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【書評】「社会が変われば思想も変わる。思想が変わればスポーツのルールも変わる。」(中村敏雄『メンバーチェンジの思想 ルールはなぜ変わるか』平凡社,1994)

はじめに

 再び中村敏雄さんの本を紹介します。前回紹介したのは「オフサイド」に関してでしたが、今回はスポーツにおける「メンバーチェンジ」についての研究です。メンバーチェンジのルールに加え、フットボールのタッチラインの変遷やテニスのサービスなどの例から、スポーツを人々がどう捉え、どう影響してきたのかを教えてくれる本です。
 いまを生きる私たちにとってスポーツに限らずルールは絶対的なものとして神聖視することが多いと思います。しかしルールは人間が作り上げてきたもので、さらに変化するものです。決して固定化されたものではありません。そうしたルールの変化は歴史の積み重ねであり、そこから人々の思想を読み取ろうというのがこの本の趣旨です。

スポーツのルールを読み解く

スポーツのルールが人間によって考え出されるものであり、またそれが一定の範囲の人々の合意によって成立・実施されるものである以上、このルールがそれぞれの時代や社会の、また民族や階級などの支配的な精神や思想、あるいはその全体的な雰囲気やスポーツを愛好する人びとの集団意識などを反映・吸収したものになるのは避けられないことであり、しかもこれらの諸条件の変化によってルールもまた変化していかざるをえないということも自明である。(p.50)

 スポーツのルールは絶対で普遍的なもののように感じますが、たとえばフットボールの初期は一点先取で決まるまで終わりませんでした。そのため五日間続く試合もあり、むしろ長く楽しむために考えられたルールだったといえます。90分制で多く得点した方の勝ちというルールに慣れた現代の私たちからすれば信じられませんが、当時の人々はそれに満足していたのです。
 そうしたルールは時代によって変化してきました。それは誰か一人の気まぐれによってではなく、集団の意識や思想が反映されることによって変化してきました。したがってその集団を取り巻く環境の変化、たとえば工業化や都市化、中産階級の台頭などによる影響を強く受けてきたと考えられます。そうした視点からルールを分析すると、当時の人たちの暮らしや文化とスポーツとの関係が見えてくるのです。

メンバーチェンジの思想

 ではメンバーチェンジというルール変更にはどういった思想が関係しているのでしょうか。それがアメリカ社会の個人主義と適者生存の思想だと中村は指摘しています。

個人主義と適者生存の思想の強い主導性が、アメリカンフットボールをこのようなルールでプレーされるスポーツへと発展させたと言ってもよいと思われるし、程度の相違はあるにしても、野球やバスケットボールもこの思想の影響のもとでメンバーチェンジというルールを導入したと考えられる。(p.60)

 まずメンバーチェンジのルールが登場したのが19世紀末のアメリカ野球でした。当時のアメリカ社会は、南部から大量の黒人労働者が、欧州からは移民がやってきており、その結果労働力過剰経済を引き起こし、自由競争を軸とする資本主義社会への移行期にありました。資本主義社会では各個人による生存競争が行われ、強者・適者が生存します。元アメリカ大統領のウドロー・ウィルソンなどが「アメリカ文明の主導力は個人主義であった(p.59)」と述べたように、個人主義に基づく適者生存競争によってアメリカは発展してきました。
 こうした思想はスポーツにも反映され、1試合通して同じメンバーで戦い抜くというマッチョな思想から、状況に応じて最適のプレーヤーを活用して勝利を目指すという思想へと人々は移行していきます。それが最も現れているのがアメリカンフットボールで、攻守で別チーム、さらにはキッカーなどの専門職を大量に抱えるスポーツです。こうして負傷交代のみが認められていたメンバーチェンジに、戦術的な意味が含まれていきました。

「する」と「見る」の遊離

 かつては「遊び」だったスポーツが、徐々に「競技」の意味を強くしたのもメンバーチェンジのルール登場の一因だと考えられます。つまりかつては民衆すべてがプレーヤーだったのが、最適と考えて選ばれた人のみがプレーヤーになっていきました。これを中村は「プレーヤーと観衆の分離」と表現しました。

つまりこの時代〔引用者注:十八世紀ころ〕の村びと総出の「大会」では「する」者と「見る」者が厳密に区別されておらず、時には「一面識もないもの」でも「する」者にされるようなことがあったということである。このことは、誰もが「する」者=「見られる」者であると同時に「見る」者=「鑑賞(批評)する」者であり、しかもいつでも、またどちらへでも自由に転換することができ、それは村びとであろうと上流階級であろうと区別されなかったということである。(p.118)

 初期のイギリスのフットボールでは上述のように「する」者と「見る」者が厳密に区別されていませんでした。ところが『オフサイドはなぜ反則か』でも触れましたが、フットボールは祭りから校庭で行う競技へと移行します。その過程においてコートの境界も明確になり、プレーヤーと観衆の線引きもはっきりしていきます。こうしてプレーヤーが選ばれた存在へと変化していったことも、メンバーチェンジのルールの背景にはあると考えられます。

おわりに

 メンバーチェンジのルールの登場には、ルールを作り上げる集団の意識や思想が反映されていると考えられます。そうした人々の思想の変化を、丁寧に史料から読み解いているのがこの本の、そして中村敏雄さんの特徴です。
 現在から過去を観察することは、将来の人たちが私たちを観察することと同じです。こうした視点を持って、過去と現在を行き来して、私たちの足元を見直すことが重要なのかもしれません。


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