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いつまでも意味を考えてしまう人へ

この世に意味のあるものなんて無い。
もう少し言うと、この世にそれ単体で意味のあるものなんて無い。受け手がいて初めて意味が生まれる。
文字や記号はただの線。そもそも線は何かと何かが擦れて出来た跡。その跡に人間が勝手に意味を持たせているだけ。
言葉や音楽はただの空気の振動だし、歴史はただの時の流れだし、時間はただの概念だ。
勉強が苦手な学生には「こんな事勉強してなんの意味があるのか」と考える人も多いかもしれない。しかしこの疑問にも意味がない。本当はそもそも意味なんて無いのだから。
これは決して、なにもかも役に立たないとかそういう話では無い。あくまで人間にとって役に立つだけであって、それ以上の意味はないということだ。

遊びに意味がないことは誰でもすぐ受け入れるのに、仕事や勉強や人生そのものなど、重要そうな話になると人はすぐに意味を考え始める。そしてあーでもないだのこーでもないだの、失敗しただの成功しただの、なんで私だけだの、ずるいだの、つまらないだのと考える。本当はサルがウンコを投げるくらい意味なんてないのに、だ。

あなたが必死にやっている仕事にも、頑張って稼いだ金にも、大切な宝物にも、誤解を恐れずに言えば、生きることにすら本当は意味なんて無い。
生きる意味を見失うなんてよく聞くけど、ちょっと待ってほしい。生きることには初めから意味なんてない。愛されるためだとか、成功するためだとか、生物として子孫を残すためだとか、思い思いの理由はあるかもしれないが、どれも後付けの意味でしか無い。人間が一生懸命考えて出すような立派な意味なんてものは、本当は最初から無い。

死ぬことにも意味なんてない。
なぜ死ななくてはいけなかったのかとか、あいつの死を無駄にするなとか、人は色々考えるけど、ただ死んだだけだ。みんな毎日何かしらの生き物を食べていると思うけど、彼らだって食べられるために生まれたわけじゃない。けど他に理由があったわけでもない。本来死ぬことにマイナスの意味も、ましてやプラスの意味もない。命は尊いという意識は、人間は他の動物とは違うと自分達に言い聞かせるために作られたものだろう。

こんなことを言っていると反感を買ったり、危ない奴だと思われたりしそうだが、これはあくまで僕の考える真理であって、普段からそう思いながら生きているわけではないし、無意味であることを否定しているわけでもない。
意味の無いものに意味を持たせる事で人は生きているし、文明を発展させている。これもまた真理だ。
そして僕は結構涙脆い。ついでに肉も野菜も大好きだし命は尊いし何かを失うことは怖い。

結局何が言いたいかと言うとつまり、
ウンコなんて丁寧に拾ってないで、たまには投げてみてはいかがだろうか。ということだ。

いつまでも意味を考えてしまう人より。

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