鉛筆をもって美術館へ行こう1
労働と消費で磨耗していくことを、私は選択したのか。
塩田千春展"魂がふるえる"
を鑑賞してから…日常のふとした瞬間に、この問いが浮かぶ
塩田氏は、歯車ではない生き方を選択した。
展示は写真撮影が可能で、いわゆるInstagram映えから始まり、塩田氏の半生と創作欲に触れることができる。
次の展示から、カメラを構える人が減っていく
塩田氏が創るものは、画ではないからだ。
現在の視機能が認知したものではなく、そこに無数に存在する、モノ達の記憶を捉えようと、または留めようとしている。時空間は自然と無視される。
塩田氏は、皮膚という表現を用いている。己と宇宙の境は、どこだろうか。手を伸ばせば…その手さえ、己と呼べるのだろうか
労働と消費だけで、この世を歩けなくなってしまった。
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