手を傷つけないことばを探すのはむずかしい。

今のわたしが普段のわたしでいられなくなる主な原因は気圧なのだが、
今のところ合う薬がなく気圧の変動が大きい日や大きくなる前日はたいていよく眠る。余計に眠る。心臓が働く音が嫌に大きく聞こえたり頭痛やらエトセトラ…

「ちょっと気圧の上がり下がりで体調が悪くて…」
と言われてどの程度のつらさを思い浮かべることができるか。

そういうときはあれやこれやと言葉を並べて気遣うよりも、
太陽とかアルパカとかそんなかんじの絵文字だけでいいんじゃないかぁ、と思ったり思わなかったり……。

それだけの、ハナシ。

今は生活と絵をがんばっています。 「スキ」してくれるとアルパカが出てくるので、ぜひ。 サポートはすべて画材に当てております。 いつも応援本当にありがとうございます。