ココオルでの一年間

たしか初めてココオルを使って、少し経ったときに桜が咲き、また桜の季節がきて
あ、一年経ったんだなあと感じました。
普段時の流れをあまり感じないけど、本当にはっきり一年が分かった。
すごくぎゅうぎゅうとした一年だった。
今みたら初めての相談は2021年の12月にしていた。
なので一年以上経っている
早い...あっという間だけどすごく充実していたと思う

この一年ちょっとの間に、半年以上無職だった
大好きなおじいちゃんが亡くなった
18から診てもらっていた主治医が急に知らない間に病院を辞めていた
リストカットの再発
自傷行為の被写体
その個展をみにいったり
金髪にしたり
髪をショートカットにしたり
依存されたりしたり
親友と喧嘩したり分かり合えなかったり
やめとけと言われていた飲食が、実はすごく楽しくてがんばれたり
世の中ってそんなに真面目に生きてる人や考えてる人いないんだとわかったり
でもやっぱり真面目でいたいと思ったし

飲食で出会った若い子たちと仲良くできたり
勤めて一ヶ月、いわゆる大人の事情で辞める時にかなしんでくれたり
最後の日にサプライズしてもらったり
それが直近ですごく心がじんわりした出来事

ココオルでは、zoomのとき、私が確認できてなくて、
日付を認識できてなかったときに
わたしぬきでやってくれて良かったのに

あんずちゃんや丸田さんが私と連絡とれないから別日にしましょうと話しているのをみて、
申し訳ない気持ちになったけど
仲間として思ってくれていたのかなとか
今地差で感じていて
私って自分が思うより自分に価値があるのかもと
というかそれって自分が作るものだし、そもそもあるものだと
感じた

ココオルを使っていて、ついたのは、考える癖。
感じたのは自分軸の大切さ、誰にも邪魔されずに自由に没頭できる場所のありがたさと大事さ

内省には将来的な可能性があると感じました

私は18からずっと精神科にいっていたけど
主治医がいたときは自分の頭で考えてなかったとおもう

だから主治医がいなくなり司令塔がいなくなった脳みそがうまく働く訳もなく
いかに自分が主治医に頼っていたかわかりました

主治医がわたしの脳みそだったとおもう
多分主治医がずっといたら私は変われなかったけど
主治医がいなかったら多分いま生きてないので

主治医に出会ったタイミングも離れるタイミングも
私は運がいいなとおもう

自分の頭で考えるというのは
慣れるまで本当にきつくて
自信もない、自己肯定感もない、自軸もない
そういう状態で自分の判断が良いのか悪いのかわからない
確認できない状態で
考え続けるのは、もう悩みでしかなくて
楽しくはなかった

自分の嫌なところばかり見えてくるし
人の嫌なところばかり見えてくるし

やっぱり自分の頭で考えるというのは
18から主治医の言うことを聞く癖がついていた自分からすると

なんか洗脳された信者が普通の生活させられるような
そういうキツさです...

精神科では認知行動療法といわれされていたけど
わたし的には全く意味をなしてなかった、本来の

言うこと聞いても自分の頭では考えず
依存的だったので

なのでそういう依存しているものが急になくなったことも喪失感だったし

難聴になったり、自律神経狂ったり
トイレ行ったら出血していたり、
婦人科で辛い思いしたり

とにかく
難、難、難
どんだけというか
これでもかってくらい沢山辛いこと悩ましいこと
向き合わなきゃならないことがありすぎて
情緒も不安定だし周りには目が死んでるとかいわれたり
自分がおかしいんだろうか(´・ω・`)
とほんとにひぃひぃした日々でした

あるときかな
自分の捉え方がナナメだなときづいて

素直に受け取るようにしたらなんか
らくになっていきました

それで、もしかして私は
自分はひねくれてるタイプだと思っていたけど
そもそもの根はピュアで真面目なのかな?
だからココオル使わせてもらえているのかな?

となんか素直さがもどってきて

嫌なことも他人がいうから我慢しなきゃならないとか
他人がこういってるから自分はおかしい

みたいな他軸感が薄まっていきました
こうなると人間てすごくて

私の良く捉える気質が
自軸を持つことで爆発的に開花して

しかも、だけど
やなことはやだな

自分を第一に思うことで不快に感じることを
無視したり距離置けるようになり
心の境界線も意識できるようになりました

今までなんか気持ち悪いな、
なんかやだな、
みたいなのが、境界線を越されたり越したりで発生していたなとか
自然と俯瞰するようになり
また、ずっと内省していたために
物事の本質を
見極めるのが
本当にらくになり
最近はそれを言って社員と喧嘩になるくらいです
本当のことは、言われたくないし、みたくないけども、自分で掴んだもの、自信があるので
嫌われてもなんとも思わなくなりました

また、これがすごい良いと思うのが
悩むこと

考えること
に変わったこと

悩まないだけでこんなに辛くないとは...
てくらい今の自分には悩みがありません
というか、解決できるからあってもいいと思っています。
こんなふうに思えるので、自分は変われたというか
捉え方をかえたら本当にうまい波にのれる

という良いくせがつきました。

また、なんとかなるよね
とも思うし
なんとかしていくしかないよね
というノリのようなものができて

毎日が工夫とか改善の余地あるし
やりたいことがありすぎて
寝る時間を忘れるくらいになりました

今職場は、料理長にやわらかく意見したら逆ギレされ
今まで頑張ってきたことだったり、同僚を否定され
対話ができない奴だと感じ、休んでいます。
ただ、ここら辺も、私はこいつ無理。と感じると無理になるくせがあり、同じ土俵に立たないような努力を地道にしていますが辞める予定です。

私は自軸ができてからは自分のこういう子供っぽさやダメと言われるとこさえ
我慢や忍耐しなくなりました。

まさに嫌だから行かない。が出来なかった高校時代に戻って不登校している気分です。
私はいま18からの、色々しんどかった私を
同じくらいのバイトの子とまじわりながら
治癒されているように感じます

若い子みて、これくらいのときに、生きるか死ぬかだったのに
みんな勉強してなおかつ働いてえらいな...と本気でおもうので
尊敬のまなざしで楽しく話したり笑わせてもらっています

大人になっていくにつれ、頭がかたくなる注射でも打つんか?てくらい、つまらない考え方の人間が多いです

私はいま毎日たのしいし、つらくてもかなしくても終わりよければすべてよしと思っています。
毎日泣いたり笑ったり怒ったりしたほうが人間らしいし
そんな自分が好きだし
この自分で生きていきたいと思います。
この自分に自信がつきました

それも色々苦しんで悩んで痛くて悲しくてたくさん泣いたけども
やってよかったことでした
価値のあることにトライできました。

まだまだもっともっと良くなると思います。

そういうきっかけをくれたココオルが好きです。
自由に使わせてくれて、また、怒らないでくれて
私をココオルに入れてくれて
本当にありがとう

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