【後編】ユベントスのクラブ経営をCI戦略の観点から考えてみた〜中身は外見にあらわれる〜

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前編のおさらい

 前編ではユベントスの試みとかつて(いまだとブランディングという言葉になるのか)日本企業が採用していたCI戦略との間に通底するものを確認した。そしてロゴという目に見える領域だけでなく、企業文化のような哲学的領域における分析の必要性を提示した。そこでもう少し踏み込んで、ユベントスの試みを分析していく。

単なる視覚的変更ではない

おさらいすると、1970年代から日本企業は製品やサービスの差異化に迫られ、消費者との接点においてデザインを付与することで他社との差別化を図った。次第に発達したマスメディアをも接点として活用することで、企業イメージそのものからの差異化を目指した。その結果、自社の存在意義を問い、再認識する場面が多くなっていった。
 すなわち、商品自体のデザインから始まった差別化戦争は、次第に各企業全体のイメージの差別化へと肥大化し、企業はそのイメージと実体との乖離に直面せざるをえなくなった。単なる商品デザインであればまだしも、企業のロゴともなれば自社を映す鏡であるため、必然的に存在意義や価値観のレベルから見つめ直さなければならない。これがCI戦略の本質である。その観点から見ると、ロゴ変更は単なる視覚的変更ではないのだ。したがってユベントスの試みをマーケティングの面からだけで捉えるのは正確ではない。
 実際、ユベントスがミランでのイベントで発表したのは「新たなユベントスのアイデンティティ」だ。一見するとロゴの変更に飛びついてしまうが、それは発表の枝葉でしかない。むしろ重要なのは新たなアイデンティティの中身と、それを大々的に打ち出す意義だ。それらと結びつけてロゴ変更を見なければならない。
 インターブランド社が手がけたのは「ブランド拡張プログラム」と呼ばれるもので、その内実はブランド戦略構築、ビジュアル・アイデンティティ、ブランド・エクスペリエンス、発表イベントのフォーマット開発である(リンク)。さらにリッカがいうには、「ブランド拡張プログラムは、ユベントスの哲学である”妥協なき卓越性の追求”を実現するために策定されました」。これらからはインターブランド社が哲学の領域にまで踏み込んでいるようには見えないが、実態はどうかわからない。
 ただ一つ言えるのは、このプログラムの出発点は哲学の「妥協なき卓越性の追求」である。リッカは別のインタビューでこう述べた。

「単なる修正や美容整形では役立ちません。必要なのは、ユベントスの本質の中心までたどり着き、企業が目指している発展がどのようなものかをブランドに語らせることです。その全てを、サポーターへの尊敬と、企業が未来に対して抱いているヴィジョンとのバランスを取りながら行わなければなりません」
(引用元:WIRED「なぜユベントスはエンブレムを変えたのか──ブランド再構築を担う2人が『WIRED』に語ったこと」<https://wired.jp/2017/02/19/juventus-football-logo/>)

ブランドが語るのは企業の未来であり、その出発点はユベントスの本質の中心、つまりは哲学である。日本のCI戦略から類推するに、哲学はクラブ内でも改めて議論され、さらにインターブランド社も十分にそれを理解してこのプロジェクトに臨んだことがうかがえる。
 哲学を起点にブランドを作ることで実体との乖離を縮め、等身大のユベトスを表現しようとしたのだろう。このブランド(ロゴ)と企業との距離については、インターブランド社のユベントスプロジェクトの紹介ページの”Don’t own an identity, be an identity”という章に興味深いコメントがあった。

As a number of commentators noticed, Juventus’ leap is not merely a visual change—it’s a different way of conceiving the brand. Most football club brands represent something else—be it the team, football, a city or a landmark. Juventus has chosen to represent itself. This shift in perspective is the main reason behind the huge impact of this launch.
In other words, rather than own an identity, Juventus has chosen to be an identity. It has set out to own primary elements such as the black and white stripes and the J letter. Rather than referring to an icon, Juventus has turned itself into an icon, as the world’s greatest brands do.
(引用元:Interbrand HP"VIEWS Lessons from the Juventus brand evolution"<https://www.interbrand.com/views/lessons-from-the-juventus-brand-evolution/>)

ここでも述べられているように、今回の挑戦(leap)は単なる視覚的変更ではない。ユベントスが選んだのはアイデンティティをもつのではなく、自らがアイデンティティになる道である。つまり新たなアイデンティティ、そしてヴィジュアル・アイデンティティ(ロゴ)はイタリアの象徴でもサッカーのそれでもない、まさに「ユベントス」そのものなのだ。
 その思いはロゴにも込められているように思う。決して理想的なアイデンティティだけが実体を先行したものではない。新たなアイデンティティを他所からとってつけたものでもない。これまでのクラブの歴史を尊重した上で、これからのクラブの未来を描いているように見えるデザインになっている。これまでこれからのユベントスを表現している。

(出典:blandemia_ "La Juventus lo ha clavado con su nuevo logo, y éstas son las razones"<http://www.brandemia.org/la-juventus-lo-ha-clavado-con-su-nuevo-logo-y-estas-son-las-razones>)

