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2023/04/14 感情上京巨大猫

今週、体感二週間あった。

元々長文を書く習慣がなかったからか、noteを書く時特定のパターンでしか書けてないなと思う。パターンに合わせて思考をしている。
そんなの全然ロックじゃないので、今回は思いついたことをぽんぽん並べていこうかな。

感情って、外部からの刺激があって身の内に生じる、その時に発生するものだと思うけど、その瞬間に生まれた感情を否定したら、一旦保留ということになって凍結されるのかもしれない。
最近いくつか感情が解凍されることがあって、あの時の私はこういう感情だったのかもな~と思うことが増えた。
雷や花火の音が遅れて聞こえてくるみたいに、幼少期の感情が今やっと発生したみたいに感じる。でもあくまで今の私の視点なので、モノクロ写真に加工で彩色して「当時はこんなだったのかな?」と想像してるようなもんだ、たぶん。

カードの請求額に「不正利用か!?」とびっくりして確認したら全部私、というのを今月もやりました。最終鬼畜全部私。

最近解凍された感情の中に孤独感があって、特に夜中の誰も呟いてないTwitterをシュポシュポやってる時なんかにそれは感じるんだけど、なかなか新鮮で悪くないと思う。
学生の頃って、それほど友達作りに苦労しなかったけど、それは友達というより、自分が所属する群れがあれば良かったからだな。社会人になってからは群れが必要なくなって、代わりに友達の中の友達、親友、パートナーみたいな存在が欲しくなる。
今も一生付き合い続けたい友人はちゃんといるし、そもそも地理的に誰とも会いづらいってのもあるんだけど……都会は苦手だけど、こういう時東京とかに住んで、キラキラした生活を送っているパラレルワールドの私に思いを馳せてしまうな。
なんかこの、孤独感から漠然と東京に憧れを抱いている自分、というの、かなり人間でいいと思う。思うロボよ。今?とも思うけど。

昨日のnoteに、「猫は人間のことを大きな猫だと思っている」って話をちらっと書いた。
猫と接する時の人間は、猫の真似をしてニャーニャー言ってしまうので、猫からしたら「絶対違うけど、でもニャーニャー言ってくるしなあ」と思ってしまうのではないか?犬と接してる時ワンワン言う人はあまり見ないが。私はどっちも言う。

結構書けた。入浴中とか、お茶入れてる時とかにとりとめなく考えてること、なるべく書き留めておけるといいな。たぶん何年か後には自分専用の娯楽になるだろう。