『RE:cycle of the PENGUINDRUM』[後編] 僕は君を愛してる:雑感想※ネタバレ控えめ※追記あり(7/27)

注意事項
諸事情あって疲れ切った頭で書いています。
自分でもなに言ってんのか分からんふわっふわ文章です。

本日(投稿時点で前日)、舞台挨拶ライブビューイング付き上映で後編の方を見てきました。

結論から言って、うーん肩透かし食らった感じです。

なんだろう、まぁファンサービスを意識した感じがあるというか、泣かせにかかってる感じがあるというか…。
全体としてもTVシリーズの展開をなぞった上で補強のエッセンスを加えた程度のものに落ち着いちゃったなぁー、というのが正直な感想。
だったら『アドゥレセンス』くらいぶちかましてくれたほうがまだ良かったです。

僕としては今回の劇場版に、というか『ピングドラム』という作品そのもの期待していたのはそれじゃないんだよなぁ、という不満が頭の片隅にずっとあった感じです。
そもそも放送当時、TVシリーズを食い入るように見て、授業中に『ノルニル』を頭の中で延々リピート再生していた頃ですら別に「泣けるアニメ」的な感動は求めていなかったし、『ピングドラム』はそういう泣ける要素みたいなものは別に重要じゃなくて、それこそ「あくまで」ファンサービスで根幹はちゃんとブレずに描いていたと思ってたんですが、本作はもう完全に「とことん」ファンサービスという感じがして、でもそれがつまり「ファン」である僕にとっては全然サービスになっていないというか…。

追記(7/27)
ラストの露骨すぎるカメラ目線のくだりがもう極めつけで、僕は「えーーー」となってしまいました。
いくらなんでもあれはやりすぎですよ…。
全編の「きっと何者かになれる〜」のシーンにも、感じたことですが、画面の外(客と社会)を意識しすぎて寓話から講話になっちゃってますって。キャラとキャラのやり取りに終始していたTVシリーズのほうが良かったです。

社会的なテーマを持った作品が失敗しがちな説教臭さがにじみ出ちゃってどうにも受け付けない。『シンドラーのリスト』のラストにも似た拍子抜け感だなぁ。第四の壁を越えてテーマを伝えないでほしいです。


不安定で不確かな「愛」という楔を無条件に与える「桃果」と無条件に壊す「眞悧」という両極端な思想の相克のなかで、その「愛」を理念とした「家族」という神話体系を喪失した、あるいはそれに抑圧された「何者にもなれない子供たち」が、「与える」と「壊す」のどちらでもなく「分け合う」という選択を取るというのを寓話的なアプローチで描いたのが『ピングドラム』だと思ってたんですが(それをあのイクニワールドで描ききったことが僕の最高評価ポイント)、今回はもう寓話の寓話というか、『ピングドラム』"的な"『ピングドラム』みたいな、IPは同じなのにパチモンに見える現象というか…。
(キズナアイ分裂にキレた人ってこういう気持ちだったんすね。ちなみに僕は今でもキズナアイ分裂肯定派です)

舞台挨拶も、え、そこまで言うん…って感じで、もしかしてイクニさんちょっと絶望しちゃったんですかね…(コメンタリーでぼかしにぼかしてたアンタどこ行ったんだ!)ここまで明け透けに、単純化しないと伝わる以前にウケない的な。
そうだとしたら、もうただただ悲しいです。商業作品である以上、ある程度のユーザビリティを確保しないといけないのは分かりますし、アート思考に極振りして「これが分からんやつはバカ」みたいな態度は嫌いです。
エンタメ大歓迎だし、俗っぽくても構いませんけど、でもここだけは譲れん!ということがあるなら客を信じてぶち込んできて欲しいです。

作品を通して作家とコミュニケーションを取りたいわけではないですが、投げかけてきているものがなんであれそれが本気ならなんとか拾い上げたいことも本心です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?