アイデンティティ刷新のもつ内向きの意味

 前編でCI戦略は企業変革までもが視野に入っていると述べた。「インダイレクト・コミュニケーション」と呼ばれる手法があり、PAOSが電電公社(現NTT)の改革で実際に利用している。これは外部からの見る目が変わることによって職員の意識の変革を促すものだ。つまり視覚的なデザインを一新することで、社外に「変わった」という意識を植え付け、その目線を自社に向けさせることで、社員に変革の意識が生まれるという考えである。
 このプロジェクトにもそうした意図が含まれているだろう。アイデンティティは強固で変えるのが難しく、変えようとすれば痛みを伴う。それを理解してもなお変更に踏み切ったのは、グローバル化の波に乗り越えるために大胆な組織変革が必要と考えたからであろう。ミラノの国立博物館での盛大なイベントもそうした意図からだと思われる。つまり大々的に行うことで、強烈に人々に「ユベントスは変わった」という意識を植え付け、その周囲の期待を背に組織変革を目指したのではないか。
 ロナウドの獲得も組織変革という文脈で読み取ることができる。ロゴ変更に合わせてロナウドの獲得が話題によく上がる。片野はロナウドにかかった経費455億円はピッチ上の成果だけで回収するのは不可能であり、それでも巨額の投資を決断するだけの商業的価値がロナウドにはあるとしている。ここで挙げられた商業的価値は大きく二つ、一つはユベントスのブランド価値の向上である。ユベントスが「グローバルなエンターテインメントカンパニー」へと脱皮するために、世界への露出を拡大していく上でロナウドは理想的な起爆剤である。
 しかしこれらに加え、新たなロゴの体現者としてのロナウドの存在価値がある。片野はロナウドのプレースタイルは近年のチームのあり方とは異なるとしたが、むしろユベントスの理想のチームのあり方と合致しているのではないか。たしかに「近年のユベントスは絶対的なこの力よりも11人全員がチームのために検診することによって勝利を追求する」チームかもしれない。しかしピッチ外含めてクラブ総体として見れば「妥協なき卓越性の追求」というクラブ哲学に最適な選手、いや人材ではないだろうか。彼の凄さはストイックな姿勢であり、すなわちこの哲学をもっとも純粋に体現する選手といえる。哲学の純粋な実践者として迎え入れたのではないだろうか。

CI戦略がサッカークラブで採用されてこなかった理由

 さてCI戦略という歴史を物差しにユベントスの事例を見てきた。もちろん環境が異なるため、かつてのCI戦略とまったく同じはずはない。しかし40年以上も前の戦略の相似形がいまサッカー界で注目されているのはなぜかなのかを最後に問いたい。
 ざっくり言ってしまえば「差異化の必要に迫られてこなかったから」だ。CI戦略の背景には製品そのものの機能や品質での差異化が難しくなり、デザインや意味のレベルでの差異化が求められてきたことがあった。これまでのサッカークラブにはそうした差異化をする理由が弱かった。地域に根付いている分、商圏の被りは少なく、商業的なライバルがわかりにくかった。あくまでも同じリーグを運営していく同志だった。
 しかし最近では特に欧州で、クラブ間の金銭的格差が拡大し、しかもそれが強さに結びついている傾向がある。金銭的格差の要因の一つにグローバル化がある。サッカーがコンテンツとして認識され、世界各地で中継されるようになると、これまでは地域にこもっていた各クラブがその人気、知名度を世界に広げていき、結果的に世界各地でイメージの植民地争いが勃発している。こうした背景からサッカー界でも世界規模での他クラブとの差異化が必要となった。
 さらに加えるならばサッカークラブの事業多角化がある。CI戦略を採用する理由の一つに、増えた事業それぞれのイメージを統合する包括的なアイデンティティ開発がある。たとえばキリンはビールは1980年代前半、多角化戦略を取り、ビールだけでなくワインや清涼飲料、医薬品や種苗、外食などさまざまな事業を抱えるようになった。これらを企業イメージのレベルで統合を図り、「KIRIN」と麒麟のマークを統一した企業イメージとして展開した。
 サッカークラブの既存の収益構造では収益拡大が頭打ちであることを踏まえてか、ユベントスはサッカーだけでなく、より広い領域で事業展開する方針である。既述のペンダントのようなファッションブランドをはじめ、インターナショナルスクールやホテルへの展開を目論んでいる。こうした多角化を目指す上で、あらかじめそれらのイメージを統一したといえる。

おわりに

 組織は様々な関係性の中で、自らの「顔」の輪郭を明らかにする必要に迫られる。ユベントスの試みも新たな関係性を自覚し、それに対応した自らの「顔」の輪郭を明らかにしようとしたものだ。しかしまだ始まったばかりである。「顔が良くても中身がない」とモテないように、明らかにしようとする顔に組織がついていくのかが重要だ。顔には必ず身体と精神がついてくる。
 戦略の全体像が不明な中で、推測の域を出ないがユベントスのプロジェクトを分析してきた。実験的な「アイデンティティの刷新」にはマーケティングという外向きの作用もあるが、一方で内向きにも作用する。それは変更過程においても、変更後の振る舞いにおいてもだ。その意味では長期的な視点からこの実験は観察していく必要がある。長期的、そして外と内の両方向からこのプロジェクトを見ずに真似ることはあってはならない。ただカッコいいだけではないのだ。
 最後に断っておくと、決して過去の日本企業すごい!と言いたいわけではない。過去は未来に向けた始点でしかない。むしろ危機感を覚えるのは、過去に出来ていたこと、強みであったことが今に生かされていないことに対してである。せっかく知見があるならそれを使おうよ!ただそれだけのことだ。是非ともどこかの媒体で、中西元男氏に話を聞いてほしい。
 

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